かもめ通信さん
レビュアー:
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当たり前のようにあったものが取り去られたとき、人はどう生きるのか。
最初に失明した男がそれと気づいたのは、運転中のことだった。
赤信号で止まったはずだったのに。
目が見えない、目が見えないと絶望的にくりかえす男の視界は、まっ黒な闇ではなく、まっ白だったという。
次に失明したのはおそらく、車を盗んだ男だ。
その男は最初に失明した男を親切心から家に送り届けたつもりだったが、帰りに車を失敬することにしたのだった。
だがこの男も、盗難車を運転中に目の前が真っ白になる。
三番目が誰だったかという順番はさておいて、最初に失明した男を診察した眼科医や、病院にたまたま居合わせた結膜炎を患うサングラスをかけた若い女や、最初に失明した男を病院に運んだタクシーの運転手や、最初に失明した男の妻といった接触者が次々と失明、“白い悪魔”に囚われる。
原因不明のまま、伝染病のように感染が広がっていく。
慌てた政府はかつての精神病院を収容所にして、患者やその濃厚接触者の隔離をはじめる。
看護も介護もなく、現場の監督者もいない中で、突如視力を失った人たちの生活は日に日にすさんでいくしかなかった。
やがて施設内の治安は崩壊し、腕力と武力を手にした男たちが食糧を管理下におくことで、この社会を支配するようになる。
権力を手にした男たちは、食糧と交換に金目のものを要求し、それがつきると女たちの身体を要求した。
こうしたできごとは施設内にいた誰もが体験したことであったが、失明したふりをして眼科医の夫に付き添ってきた妻だけは、ただ一人、実際にその目で目撃していた。
自分の目はいったいいつ見えなくなるのだろうと思いながら。
見えなくなって夫をはじめ周囲の人々を手助けできなくなることを恐れながら。
いっそうのこと見えなくなった方が楽になれるかもしれないとさえ思いながら。
ポルトガル語圏初のノーベル賞受賞作家サラマーゴの代表作。
最近文庫化された上、感染症を題材にしているということで、ちょうどいま再注目を浴びている作品でもあるので、この機を逃したらまた積読山に埋もれてしまうと思い、思い切って手に取った。
実を言うと、かつて一度読みかけて挫折した本でもある。
サラマーゴの作品はこれまで、その邦訳本をいくつか読んできた。
彼の作品には、“ほとんど段落というものがなく、どのページにもびっしりと文字が並んでいる”とか“登場人物のほとんどに名前がない”とか、読みにくく、それでいてその世界に入り込むとなかなか抜け出せない独特のものがあると思っていたのだが、この本は最初からとても読みやすかった。
それは(本当にサラマーゴ?)と疑ってしまうほどだったので、もしやそれは英訳版からの重訳であるせいではないかと思ってためらっていたのだ。
ところが、今回読んでみてあらためて気づいたことは、読みやすくはあるけれど、やはり一筋縄ではいかない作品だということだった。
相変わらず登場人物には名前はないし、会話には「 」がついておらず地の文との区別がつきにくいし、サラマーゴ独特の文体をできるだけ忠実に訳そうと試みられていることは明らかで、私の懸念はあっというまに払拭されることになったのだった。
(こんなことなら、もっと早く読めば良かった!と思うのももはやお約束だ。)
感染症と病がもたらす恐怖、行き当たりばったりの隔離政策、モラルや秩序の崩壊……。
期せずして“コロナの時代”を生きることになった私にとっても、あれこれと考えさせられる作品だ。
そう思いながら、ページをめくる手が止められず一気に読んだ。
だが最終盤、私は自分の浅はかさに気づき、思わず目を見開いた。
ああそうか、これは単なるパンデミックの話ではなかったのだ。
見ようとぜず、あえて目をそらしてきたあれこれ、目をつぶってきたあれこれ……。
当たり前のようにあったものが取り去られたとき、人はどう生きるのか。
本を閉じ、物語を現代に置き換えて考えてみる。
コロナの脅威もさることながら、いまをどう生きのびるかということだけでなく、コロナ以後の社会をも見据えていかなければならないのだと考えたとき、私は思わずおののかずにはいられなかった。
<サラマーゴのその他の作品レビュー>
「あらゆる名前」
「複製された男」
「見知らぬ島への扉」
「ちっちゃな回想録」
「リカルド・レイスの死の年」
赤信号で止まったはずだったのに。
