母の日が過ぎました(笑)。
世のお母様方にとっては、素敵な母の日になったでしょうか?
この本には、「おかあさんの たんじょう日」と、
「おかあさんの あんでくれたぼうし」という
二つのお話が収められています。
どちらも、母と子の絆の深さを物語るお話です。
最初のお話は、母の日のお話ではありませんが、
ダニーという小さな男の子が、お母さんの誕生日に、
なにか贈り物をしたいなぁ~と悩みながら探す物語です。
ダニーが悩んでいると、まずめんどりがやってきて、
「それじゃ、わたしが うみたての
たまごを ひとつ あげましょう」
と、気前よく申し出てくれたのですが、ダニーは
「どうも ありがとう」
「でも、たまごなら、もうあるの」
と断り、ダニーはめんどりと一緒に、
また別の贈り物を探しに出かけます。
すると今度は、がちょうに出会い、がちょうはダニーに
「はねの まくらが できるように、
わたしの はねを あげましょう」
と気前よく申し出てくれるのですが、またしてもダニーは
「どうも ありがとう」
「でも、まくらなら、もうあるの」
と断るのです。
そして次に出会ったのは──。
こうして次々に動物に出会い、その度にその動物は、
彼らの持っているものをダニーに提供してくれようとするのですが、
なかなか、ダニーが持っていないものが見つかりません。
このままずっと、動物たちと一緒に、
お母さんへの贈り物を探していくのかと思いきや、
途中で、ダニーと動物たちは別れてしまうんですね…。
家の周りに居る動物たちに別れを告げて、
ダニーは一人、未知の世界へ足を踏み入れ、
森に住むくまと出会います。
そしてダニーはくまにも同じ質問をするのです。
「おかあさんの たんじょう日に、
なにか あげるもの ないかしら」
ダニーの問いかけに、くまが教えた答えは──。
この本の表題のように、「おかあさん だいすき」と
子どもたちが言ってくれる時間は、子育ての時間の中では、
ほんとーーーーーに、短い時間です。(※個人差アリ)
子どもにとって、「お母さんが全て」の時間って、
ほんとうに短い時間なんだと、過ぎてみて初めて思い知るのです。
このお話を、子どもたちが読んで、どう思うのか?
と考えると、ちょっとこのお話は、子どもたちのための
お話ではないのではないか…という気がしないでもないですね。
あるいは、このお話を一緒に読んだ後の、
子どもたちの反応自体が、その時の親子の関係を反映するような…
そう考えると、怖いお話でもあるのかもしれません;;
もちろんお話自体はよい話で、結末も美しい終わり方であることは
間違いないのですが、子育てを過ぎた身としては、前述の通り、
「あ~…、こんな可愛い時期は、あっという間なんだよね…」
という感慨と、老親を亡くして久しい今となっては、
自分も親に、こんなふうに言ったことがあったかしら…
と反省させられたり。
そういう意味では、このお話は、人の生涯の中の
ほんの短い時間、瞬間の喜びを凝縮したもののようにも思えます。
子育てを過ぎた人が読むと、胸がギュッとしてしまうかもしれません…。
この本には、もう一つ、「おかあさんの あんでくれたぼうし」
というお話も所収されています。
こちらも、お母さんが、いかに子どもにとって
大切な存在なのかということが語られているお話なのですが、
「おかあさんの たんじょう日」のお話と比べると、
少し説明的すぎる部分があるように思いました。
最初のお話「おかあさんの たんじょう日」は、
マージョリー・フラック作(文と絵)のお話で、
後の「おかあさんの あんでくれたぼうし」は
スェーデンの昔話で、絵は大澤昌助さんのものです。
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