やってられない月曜日

やってられない、けれど、行かなきゃならない月曜日
モーツァルトって、こんなに不遇だったの?宮廷社会って、こんなにドロドロしてたの?とビックリ。現代市民社会、民主主義のありがたさよ。
ウィーンでいじめられて散々な目に遭ったのが嘘のように、イタリアに着いた二人はまだ主要都市のどこへも着かないうちに早くも人々の歓呼の声の大きさにとまどうほどであった。(p.119)
ドイツにいたときは生まれてからずっとヴォルフガングだったけど、姉さん、ここイタリアに来て、ぼくはアマデーオになったのさ。ついでに苗字もイタリア式にデ・モーツァルティーニというのはどうでしょう。へへへ (p.124)
彼はこのあと、生涯にわたってこの名前を大切にし、この名前で署名する。アマデーオをドイツ語に直せばアマデーウスだが、彼は一度もアマデーウスと署名したことはない。彼がイタリアから贈られたアマデーオという名を限りなく誇りにし大事にしたことは、法王から贈られた騎士勲章やボローニャのアッカデーミアの卒業免状、ヴェローナの楽長の称号などと同じで、その名は生涯変わらぬ彼の宝物となった。たとえドイツ人たちからボロくそに叩かれようが、彼は死ぬまで昂然としてアマデーオというイタリア語の署名を続けることになる。それは彼の誇りの象徴なのである。(p.127)
哀れとも思えるほどに成人後のモーツァルトの生涯には運もなければツキもなかった。
17歳でイタリア旅行から帰ると、そのあとの9年間はザルツブルグの地獄が待っていた。
25歳でそこから脱出し、ウィーンで独立する(失業楽師となる)が、彼の才能を嫉む多くの敵たちに取り囲まれていた。
この古今に稀有の天才には、帰るべき故郷というものがなかった。(p.222)




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