hackerさん
レビュアー:
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歴史を作り上げ、歴史が忘れ去った無数の人間たちを、メルボルンで≪カフェ・シェヘラザード≫を営む老夫婦と常連客、ユダヤ人のホロコースト「生存者」たちが語る、20世紀前半を時代背景にした千夜一夜物語です。
かもめ通信さんの書評で、この本のことを知りました。感謝いたします。
メルボルンに実在した≪カフェ・シェヘラザード≫を舞台に、実際にそこの経営者だったエイヴラムとマーシャという老夫婦、そして、店の常連客であるヨセル、ザルマン、ライゼルなど、ユダヤ人のホロコースト「生存者」たちと、彼らが生きているうちに話を聞いて本にまとめようとしている「ぼく」マーティンが、本書の語り部です。語られているのは、もちろん、ユダヤ人の苦難の人生ではあるのですが、それだけでなく、20世紀、特にその前半部分の、現在となっては忘れ去られた無数の人間一人一人が経験した歴史というものを強く感じさせます。
「ぼくらが≪シェヘラザード≫のテーブルに座り、飲み物を飲み、議論を交わし、おしゃべりをしているあいだにも、この古老の男たちは過ぎ去っていく、ひとり、またひとりと、この世を去っていく(中略)
その主といっしょに墓穴のなかへ消えていく前に、語ってもらいたくてうずうずしている物語がある、人に聞かれることを、待ち望んでいる話がある」
しばしば過去が現在形で語られる、本書の物語は、まず、ロシア革命から始まります。
「彼(エイヴラム)は今夜も語っている、20世紀が本当に始まったのは、1905年のことなんだ、と。あの血気盛んな男たち、女たちが帝政ロシアの表通りを練り歩き、『ドロイ、ニコライ!ドロイ、ニコライ!』、つまり『皇帝ニコライ打倒!』と叫んだ、あの年に」
20世紀は、共産主義の誕生で始まり、その終焉と共に終わりを告げたというのは、私が常々感じていることで、エイヴラムのこの述懐には、共感しました。同時に、本書を読んでいて、あらためて思うことは、20世紀はユダヤ人の世紀でもあった、ということです。おそらく、過去の歴史において、ホロコーストに限らず、様々な文明・文化の分野においても、ユダヤ人がこれだけ表舞台に出てきた世紀はなかったのではないでしょうか。
ただ、本書の登場人物が語る、痛ましい体験については、あえて触れないでおきます。本書で、私が最も感銘を受けたのは、それよりも、家族を全員殺されたエイヴラムが反ナチのパルティザンとなって、森に潜伏しレジスタンス運動をしている時の残虐行為について触れている部分です。
例えば、親ナチというわけではなかったものの、自ら武装していて、パルティザンが近づくと攻撃をしかけ、パルティザン側に犠牲者を出していた村を、ソ連の指示によって襲撃する場面の描写があります。
「真夜中に攻撃を開始した。パルティザンたちは、家、馬車、柵、厩舎に火を放って回った。焼け死ぬ家畜の鳴き声が銃声と炎の轟音に入り混じった。たてがみに火がついた馬たちが、水飲み場めがけて突進した。パルティザンたちのあいだに狂気が伝染する。狩られる者が狩る側に回ったのだ。
こうして、穏やかな家庭の父親が無差別殺人者になった。かって敬虔なユダヤ教の学徒だった者が、復讐の怒号を吐き散らした。若い男たちは、愛する家族の名を叫びながら、捕虜たちを死ぬまで打ち据えた。パルティザンの女たちは、燃え続ける炎の中から上がる子どもたちの泣き声に無感覚となった。東の空が白み始めるまでに、村の男たち、女たち、子供たちはひとり残らず殺害されていた」
別の個所で、次のような描写もあります。
「さかりのついた獣のように敵方の女にのしかかっていったパルティザンたちの記憶、あのときパルティザンたちは、恐怖におののく一家に銃口を向け、父親の前に立って命乞いする少年にも銃口を向けた。母親は娘の前に立ち、強姦の欲望から娘を守ろうとした、その一部始終を見ていたのは、当時19歳、アヴラム(エイヴラム)という名の若者だった」
エイヴラムは、「ぼく」に対し、こう話します。
「なあ、教えてくれ。ああいう場所を生き延びてきて、それで怒りを感じない人間なんているだろうか?あれらすべてから抜け出してきて、どうやって正気のままでいられるんだ?」
私は、ゲットーを経験したユダヤ人が、ガザというゲットーにパレスチナ人を押し込めて平気でいる、少なくともそう見えることに絶望を感じるのですが、本書を読むと、納得するとは言いませんが、イスラエル建国に携わった世代及びその子供たちが「敵」に対してどういう感情を持っていたかは理解できます。
