hackerさん
レビュアー:
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福島原発を世界遺産にしようという動きが福島県にあることを、大都市に住む人たちは、どのくらい知っているのでしょうか。
ぱせりさんの書評で、この本のことを知りました。感謝いたします。
「日本最大のダムに沈んだ 岐阜県徳山村 最奥の集落に 一人、暮らし続けた女性」と本書の帯にありますが、廣瀬ゆきえさんという女性と徳山村の百年の軌跡を描いた本書の内容に関しては、最近このパターンが多いですが、内容を実にうまくまとめてある、ぱせりさんの書評を是非ご覧ください。私は、ぱせりさんの書評の補足のような形で、本書を通じて感じたことを述べさせてもらいます。
私事ですが、私の場合は廣瀬ゆきえさんとは違い、経済的理由により、20代で生まれ育った家や土地を離れざるをえなくなり、現在では、その地とは何の関係もない暮らしを続けています。ですから、いわゆる根無し草で、土地や家に対する執着みたいなものはありません。
ただ、最近東京から福島県の世帯数2千に満たない町に引っ越して、まず感じたことは、この地に長く住んでいる人たちの土地への愛着です。この地の、とあるタクシー運転手の女性によると、彼女は東京に若いころ出たことがあるそうですが、まず水が臭いこと、次に見知らぬ人間だらけなことに耐えられなかったそうです。「ここにいると、名前は知らなくても、知った顔ばかりなので、安心する」と彼女は言っていました。この感覚は、今まで大都市にしか住んだことがなく、周囲にエトランゼだらけなのが自然の状態だった、私には非常に新鮮でした。逆に、この地でエトランゼであることに、私は何の抵抗もありません。
これに限らないのですが、中央の視点と地方の視点、国の視点と個人の視点は違うということは、頭では理解していたものの、最近では実感となっています。本書のヒロインとも言うべき廣瀬ゆきえさんの生涯を追っていくと、彼女が中央の視点や国の視点と交わったのは、結局のところ、ダム建設による立ち退きを余儀なくされた晩年だけだったのでしょうし、それは理解などまったくできなかった視点なのだろうと思います。ただ、最後には自分より大きなものの意向に従った、あるいは従わざるをえなかったわけです。その背景には、彼女にとっての「家」の存在の大きさがあるのでしょう。
これも頭では理解していましたが、私の今住んでいる土地で生まれ、今でもそこに住んでいる者には、親戚縁者が実に多く、そんな遠い親戚のことまで、よく覚えていると、半ば呆れ半ば感心するのですが、それが自然な状態であるのが、何世代にもわたって続いていたことは間違いないでしょうし、背後には「家」や「一族」へのリスペクトという感覚が、少なくとも私などよりはずっと強いのだと思います。
ただ、第三者的に冷静に周囲を見渡すと、こういうコミュニティも確実に崩壊に向かっていることが感じられます。今の町の人口はピーク時の約4割になっているそうですし、親が80代、同居しているのは独身の60代という家庭も珍しくありません。大都市にいるとピンとこないかもしれませんが、これは日本全国で確実に進行していることですし、中央なり、国なりが、地方や個人の視点で物を考え、対策を立てることをしないと、その進行は止まらないと思います。そうは言っても、生まれ育った土地で一生を終えることに、高齢の町民の多くは不満を持っていないように感じます。ふり返って、廣瀬ゆきえさんの生涯に痛ましさを感じるのは、もし彼女がダム建設に直面せずに一生を、夫である司さんと暮らした家で全うできたのなら、それはそれで納得した人生だったのだろうと思ってしまうからです。人生の最後の方で、エトランゼの中に放り出されることのつらさは、原発被害により生まれ育った土地からの撤去を余儀なくされた高齢の人々と、同じであったことでしょう。
私は、生まれ育った環境以外は、人は自分の人生を選べるものですし、そうあるべきだと思っています。ただし、現実には、なかなかそうはならないことも事実で、「日本一のダム建設」などというお題目を振りかざされると、廣瀬ゆきえさんのような人が最後まで抗しきれなくても仕方のないことだと思います。ただ、このダムとて、誰か若しくはどこかの会社の私利私欲がからんでいなかったはずがありません。福島原発の最近の話題というと、汚染水の海洋放出の問題ですが、この件で「丁寧な説明」という言葉が「会社のために少し時間をかけた押しつけ」と聞こえてしまうのは、私だけではないと思います。
長々と書いてしまいました。レビューというよりエッセーになってしまいましたが、こういうことを考えさせてくれる本です。ぜひ、ご一読ください。
最後ですが、最近のローカル・ニュースで初めて知ったのですが、福島県で福島第一原発を世界遺産にしようという動きがあるそうです。先日、所用で上京した時に、知り合いにこの話をしたら、誰も知りませんでした。東京ではほとんどニュースになっていないようです。原爆ドームが世界遺産なら、福島第一原発がそうなっても何の不思議もありませんが、原爆ドームの場合も原爆の遺産として残すことが決まるのに17年の議論があったとのことで、そんなに簡単に決定できることではないこともしっかり報じられていました。こういうことが、全国版のニュースにならないこと自体が、この国の抱える問題を象徴しているように思います。
「日本最大のダムに沈んだ 岐阜県徳山村 最奥の集落に 一人、暮らし続けた女性」と本書の帯にありますが、廣瀬ゆきえさんという女性と徳山村の百年の軌跡を描いた本書の内容に関しては、最近このパターンが多いですが、内容を実にうまくまとめてある、ぱせりさんの書評を是非ご覧ください。私は、ぱせりさんの書評の補足のような形で、本書を通じて感じたことを述べさせてもらいます。
私事ですが、私の場合は廣瀬ゆきえさんとは違い、経済的理由により、20代で生まれ育った家や土地を離れざるをえなくなり、現在では、その地とは何の関係もない暮らしを続けています。ですから、いわゆる根無し草で、土地や家に対する執着みたいなものはありません。
