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モーツァルトって、こんなに不遇だったの?宮廷社会って、こんなにドロドロしてたの?とビックリ。現代市民社会、民主主義のありがたさよ。

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
  • モーツァルトは「アマデウス」ではない
  • by
  • 出版社:集英社
モーツァルトは「アマデウス」ではない
この著者の
ベートーヴェンとベートホーフェン―神話の終り
を読んで、モーツァルトとベートーヴェンの実像の差に興味を持った私。
これは読まねば!と図書館に予約して、待つこと数か月。人気があるんですね。

「アマデウス」ではない
とは、文字通り
「これは彼の名前ではない。後世の捏造!」
ということでした。
まずもって、この点にびっくりです。「今、流布している実像は、事実とずれているよ」の比喩的表現だろうと思っていたので。

洗礼の際、教会に登録された名前は、
★ヨアネス・クリストムス・ヴォルフガングス・テーオフィルス
これはラテン語での記録で、日常ドイツ語にすると、次のようになるそうです。
★ヨハン・クリゾストムス・ヴォルフガング・テーオフィール

では、「アマデウス」とは何か?というと、モーツァルト14歳のとき(1769年12月~1770年)のイタリア訪問がきっかけでした。
ウィーンでいじめられて散々な目に遭ったのが嘘のように、イタリアに着いた二人はまだ主要都市のどこへも着かないうちに早くも人々の歓呼の声の大きさにとまどうほどであった。(p.119)

このとき、音楽の聖地・ヴェローナの新聞は、

★アマデーオ・ヴォロフガンゴ・モーツァルト
への称賛記事を大々的に掲載し、イタリアにおいて、モーツァルトの名前はこの表記、もしくは
★アマデーオ・モーツァルト
と表記され、流布していったのでした。
当時のモーツァルトが姉のナナールに宛てた手紙には
ドイツにいたときは生まれてからずっとヴォルフガングだったけど、姉さん、ここイタリアに来て、ぼくはアマデーオになったのさ。ついでに苗字もイタリア式にデ・モーツァルティーニというのはどうでしょう。へへへ (p.124)

との一節もあるそうです。

このイタリア滞在中、彼はさまざまな称号、栄光を得るのですが、その際の名前にはすべて「アマデーオ (Amadeo)」
が入っていたとのこと。
彼はこのあと、生涯にわたってこの名前を大切にし、この名前で署名する。アマデーオをドイツ語に直せばアマデーウスだが、彼は一度もアマデーウスと署名したことはない。彼がイタリアから贈られたアマデーオという名を限りなく誇りにし大事にしたことは、法王から贈られた騎士勲章やボローニャのアッカデーミアの卒業免状、ヴェローナの楽長の称号などと同じで、その名は生涯変わらぬ彼の宝物となった。たとえドイツ人たちからボロくそに叩かれようが、彼は死ぬまで昂然としてアマデーオというイタリア語の署名を続けることになる。それは彼の誇りの象徴なのである。(p.127)

彼が生前、いかにドイツ人に「叩かれた」かは、ぜひ本書をお読みください。
ウィーンでマリア・テレジアに初めて謁見した「子ども」のときのエピソードのみが有名ですが、その後の彼の人生、ほんと、不遇だったようです。ドイツ語圏においては。
 哀れとも思えるほどに成人後のモーツァルトの生涯には運もなければツキもなかった。
 17歳でイタリア旅行から帰ると、そのあとの9年間はザルツブルグの地獄が待っていた。
 25歳でそこから脱出し、ウィーンで独立する(失業楽師となる)が、彼の才能を嫉む多くの敵たちに取り囲まれていた。
 この古今に稀有の天才には、帰るべき故郷というものがなかった。(p.222)

だからこそ、彼自身が「毒を盛られた」なんて書き残したわけですし、
実際、死の少し前まで、ロシアで雇ってもらう道を探っていたこともわかっています。

モーツァルトへの見方が、かなり変わりました。
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  • 掲載日:2021/01/20
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