どんな国、どんな民族であれ、自分たちが何をされたかについては雄弁でも、何をしたかについては寡黙になるものですが、本書の素晴らしいところは、それをごまかそうとしていない点です。本書は、20世紀前半は、憎悪と、そこから生まれた戦争の時代であったこと、被害者は容易に加害者になれることを、被害を受けた「生存者」たちの視点から語っているのです。結局のところ、憎悪と戦争の連鎖が、本来の「敵」以外に憎しみをぶつけるようになるのでしょう。
しかし、世界大戦が終わり、1949年2月にパリで再開を果たしたエイヴラムとマーシャは、二人で行こうと誓ったキャバレー≪シェヘラザード≫、それは1938年から39年にかけてのパリの亡命ユダヤ人を描いたレマルクの小説『凱旋門』(1946年)で、ラヴィックとジョアンという恋人同士が安らぎを求める場所なのですが、そこで過ごした夕べのことを思い出す時を、作者は次のように語っています。
「≪シェヘラザード≫は彼らを裏切らなかった。ロマ人たちのオーケストラは、やはり彼らを待っていてくれた。シャンペンのボトル一本を頼むだけで、彼らは薄暗がりのなか、ボックス席に居続けることもできたし、バイオリンの音色に合わせてフロアに躍り出ることもできた。それは社会の外べりに住んで、人間の残虐さとロマンスの双方を味わい尽くし、そして人間の救い、永遠の家は愛のなかにしかないことを深くわきまえた彼ら、ロマ人ならではのメロディーであった」
そして、悲劇に終わった『凱旋門』の主人公たちとは違い、エイヴラムとマーシャは、遠くオーストラリアの地で安寧を見出し、「ぼく」に自分たちの話をするようになったのです。
ただ、私が最も共感したのは、ザルマンという人物の次の言葉です。これは、私が歩んできた人生を総括したような言葉だからです。
「わたしは、それぞれの国家の歌などというものに、あるとき以来、とんと関心がなくなった。国とか民族とかいったものにもね。自分が何者かっていう真実は、別のところにある。見知らぬ海をさまよいながら、各人が内側の人生を整える、そのやり方にあるんです」
本書の作者アーノルド・ゼイブルは、1947年にニュージーランドでポーランド系ユダヤ人の難民の子供として生まれ、幼少期にオーストリアに移住しました。1982年に処女作を発表し、21世紀最初の年である2001年に、20世紀を振り返る本書を発表しています。英文 Wikipedia によると、10冊以上の本を出版していますが、翻訳されているのは本書だけのようなのは残念です。
なお、本書には、1940年7月から8月にかけて、ユダヤ人に対して大量のビザを発給したことで知られる杉原千畝も登場し、実際に、そのビザによって救われた≪カフェ・シェヘラザード≫の常連客も出てきますが、訳者は、杉原千畝にビザを申請したユダヤ人たちが本当に恐れていたのは、ナチスより、共産主義の原則に従い富の分配をしかねなかったソ連政府だったのではないかという疑問を投げかけています。これには、私も賛成で、その時点ではユダヤ人に対するナチスの残虐行為は広く知れ渡っていなかったはずだからです。それは、ノーベル文学賞を受けたケルテース・イムレの自らのアウシュビッツ体験を綴った『運命ではなく』(1975年)を読んでも分かります。
『運命ではなく』は「ホロコースト文学の大半が、体験時には分からなかったはずの事実まで、分かっていたように扱っているのに違和感を感じていた」と作者が語っているように、後に仕入れた知識を排除して、収容所を経験した当時の少年の感情をそのまま再現しようとした稀有な作品で、主人公の収容所へ送られる際の危機感のなさが印象的なのですが、ナチスの残虐行為が広く知られるようになったのは戦後になってからだということは、事実だと思います。
さて、こういう時代と、そこに生きた人間たちを描いた本書ですが、翻って、我々が21世紀を語るためには22世紀を待たなければならないのでしょうか。だとすると、人間の学びの遅さは絶望的です。なぜ、我々は過去から学ぶのに、こんなに時間をかけなけばならないのでしょうか。そんな思いを、読後は持ちました。