ただ、最近東京から福島県の世帯数2千に満たない町に引っ越して、まず感じたことは、この地に長く住んでいる人たちの土地への愛着です。この地の、とあるタクシー運転手の女性によると、彼女は東京に若いころ出たことがあるそうですが、まず水が臭いこと、次に見知らぬ人間だらけなことに耐えられなかったそうです。「ここにいると、名前は知らなくても、知った顔ばかりなので、安心する」と彼女は言っていました。この感覚は、今まで大都市にしか住んだことがなく、周囲にエトランゼだらけなのが自然の状態だった、私には非常に新鮮でした。逆に、この地でエトランゼであることに、私は何の抵抗もありません。
これに限らないのですが、中央の視点と地方の視点、国の視点と個人の視点は違うということは、頭では理解していたものの、最近では実感となっています。本書のヒロインとも言うべき廣瀬ゆきえさんの生涯を追っていくと、彼女が中央の視点や国の視点と交わったのは、結局のところ、ダム建設による立ち退きを余儀なくされた晩年だけだったのでしょうし、それは理解などまったくできなかった視点なのだろうと思います。ただ、最後には自分より大きなものの意向に従った、あるいは従わざるをえなかったわけです。その背景には、彼女にとっての「家」の存在の大きさがあるのでしょう。
これも頭では理解していましたが、私の今住んでいる土地で生まれ、今でもそこに住んでいる者には、親戚縁者が実に多く、そんな遠い親戚のことまで、よく覚えていると、半ば呆れ半ば感心するのですが、それが自然な状態であるのが、何世代にもわたって続いていたことは間違いないでしょうし、背後には「家」や「一族」へのリスペクトという感覚が、少なくとも私などよりはずっと強いのだと思います。
ただ、第三者的に冷静に周囲を見渡すと、こういうコミュニティも確実に崩壊に向かっていることが感じられます。今の町の人口はピーク時の約4割になっているそうですし、親が80代、同居しているのは独身の60代という家庭も珍しくありません。大都市にいるとピンとこないかもしれませんが、これは日本全国で確実に進行していることですし、中央なり、国なりが、地方や個人の視点で物を考え、対策を立てることをしないと、その進行は止まらないと思います。そうは言っても、生まれ育った土地で一生を終えることに、高齢の町民の多くは不満を持っていないように感じます。ふり返って、廣瀬ゆきえさんの生涯に痛ましさを感じるのは、もし彼女がダム建設に直面せずに一生を、夫である司さんと暮らした家で全うできたのなら、それはそれで納得した人生だったのだろうと思ってしまうからです。人生の最後の方で、エトランゼの中に放り出されることのつらさは、原発被害により生まれ育った土地からの撤去を余儀なくされた高齢の人々と、同じであったことでしょう。
私は、生まれ育った環境以外は、人は自分の人生を選べるものですし、そうあるべきだと思っています。ただし、現実には、なかなかそうはならないことも事実で、「日本一のダム建設」などというお題目を振りかざされると、廣瀬ゆきえさんのような人が最後まで抗しきれなくても仕方のないことだと思います。ただ、このダムとて、誰か若しくはどこかの会社の私利私欲がからんでいなかったはずがありません。福島原発の最近の話題というと、汚染水の海洋放出の問題ですが、この件で「丁寧な説明」という言葉が「会社のために少し時間をかけた押しつけ」と聞こえてしまうのは、私だけではないと思います。
長々と書いてしまいました。レビューというよりエッセーになってしまいましたが、こういうことを考えさせてくれる本です。ぜひ、ご一読ください。
最後ですが、最近のローカル・ニュースで初めて知ったのですが、福島県で福島第一原発を世界遺産にしようという動きがあるそうです。先日、所用で上京した時に、知り合いにこの話をしたら、誰も知りませんでした。東京ではほとんどニュースになっていないようです。原爆ドームが世界遺産なら、福島第一原発がそうなっても何の不思議もありませんが、原爆ドームの場合も原爆の遺産として残すことが決まるのに17年の議論があったとのことで、そんなに簡単に決定できることではないこともしっかり報じられていました。こういうことが、全国版のニュースにならないこと自体が、この国の抱える問題を象徴しているように思います。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- ぱせり2021-12-16 13:02
中央の視点と地方の視点、国の視点と個人の視点。そんなふうに考えてみませんでした。
hackerさんの体験からの言葉、心に残ります。どちらの立場にも公平であろうとしているからだと思います。
私は、ゆきえさんのような生き方はしたくないけれど、それでも、この本を読んでいると、彼女の気持ちに寄り添いたくなりました。
人のささやかな幸福って、ほんとにそれぞれですね。ゆっくり話をきかないと、善意で相手の当たり前の暮らしを踏みにじることにもつながりそうな気がします。
福島原発を世界遺産に、という話は全く知りませんでした。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - hacker2021-12-16 13:38
ぱせりさん、コメントありがとうございます。
fairという概念がとても重要なことは、欧米人と接していて学んだことですが、日本人にはこの感覚が薄いような気がするのは、社会的地位から人間としての上下関係を決めてしまうことが、よくあるせいだと思います。葵の御紋の伝統が生きているのでしょう。ですから、日本社会の中でも、個人的にはfairであることを心がけてきたつもりなので、ぱせりさんのコメントは嬉しいものがありました。そうは言っても、自分の偏見の排除も含め、どこまで実践できたかは別の話で、なかなか難しいことなのですが....。
ぱせりさんには、いつもながらですが、良い本を教えてもらい、感謝しています。今後とも、よろしくお願いします。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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