♣️三年待った。三年も待ったが翻訳されなかった。もう訳されることはないだろう。加賀山さんの翻訳で読みたかったが仕方がない。
円安影響で海外のベストセラーの版権が高くて採算が取れなくなり日本で翻訳されなくなるかもと、某出版社の編集者がつぶやいていた。
ルヘインの版権は高いんだろうなと想像する。
♠️アメリカミステリの巨匠デニス・ルヘインの2023年の小説。1974年のボストンバス通学危機を背景に、娘の失踪で悲嘆する母親が、振りかかる艱難を払い獣性に目醒め、強敵に一矢報いようとする物語。
ちなみにハードカバー版の表紙は、Eugene Richardsの写真が使われている。サウスボストン高校のすぐ前で行われたバス通学反対運動最中の写真らしい。
♥️1974年の夏、ボストンは猛暑に見舞われる。
この年、ボストンはある出来事で揺れていた。W・アーサー・ギャリティJr連邦判事は、公立学校における人種隔離は違憲であり撤廃すべしと、ある命令を下す。
それは黒人の公立学校ロクスベリー校と白人の公立学校サウスボストン校の生徒を大半を入れ替えるスクールバス通学の強制導入だった。
ボストンにおける人種統合を図り、黒人が受ける公教育の質を上げる画期的な試みだった。しかし、これが長きに渡るボストンバス通学危機へと発展する。
アイルランド系労働者階級の住む町「サウシー」ことサウス・ボストンの公営住宅で生まれ育ったメアリー・パット・フェネシーは貧しい日々の生活に追われながら娘と二人で仲良く暮らしていた。
二人の夫に去られ、愛する息子はベトナム帰還後、薬物で死に、美しい娘の成長だけが今の彼女の生き甲斐だった。
そんな17歳の娘ジュールスがロクスベリー校行のバス通学の対象になり不満と不安に苛立っていた1974年夏のある夜、ジュールスがボーイフレンドと外出したまま、帰って来なくなる。
娘まで失ったらもう生きていけない。
ボーイフレンドや、いつもつるんでる友人を訪ね、行方不明の娘を必死に探すメアリー・パット。
折しも、彼女の職場の同僚であった黒人女性の息子が電車に轢かれて死亡する事件が発生。
夜の地下鉄で白人の男女四人組に追いかけられている黒人青年が目撃されていた。
事件を捜査するボビー・コイン刑事は四人組の一人と思われるジュールスを探して母親のもとを訪れる。
失踪した娘と死んだ黒人青年、二つの事件の背後には
サウシーの裏社会を牛耳る顔役マーティー・バトラーと情け容赦ない強面の部下たちが見え隠れする。
メアリー・パットは愛娘を見つけ、コイン刑事は事件の真相に辿りつく事ができるのか?
♦️『運命の日』と『愛しき者はすべて去りゆく』を掛け合わせたような物語といえば、この小説の雰囲気を分かってもらえるだろうか? 近年のコスビーやホワイトヘッドの黒人ノワール作品に対するベテラン白人作家からの返歌とも読めそう。
ボストン強制バス通学は、高潔な理念と浅ましい欺瞞が入り混じる。目的は正しいが手段は間違っていたという意見が多いようだ。
白人サイドでは常に暴動がおき、判決を下したギャリティJr連邦判事は二度も暗殺されそうになる。
金に余裕のある白人はボストンから郊外に引っ越す、または私立校に入ることで地区から脱出。そのため公立学校の財政基盤が弱体化し、かえって白黒教育格差が増大してしまう。アメリカの人種差別は根深い。
インタビューでルヘインは本のこの物語の着想を明かしている。
一つは、バーで女性が男性を殴っているのを見た事。二つは、メキシコ人女性が娘を殺した麻薬カルテルのメンバーを追い詰めたという話を聞いた事。
二つのエピソードを70年代の人種問題に揺れるボストンを舞台に、大好きなノワール映画『狙撃者』(テッド・ルイス『ゲット・カーター』原作。マイケル・ケイン主演映画)のような復讐物語にしたら?
こうしてルヘインの頭の中で"Small Mercies"は出来上がる。
ルヘインの描くメアリー・パットは最初はタフだが「弱い」存在として描かれる。誰も娘の捜索を協力してくれず、唯一信頼していた古くから付き合いのある男友達からも邪険扱われ、彼女の孤独が深くなる。
中盤には娘の「死」を知り、無気力になってしまう。
しかし、彼女の身体の中には忍耐強く、食えないアイルランド人の血が流れている。失意のどん底で無理矢理、反バス通学デモに参加させられたのを機に彼女の中で、眠っていた獣性が呼び覚まされる。
失うものが無くなり無敵の人となったメアリー・パットは、地下鉄事件について何も答えようとしない証人二人を追い詰める。キャンタマとサオをきり落とすぞ、と脅し、売人に薬物をしこたま注射して事件の真相を自白させ、闇に葬ろうとするマーティー・バトラーのビジネスを燃やし、恥をかかせる。後半のメアリー・パットのバイオレンスな怒涛の活躍は痛快。
しかし、痛快なだけで終わらないのがルヘインだ。メアリー・パットは被害者の親だけでなく、加害者の親でもある。
黒人青年の弔問に訪れたメアリー・パットは、青年の両親から冷たく拒絶される。彼女の黒人差別意識が子供に引き継がれ、取り返しのきかない悲劇を引き起こしたことを指摘され、初めて自分の愚かさを痛感、懺悔する。
さらにどんでん返しが待ち受けている。残り3章でようやく"Small Mercies"の意味が分かる。子供には親の悪だけでなく、善もちゃんと受け継がれていたのだ。泣けてくる。
ラストはルヘインお得意の静寂と諦念に満ちている。されど小さな希望があり、それが胸にじんわりくる。
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