メルボルンに実在した≪カフェ・シェヘラザード≫を舞台に、実際にそこの経営者だったエイヴラムとマーシャという老夫婦、そして、店の常連客であるヨセル、ザルマン、ライゼルなど、ユダヤ人のホロコースト「生存者」たちと、彼らが生きているうちに話を聞いて本にまとめようとしている「ぼく」マーティンが、本書の語り部です。語られているのは、もちろん、ユダヤ人の苦難の人生ではあるのですが、それだけでなく、20世紀、特にその前半部分の、現在となっては忘れ去られた無数の人間一人一人が経験した歴史というものを強く感じさせます。
「ぼくらが≪シェヘラザード≫のテーブルに座り、飲み物を飲み、議論を交わし、おしゃべりをしているあいだにも、この古老の男たちは過ぎ去っていく、ひとり、またひとりと、この世を去っていく(中略)
その主といっしょに墓穴のなかへ消えていく前に、語ってもらいたくてうずうずしている物語がある、人に聞かれることを、待ち望んでいる話がある」
しばしば過去が現在形で語られる、本書の物語は、まず、ロシア革命から始まります。
「彼(エイヴラム)は今夜も語っている、20世紀が本当に始まったのは、1905年のことなんだ、と。あの血気盛んな男たち、女たちが帝政ロシアの表通りを練り歩き、『ドロイ、ニコライ!ドロイ、ニコライ!』、つまり『皇帝ニコライ打倒!』と叫んだ、あの年に」
20世紀は、共産主義の誕生で始まり、その終焉と共に終わりを告げたというのは、私が常々感じていることで、エイヴラムのこの述懐には、共感しました。同時に、本書を読んでいて、あらためて思うことは、20世紀はユダヤ人の世紀でもあった、ということです。おそらく、過去の歴史において、ホロコーストに限らず、様々な文明・文化の分野においても、ユダヤ人がこれだけ表舞台に出てきた世紀はなかったのではないでしょうか。
ただ、本書の登場人物が語る、痛ましい体験については、あえて触れないでおきます。本書で、私が最も感銘を受けたのは、それよりも、家族を全員殺されたエイヴラムが反ナチのパルティザンとなって、森に潜伏しレジスタンス運動をしている時の残虐行為について触れている部分です。
例えば、親ナチというわけではなかったものの、自ら武装していて、パルティザンが近づくと攻撃をしかけ、パルティザン側に犠牲者を出していた村を、ソ連の指示によって襲撃する場面の描写があります。
「真夜中に攻撃を開始した。パルティザンたちは、家、馬車、柵、厩舎に火を放って回った。焼け死ぬ家畜の鳴き声が銃声と炎の轟音に入り混じった。たてがみに火がついた馬たちが、水飲み場めがけて突進した。パルティザンたちのあいだに狂気が伝染する。狩られる者が狩る側に回ったのだ。
こうして、穏やかな家庭の父親が無差別殺人者になった。かって敬虔なユダヤ教の学徒だった者が、復讐の怒号を吐き散らした。若い男たちは、愛する家族の名を叫びながら、捕虜たちを死ぬまで打ち据えた。パルティザンの女たちは、燃え続ける炎の中から上がる子どもたちの泣き声に無感覚となった。東の空が白み始めるまでに、村の男たち、女たち、子供たちはひとり残らず殺害されていた」
別の個所で、次のような描写もあります。
「さかりのついた獣のように敵方の女にのしかかっていったパルティザンたちの記憶、あのときパルティザンたちは、恐怖におののく一家に銃口を向け、父親の前に立って命乞いする少年にも銃口を向けた。母親は娘の前に立ち、強姦の欲望から娘を守ろうとした、その一部始終を見ていたのは、当時19歳、アヴラム(エイヴラム)という名の若者だった」
エイヴラムは、「ぼく」に対し、こう話します。
「なあ、教えてくれ。ああいう場所を生き延びてきて、それで怒りを感じない人間なんているだろうか?あれらすべてから抜け出してきて、どうやって正気のままでいられるんだ?」
私は、ゲットーを経験したユダヤ人が、ガザというゲットーにパレスチナ人を押し込めて平気でいる、少なくともそう見えることに絶望を感じるのですが、本書を読むと、納得するとは言いませんが、イスラエル建国に携わった世代及びその子供たちが「敵」に対してどういう感情を持っていたかは理解できます。
どんな国、どんな民族であれ、自分たちが何をされたかについては雄弁でも、何をしたかについては寡黙になるものですが、本書の素晴らしいところは、それをごまかそうとしていない点です。本書は、20世紀前半は、憎悪と、そこから生まれた戦争の時代であったこと、被害者は容易に加害者になれることを、被害を受けた「生存者」たちの視点から語っているのです。結局のところ、憎悪と戦争の連鎖が、本来の「敵」以外に憎しみをぶつけるようになるのでしょう。
