ハーンの『怪談』でも語られる「ろくろ首」や「むじな」。
例えば「へっつい幽霊」や「おばけ長屋」、その名も「ろくろ首」などの落語。
これらに登場する幽霊や妖怪など、昔っから幽霊やお化けは人々の周りにいるらしい。
幸か不幸か私はお化けさんにも妖怪くんにも遭遇してことはないが、金縛りは何度か経験しているし、寝てるときに何か重い力で上から押さえつけられたような経験もあったりする。
タクシーの運転手が乗せたはずの乗客がフッと消えたとか、人が急にいなくなって、その日や数日してもどってきた、あるいは帰ってこない、亡くなったなどというお話はどこかで何度も聞いたことがある(と言ってもほとんど全部TVだが)。後者は「神隠し」とも言われ、ずっと昔からそういう話はある。
これらを脳神経内科医が睡眠や記憶との関りで説明を加えているのが本書だ。
しかし、この著書のいいところは、その説明の鮮やかさもさることながら、まだ100%解明されていない部分も多いので、これが全てだ! これで解決! というような姿勢をとらず、70%ほどは正しいだろうという態度に徹していることが伺える点だ。逆に、説得力が増している。
一番興味深かったのは第5章「人類は高次脳機能が発達したことで幽霊を見るようになったのか?」とエピローグである。
ネアンデルタール人からホモ・サピエンスにとって代わると、ホモ・サピエンスには「認知革命」と言われるようなことが起こる(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』河出書房新社 より)。これによって「高度な高次脳機能」が獲得された、ということだ。ホモ・サピエンスはまだ新しい種だと考えると、高度な高次脳機能がちょっと壊れやすかったりするのも何となく頷ける。
また著者は、怪談は「睡眠」「記憶」「人間の高次脳機能」などと深い関係があるわけで、「なーんだ、単なる脳内に起こる幻覚に過ぎないのか」と結論づけてしまうのでは科学的知見は深まらない、とも述べている(p.195)。
ここでは扱われていないが、いわゆる「臨死体験」はどうなんだろう? と読み終わって思ってしまった(ちなみに、「幽体離脱」については触れられている)。立花隆の『臨死体験』(上・下)(文藝春秋)では、何らかの脳内の作用であろうとまでは述べられているが、欧米と日本、アジア諸国で臨死体験の内容が異なっていることについては、個人が育った文化・宗教・習俗などがバックボーンにあるのだろう、という説明で、歯切れはあまりよろしくない、と感じたことがあり、少々気になった。
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