目が見えない、目が見えないと絶望的にくりかえす男の視界は、まっ黒な闇ではなく、まっ白だったという。
次に失明したのはおそらく、車を盗んだ男だ。
その男は最初に失明した男を親切心から家に送り届けたつもりだったが、帰りに車を失敬することにしたのだった。
だがこの男も、盗難車を運転中に目の前が真っ白になる。
三番目が誰だったかという順番はさておいて、最初に失明した男を診察した眼科医や、病院にたまたま居合わせた結膜炎を患うサングラスをかけた若い女や、最初に失明した男を病院に運んだタクシーの運転手や、最初に失明した男の妻といった接触者が次々と失明、“白い悪魔”に囚われる。
原因不明のまま、伝染病のように感染が広がっていく。
慌てた政府はかつての精神病院を収容所にして、患者やその濃厚接触者の隔離をはじめる。
看護も介護もなく、現場の監督者もいない中で、突如視力を失った人たちの生活は日に日にすさんでいくしかなかった。
やがて施設内の治安は崩壊し、腕力と武力を手にした男たちが食糧を管理下におくことで、この社会を支配するようになる。
権力を手にした男たちは、食糧と交換に金目のものを要求し、それがつきると女たちの身体を要求した。
こうしたできごとは施設内にいた誰もが体験したことであったが、失明したふりをして眼科医の夫に付き添ってきた妻だけは、ただ一人、実際にその目で目撃していた。
自分の目はいったいいつ見えなくなるのだろうと思いながら。
見えなくなって夫をはじめ周囲の人々を手助けできなくなることを恐れながら。
いっそうのこと見えなくなった方が楽になれるかもしれないとさえ思いながら。
ポルトガル語圏初のノーベル賞受賞作家サラマーゴの代表作。
最近文庫化された上、感染症を題材にしているということで、ちょうどいま再注目を浴びている作品でもあるので、この機を逃したらまた積読山に埋もれてしまうと思い、思い切って手に取った。
実を言うと、かつて一度読みかけて挫折した本でもある。
サラマーゴの作品はこれまで、その邦訳本をいくつか読んできた。
彼の作品には、“ほとんど段落というものがなく、どのページにもびっしりと文字が並んでいる”とか“登場人物のほとんどに名前がない”とか、読みにくく、それでいてその世界に入り込むとなかなか抜け出せない独特のものがあると思っていたのだが、この本は最初からとても読みやすかった。
それは(本当にサラマーゴ?)と疑ってしまうほどだったので、もしやそれは英訳版からの重訳であるせいではないかと思ってためらっていたのだ。
ところが、今回読んでみてあらためて気づいたことは、読みやすくはあるけれど、やはり一筋縄ではいかない作品だということだった。
相変わらず登場人物には名前はないし、会話には「 」がついておらず地の文との区別がつきにくいし、サラマーゴ独特の文体をできるだけ忠実に訳そうと試みられていることは明らかで、私の懸念はあっというまに払拭されることになったのだった。
(こんなことなら、もっと早く読めば良かった!と思うのももはやお約束だ。)
感染症と病がもたらす恐怖、行き当たりばったりの隔離政策、モラルや秩序の崩壊……。
期せずして“コロナの時代”を生きることになった私にとっても、あれこれと考えさせられる作品だ。
そう思いながら、ページをめくる手が止められず一気に読んだ。
だが最終盤、私は自分の浅はかさに気づき、思わず目を見開いた。
ああそうか、これは単なるパンデミックの話ではなかったのだ。
見ようとぜず、あえて目をそらしてきたあれこれ、目をつぶってきたあれこれ……。
当たり前のようにあったものが取り去られたとき、人はどう生きるのか。
本を閉じ、物語を現代に置き換えて考えてみる。
コロナの脅威もさることながら、いまをどう生きのびるかということだけでなく、コロナ以後の社会をも見据えていかなければならないのだと考えたとき、私は思わずおののかずにはいられなかった。
<サラマーゴのその他の作品レビュー>
「あらゆる名前」
「複製された男」
「見知らぬ島への扉」
「ちっちゃな回想録」
「リカルド・レイスの死の年」
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:日本放送出版協会
- ページ数:372
- ISBN:9784140055434
- 発売日:2008年05月30日
- 価格:1890円
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