darklyさん
レビュアー:
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本作品はもちろんグリコ・森永事件の真相についての作者の仮説であるが、作者にとって二重の意味で仮説の内容は重要ではない。
父親から引き継いだテーラーを経営する曽根俊也は家で探し物をしているときにテープを発見する。テープには自分の声をつなぎ合わせギン萬事件で使われたと思われる脅迫音声が記録されていた。ギン萬事件とは俊也が子供の頃食品業界をターゲットにした連続恐喝事件であり、未解決のまま時効を迎えた。
父がこの事件に関係がないことを証明したい俊也は父の友人の堀田に相談し調査を開始する。その中で左翼活動家であった俊也の記憶にはない伯父の存在が浮上する。
新聞社勤務の阿久津英士は年末企画としてギン萬事件の再調査を命じられる。ギン萬事件の4か月前に犯行モデルとして採用した可能性があるドイツで起こった「ハイネケン事件」を調査するためにロンドンに行ったが空振り。帰国後、犯行グループは株で儲けたという情報を得て仕手筋の調査を行う。
俊也と英士はそれぞれ調査を進めていく中でやがて二人は交わることになる。そして次第に事件の真相や事件に関係した人たちの消息も明らかになっていく。
勿論この物語はグリコ・森永事件をモチーフにしていますが事件が起こる4年ほど前まで私は西宮に住んでいました。日本は高度成長期にあり平均的に生活水準が向上していく中、子供心ながら関西地区のあまり裕福ではない地区に足を踏み入れる度、意味は分からないまでもなにか異界に足を踏み入れたような、底知れぬ闇の深さを感じた記憶は今でも消えません。そして犯人グループの使う関西弁がまさにその当時私がいた地域で使われている方言であり、さらに事件を身近に感じていました。
今でこそ格差というものがクローズアップされていますが、日本総中流と言われた時代に少数であったため目立たなかっただけで当時でも厳然と格差はあり、その社会に対する怨嗟が事件の底流にあったのではないかと思っています。
この物語は前述の通りグリコ・森永事件の判明している事実と事実の間を作者の想像で補いながら事件の仮説を提示しているのですが、非常に変わっているのは普通の仮説系の小説はその仮説の面白さ、奇抜さ、論理整合性など仮説のアイデアを提示することが目的、つまり犯人が誰だとか犯行の態様がどうだったのかに焦点を当てるのに対し、この小説では仮説はむしろ脇役、いやキャラクターを介して犯行の全容は空疎なものであったと言い切っており、その背後にいる事件に巻き込まれた不幸な人々にフォーカスしているところです。
三億円事件と並び昭和の大きな未解決事件となったグリコ・森永事件は未解決であったが故に人々の想像を駆り立て、不気味な様相を呈し、犯人グループの深謀遠慮ぶりを過大評価しがちになると思われますが、実は神出鬼没、複雑怪奇に見え警察を混乱に陥れたのは単に目論見が外れ、仲間割れをし、その上によくある警察組織の縦割りの弊害による失態が重なっただけで逮捕されなかったのは運が良かっただけなのではないか、動機も単なる金が欲しかっただけの浅はかなものでありその裏には思想的なものも何もないのではないか。
俊也もある意味事件に巻き込まれた人間でありますが、仕事を持ち家庭も築き普通の幸せな人生を送っている反面、それは単に運が良かっただけで被害者はもちろん加害者の家族にもその後悲惨な人生を送った人がいたのではないか、特に人生が破壊された何の罪もない子供たちがいたのではないか。
当時グリコ・森永事件を権力への小気味よい反抗だと捉える向きが一部にありましたが、事実はどうあれ関わった人々を不幸にするだけの単なる唾棄すべき軽薄な犯罪であり、せめて事件の闇に消えた犯人たちと共に社会から消えていった子供たち等がせめて救われて欲しいというのが作者の結論であり願いなのでしょう。
父がこの事件に関係がないことを証明したい俊也は父の友人の堀田に相談し調査を開始する。その中で左翼活動家であった俊也の記憶にはない伯父の存在が浮上する。
新聞社勤務の阿久津英士は年末企画としてギン萬事件の再調査を命じられる。ギン萬事件の4か月前に犯行モデルとして採用した可能性があるドイツで起こった「ハイネケン事件」を調査するためにロンドンに行ったが空振り。帰国後、犯行グループは株で儲けたという情報を得て仕手筋の調査を行う。
俊也と英士はそれぞれ調査を進めていく中でやがて二人は交わることになる。そして次第に事件の真相や事件に関係した人たちの消息も明らかになっていく。
勿論この物語はグリコ・森永事件をモチーフにしていますが事件が起こる4年ほど前まで私は西宮に住んでいました。日本は高度成長期にあり平均的に生活水準が向上していく中、子供心ながら関西地区のあまり裕福ではない地区に足を踏み入れる度、意味は分からないまでもなにか異界に足を踏み入れたような、底知れぬ闇の深さを感じた記憶は今でも消えません。そして犯人グループの使う関西弁がまさにその当時私がいた地域で使われている方言であり、さらに事件を身近に感じていました。
今でこそ格差というものがクローズアップされていますが、日本総中流と言われた時代に少数であったため目立たなかっただけで当時でも厳然と格差はあり、その社会に対する怨嗟が事件の底流にあったのではないかと思っています。
この物語は前述の通りグリコ・森永事件の判明している事実と事実の間を作者の想像で補いながら事件の仮説を提示しているのですが、非常に変わっているのは普通の仮説系の小説はその仮説の面白さ、奇抜さ、論理整合性など仮説のアイデアを提示することが目的、つまり犯人が誰だとか犯行の態様がどうだったのかに焦点を当てるのに対し、この小説では仮説はむしろ脇役、いやキャラクターを介して犯行の全容は空疎なものであったと言い切っており、その背後にいる事件に巻き込まれた不幸な人々にフォーカスしているところです。
三億円事件と並び昭和の大きな未解決事件となったグリコ・森永事件は未解決であったが故に人々の想像を駆り立て、不気味な様相を呈し、犯人グループの深謀遠慮ぶりを過大評価しがちになると思われますが、実は神出鬼没、複雑怪奇に見え警察を混乱に陥れたのは単に目論見が外れ、仲間割れをし、その上によくある警察組織の縦割りの弊害による失態が重なっただけで逮捕されなかったのは運が良かっただけなのではないか、動機も単なる金が欲しかっただけの浅はかなものでありその裏には思想的なものも何もないのではないか。
俊也もある意味事件に巻き込まれた人間でありますが、仕事を持ち家庭も築き普通の幸せな人生を送っている反面、それは単に運が良かっただけで被害者はもちろん加害者の家族にもその後悲惨な人生を送った人がいたのではないか、特に人生が破壊された何の罪もない子供たちがいたのではないか。
当時グリコ・森永事件を権力への小気味よい反抗だと捉える向きが一部にありましたが、事実はどうあれ関わった人々を不幸にするだけの単なる唾棄すべき軽薄な犯罪であり、せめて事件の闇に消えた犯人たちと共に社会から消えていった子供たち等がせめて救われて欲しいというのが作者の結論であり願いなのでしょう。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:講談社
- ページ数:418
- ISBN:9784062199834
- 発売日:2016年08月03日
- 価格:1782円
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