しかし、世界大戦が終わり、1949年2月にパリで再開を果たしたエイヴラムとマーシャは、二人で行こうと誓ったキャバレー≪シェヘラザード≫、それは1938年から39年にかけてのパリの亡命ユダヤ人を描いたレマルクの小説『凱旋門』(1946年)で、ラヴィックとジョアンという恋人同士が安らぎを求める場所なのですが、そこで過ごした夕べのことを思い出す時を、作者は次のように語っています。
「≪シェヘラザード≫は彼らを裏切らなかった。ロマ人たちのオーケストラは、やはり彼らを待っていてくれた。シャンペンのボトル一本を頼むだけで、彼らは薄暗がりのなか、ボックス席に居続けることもできたし、バイオリンの音色に合わせてフロアに躍り出ることもできた。それは社会の外べりに住んで、人間の残虐さとロマンスの双方を味わい尽くし、そして人間の救い、永遠の家は愛のなかにしかないことを深くわきまえた彼ら、ロマ人ならではのメロディーであった」
そして、悲劇に終わった『凱旋門』の主人公たちとは違い、エイヴラムとマーシャは、遠くオーストラリアの地で安寧を見出し、「ぼく」に自分たちの話をするようになったのです。
ただ、私が最も共感したのは、ザルマンという人物の次の言葉です。これは、私が歩んできた人生を総括したような言葉だからです。
「わたしは、それぞれの国家の歌などというものに、あるとき以来、とんと関心がなくなった。国とか民族とかいったものにもね。自分が何者かっていう真実は、別のところにある。見知らぬ海をさまよいながら、各人が内側の人生を整える、そのやり方にあるんです」
本書の作者アーノルド・ゼイブルは、1947年にニュージーランドでポーランド系ユダヤ人の難民の子供として生まれ、幼少期にオーストリアに移住しました。1982年に処女作を発表し、21世紀最初の年である2001年に、20世紀を振り返る本書を発表しています。英文 Wikipedia によると、10冊以上の本を出版していますが、翻訳されているのは本書だけのようなのは残念です。
なお、本書には、1940年7月から8月にかけて、ユダヤ人に対して大量のビザを発給したことで知られる杉原千畝も登場し、実際に、そのビザによって救われた≪カフェ・シェヘラザード≫の常連客も出てきますが、訳者は、杉原千畝にビザを申請したユダヤ人たちが本当に恐れていたのは、ナチスより、共産主義の原則に従い富の分配をしかねなかったソ連政府だったのではないかという疑問を投げかけています。これには、私も賛成で、その時点ではユダヤ人に対するナチスの残虐行為は広く知れ渡っていなかったはずだからです。それは、ノーベル文学賞を受けたケルテース・イムレの自らのアウシュビッツ体験を綴った『運命ではなく』(1975年)を読んでも分かります。
『運命ではなく』は「ホロコースト文学の大半が、体験時には分からなかったはずの事実まで、分かっていたように扱っているのに違和感を感じていた」と作者が語っているように、後に仕入れた知識を排除して、収容所を経験した当時の少年の感情をそのまま再現しようとした稀有な作品で、主人公の収容所へ送られる際の危機感のなさが印象的なのですが、ナチスの残虐行為が広く知られるようになったのは戦後になってからだということは、事実だと思います。
さて、こういう時代と、そこに生きた人間たちを描いた本書ですが、翻って、我々が21世紀を語るためには22世紀を待たなければならないのでしょうか。だとすると、人間の学びの遅さは絶望的です。なぜ、我々は過去から学ぶのに、こんなに時間をかけなけばならないのでしょうか。そんな思いを、読後は持ちました。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- noel2021-05-31 20:00
>後に仕入れた知識を排除して、収容所を経験した当時の少年の感情をそのまま再現しようとした稀有な作品
本日、たまたまBSでナチスとユダヤ人の虐殺、ユダヤ人のパレスティナへのヒマラヤを越えての侵入、難民化の話を映像付きで放映していました。その意味では、当時の国々はロシアも含めてまだなにも知っていなかったと思えます。したり顔に言うのは、それら資料の類を漁った後追い的ジャーナリズム、後出しジャンケン的視点のみです。かつてのなんとか新聞のように日本軍が強制的に「慰安婦」とした人たちが「いた」とする知識もまた後付けの「歴史」のように思えます。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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