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かもめ通信
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メルボルンのカフェで苦いコーヒーを飲んでいたつもりだったのに、いつの間にか酔わずにはいられなくなり、気がつけば頬が濡れていた。
メルボルン、セント・ギルダのアクランド通りに一軒のカフェがある。
その名は「シェヘラザード」。

古き世界の語りに満ちたこのカフェには、千と一つの夜があっても語り尽くせないほどの無数の物語がある。
中でも人を惹きつけるのが1958年、エイヴラムとマーシャの二人がなぜこの店の名を<シェヘラザード>にしたのかという長い長い物語なのだ。

かつて実在したというカフェを舞台としたこの物語は、実話をベースにしているものの、ジャーナリストのマーティンが、その店に集まってくる元ポーランド・ユダヤ移民・難民たちの往年の思い出に耳を傾けるという設定で語りあげられるフィクションだ。

すっかり店の顔なじみになったマーティンは、皆の話に耳を傾けながら、それぞれの言語に独自のメロディー、際立ったトーンがあるように思う。
ポーランド語とロシア語は冷たく川のように流れる。
ドイツ語は、その多音節とともに,壮麗な抽象観念に向けて手を伸ばしているよう。
さらに彼の耳は、ハンガリー語やルーマニア語の片言と何語なのかさえわからないいくつかの言葉を聞きとる。
いろいろなアクセントと言葉遣いで味付けされた英語の無数の変種も。
もちろんメインディッシュはイディッシュ語だ。
荒れ狂う風を突き、無謀に飛び続けることで推進力を得ているような、あわただしい言語。


ひとりひとりに語るべきものがたりがある。
多くの町々が登場し、そのひとつひとつが語り手にとって、様々な理由で忘れがたい土地であることを知る。
思わず地図を開いて、彼らの道程を指でたどる。

ポーランドを脱出し、リトアニア・ヴィルニュスでの生活を経て、シベリアを横断し、日本の神戸や日本軍政下の上海を経て、戦後ようやくオーストリアに渡った人たち。

シベリアや北極地帯で強制労働に従事しながら、辛くも生き延びた人。

カザフスタンやウズベキスタンでなんとか戦時をやりすごすも、帰る場所を失った人々。

リトアニアで抵抗運動に携わりながら、ジェノサイドを奇跡的に生き延びた人。

休日の朝、まずは一杯の珈琲程度と立ち寄ってみたら、次から次へと語り手が現れて思い出話を繰り返す。
故郷の喪失、戦争の後遺症……。
物語がどんどん流れ込んできて、カップの中のコーヒーがいつまでたってもなくならず、席を立つことができない。

メルボルンのカフェで苦いコーヒーを飲んでいたつもりだったのに、いつの間にか酔わずにはいられなくなり、気がつけば頬が濡れていた。
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かもめ通信
かもめ通信 さん本が好き!免許皆伝(書評数:2236 件)

本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。

読んで楽しい:5票
素晴らしい洞察:2票
参考になる:30票
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この書評へのコメント

  1. かもめ通信2021-05-19 05:49

    「私のおじいちゃんはガザを爆撃するためにアウシュビッツを生き延びたわけじゃない」というプラカードをもった女性の写真(Twitterでの拾いもの)
    https://twitter.com/iPouya/status/1394048510496960517

  2. hacker2021-05-19 07:48

    この本は読んでみたいです。

    今、体調がイマイチなので、長編小説やヘビーな内容の本は敬遠しているのですが、徐々に回復しているので、来月になったら、手に取れそうです。

  3. noel2021-05-19 07:51


    言語にはその種族のもつ独特の快感があり、それがどんな言葉であれ、耳から得られる音楽であり、哲学の音なのだ。

  4. かもめ通信2021-05-19 08:13

    hackerさん、
    くれぐれもご自愛くださいといいつつ、
    hackerさんならきっとレマルクの『凱旋門』もご存じでしょうし、
    この本を別な側面からも読み解いていただけるのでは、
    と期待してしまう自分がいます。

    私はまだレマルクに手を伸ばそうかどうしようかと迷っているところなのですが。

  5. かもめ通信2021-05-19 08:15

    noelさん
    本当にそうですね。
    若い頃もっと語学を学んでおけば良かったといつも思います。

    同時に、様々な言語で書かれた書物を
    日本語で読める幸せも噛みしめているわけですが。

  6. hacker2021-05-31 19:04

    かもめ通信さん、レビューを載せました。よかったら、のぞいてみてください。

    素晴らしい本のご紹介ありがとうございました。おかげさまで、私の体調も、だいぶ回復してきたようです。

  7. かもめ通信2021-05-31 19:27

    読ませていただきました。
    hackerさんの素晴らしいレビューを拝読することが出来て本当にうれしいです。

    時々、どうして読んだ側からあれこれ書き散らかしているのだろう?と自分で自分の行為に首をかしげてしまうことがあるのですが、こういううれしい出会いがあるからなのだと、改めて思いました。

    お身体、くれぐれもご自愛くださいね。
    また近いうちに同じ本でご一緒できることを楽しみにしています。

  8. hacker2021-05-31 19:44

    こういう本も、じっくり読めるようになった、と自分で喜んでいます。重ねて、ありがとうございました。

    あと、かもめ通信さんは、書き散らかしてなんか、まったくいないと思います。

    また、いろいろな本を教えてください。

  9. No Image

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