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#はじめての海外文学 vol.3応援読書会。カルヴィーノが紡ぎだす奇想天外な寓話。

まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)
 17世紀、トルコとの戦争に参戦した子爵は、砲弾によって左右半身ずつに引き裂かれてしまう。そして、子爵は、右半分が完全なる悪、左半分は完全なる善として蘇生し、別々に領地に帰還。それぞれの半身は、それまで平和だった村にさまざまな波瀾を巻き起こしていくが、結婚を巡る決闘で互いに相手の傷口を切りあい、再び一つに縫い合わされて完全なもとの姿となって再度蘇生する。

 この一見たわいもないおとぎ話のような話には、いろいろなことが暗示されている。

 一番分かりやすいのは、完全なる悪はむろん何よりもよくないことだが、完全なる善というのも生活を営む上では決して手放しに喜ばれる存在ではない、ということ。なぜなら生活を潤滑に営むためには、ある程度の打算や目こぼしというものも必要だからだ。
 「悪半」に苦しめられていた村人たちは、最初「善半」の帰還を心から喜んだが、「善半」による仮借ない義務の遂行の強要を次第に疎んじるようになる。何によらず、ものごとには中庸ということが必要なのだ。

 作品の中で、‘引き裂かれた状態’にあるのは、子爵だけではない、ということにも注目すべきだろう。  
 村には、戒律主義者のユグノー教徒たちが住む《寒さが丘》と、退廃的な芸術家たちを象徴する癩患者が住む《きのこ平》がある。  
 大工のピエトロキョード親方は、絞首台を作るよう命令され、いやいやながらも絞首台を作る。ところが、もともと熱心な大工であるために、彼が完成させたのは精巧な絞首台で、彼はその使用される目的には涙しながらも出来栄えには満足している。
 ものごとには二面性があり、それは、常に表裏一体となっている。一方が表を向いているとき、他方は影となっているのだ。

 カルヴィーノは、「時代はまさに冷たい戦争のさなかにあった。張り詰めた緊張感、耳に聞こえぬ呵責の声。それらは目に見える形こそとらなかったが、人びとの魂をしめつけていた」と語っているが、まっぷたつに切り裂かれた子爵の姿は、その時代に苦しんでいるイタリア人の姿そのものだったにちがいない。
 だが、カルヴィーノはこうも言うのだ。「子爵さえ完全にかえれば、すばらしく幸福な時代がひらかれるものと、ぼくたちは決めてかかっていたのかもしれない。しかし、当然のことながら、世界じゅうの人びとが完全なものになるためには、ひとりの完全な子爵でたりるはずはなかった」と。 
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  • 掲載日:2017/11/26
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