書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

ぽんきち
レビュアー:
息子が父を殺すのか、父が息子を殺すのか。東と西が交わる地の神話的ラビリンス。
トルコ・イスタンブルに暮らす少年ジェムの父は、ある日、失踪する。
ハンサムな父は小さな薬局を経営していた。父はかつて、政治活動をしていて拘束されたこともあり、今回もそれ絡みかと思われた。しかし、母の怒りはすさまじく、失踪にはどうやら政治以外の理由があるようだった。

家計は火の車となり、ジェムは大学進学の資金を稼ぐため、危険な井戸掘りの仕事に志願する。
親方は厳しくも温かく、ジェムはその姿に、どことなく父の姿を重ねるようになる。父と似ているわけではなかったが、「父性」の象徴であるように思われたのだ。

井戸を掘る現場は、イスタンブルから遠く離れたオンギョレンという田舎の地だった。
仕事が終わって、親方やもう1人の助手と街に繰り出したある日、ジェムは赤い髪の美しい女とすれ違う。女はジェムを親しげに見つめる。街で興行する移動劇団の団員だった。
ジェムは年上の彼女に魅かれていく。
実は彼女は人妻だったのだが、ジェムの初めての女性となる。

水はなかなか出ず、施主からはあきらめるよう仄めかされた。けれども親方は頑として掘り続けた。もう1人の助手は引き払ってしまい、ジェムと親方は2人で作業にあたった。
厳しい仕事、高まる緊張。
そんな中、事故が起こる。ジェムは街に駆け下りた。赤い髪の彼女に助けを求めるつもりだったのだ。だが、彼らの劇団はすでにその地を去っていた。
動転したジェムは、そのまま、故郷へ逃げ帰ってしまう。
親方への負い目を心に抱えながら。

長じて、ひとかどの人物になったジェムは、長く封印していたオンギョレンの思い出と向き合うことになる。それが悲劇の始まりだった。

この物語の根底には、2つの古典的物語がある。
1つはギリシャ悲劇の「オイディプス王」。父を殺し、母と寝ると予言された悲劇の英雄の物語である。予言を恐れた父王は赤ん坊のオイディプスを殺そうとするが、不憫に思った従者が羊飼いに赤子を託し、彼は異国で成長する。その後、予言の通りのことが起こる。
もう1つはペルシャの詩人、フェルドースィーによる「王書」の中の勇者ロスタムの物語。ロスタムはかつて旅先でその地の王女と交わり、子をなしていた。あるものの奸計により、父と子は互いの正体を知らずに戦場で刃を交えることになる。一度は息子が優勢となるが、結果的には父が息子を討つ。そして若者が我が子であったと知るのだが、もう息子は虫の息だった。
トルコを挟み、西と東で生まれた2つの物語。一方では息子が父を殺し、一方では父が息子を殺す。そこには運命的な力が働いており、人は逃れることができないのだ。
過去を抱えるジェムはこの2つの物語の虜となる。
さて、ジェム自身の物語は父殺しの物語なのだろうか。それとも息子殺しの物語なのだろうか。

本作でもう1つ重要なのは、もちろん、タイトルの「赤い髪の女」である。
彼女はジェムにとってのファム・ファタールなのだが、読み進めていくにつれて、それだけではない大きな役割を彼女が果たしていることが明らかになってくる。
ロセッティの絵のような髪を持つ女は、父と息子、さらにその息子を結ぶ、1本の太い赤い糸でもあったのだ。

西と東が交錯するトルコ。その地を舞台とする、神話的な味わいもある物語である。
地の底に向かい、ぱっくりと開いた暗い穴。井戸を掘り進めるがごとく、深く、深く、張り巡らされた父と子の悲劇へと絡めとられる。
お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1828 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

読んで楽しい:3票
参考になる:32票
共感した:1票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. noel2021-06-07 16:43

    なんだかフロイトの本を読んでいるような気になるご書評でした。そういう神話的なものを下敷きにして書かれた小説というのはある意味、読み解きやすく、筋としても納得のいく物語に仕上がりそうです。

  2. ぽんきち2021-06-07 20:38

    noelさん

    井戸というのが何だか意味深な感じですよね。

    オイディプスは印象的なお話でたびたび舞台化などもされていますが、「王書」の方は本作で初めて知ったので、機会があったら読んでみたいと思っています。

  3. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『赤い髪の女』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