1941年12月7日、日本時間では12月8日未明、ハワイオアフ島南岸の真珠湾にあるアメリカ海軍の根拠地を日本海軍が奇襲、太平洋戦争が勃発した。
『出口のない海』は、真珠湾攻撃を取り扱った映画を見ている老人の邂逅から話が始まる。
彼は大学野球部の元キャッチャー。彼の相方である並木投手は、は甲子園の優勝投手でありながら大学入学後すぐ肘を痛めてしまい大学リーグでは全く出番がなくなってしまっていた。しかし、並木投手は、復活を決して諦めることなく、魔球の完成に情熱をかけていた。
当時、戦時色はどんどん強くなっていた。野球部員の多くが、のうのうと大学に通って野球などやっている場合ではない、と感じ始めていた。そんな中で、並木は周囲のあわただしさに飲まれることなく、ただ一人黙々と新たな復活を賭けて、変化球の完成を目指していた。野球部員達は「そんなことをしているような時代ではないだろう」と幾分苦々しく思い「並木の選手生命は、もう終わっている」と思いながらも、あまりにも一途な並木の言動に、いつしか、並木は本当に魔球を完成させるかもしれない、と思い始めていた。夢のない時代だからこそ、明日をも知れない時代だったからこそ、並木のひたむきに夢へ向かっていく姿が周囲の人々の心を明るくし、無くしていた希望を持たせていたのだった。
とはいえ、野球部員達は次々と志願して大学を去っていった。最後まで戦争に懐疑的だった並木とマネージャーの小畑さえも例外ではなかった。そして、並木は海軍に入り、人間魚雷回天の特攻隊員となった。
人間魚雷回天。 それは、魚雷の中に人間が入り込み、敵艦めがけて突っ込んでいくまさに武器そのもの。特攻隊員として乗り込めば海の中で操縦者に逃げ場はなく、死は確実に目の前のものとなる。
だが、特攻隊員となっても、並木は野球を諦めなかった。出撃の前日でさえも、魔球完成を目指してボールを投げ続けていた。同じ大学出身の上官に「貴様、わかってるのか? 明日の朝は出撃なんだぞ」と言われると、「心配するな。見事に死んでやる。けどな、朝までの時間は俺のものだ。自由に使わせてもらう」と答えた。並木は、目の前に希望を持ち続けることをやめなかったのだ。
最初の出撃は、回天の故障で見送りとなった。二度目の出撃の前に、並木は一緒に出撃することが決まった年下の隊員に「日本はこの戦争に負けるな」と言った。「日本はもう負けたほうがいい」と。
「回天で突っ込む俺たちはいい。 それで特攻の任務は果たせる。神にもなれる。だが残された国民はどうなる?皆殺しになるまで戦うのか? 俺の家族もお前の家族もみんな死んでしまうのか? ならば俺たちが何本突っ込んだところで、俺たちが守りたいものは何もなくなってしまうじゃないか」
そして、「ならば並木大尉は何のために死ぬのですか」ときかれると、並木は「俺は人間魚雷という平気がこの世に存在したことを伝えたい。俺たちの死は、人間が兵器の一部になったことの動かしがたい事実として残る。それでいい。 俺はそのために死ぬ」と答えた。
希望を持ち続けることが唯一の生きる糧だった並木から明日への希望を奪い去ることは、まさしく死の宣告だった。並木は絶望の中で、必死で自分が生きた意義を考え続けていたのだろう。
日本が勝つと信じて兵隊に志願した者、自分の出世のために志願した者。兵になるにも、いろいろな思惑がある。そういった様々な思いが入り乱れている中、あくまでも平和を願い戦争に懐疑的であり続けた小畑と並木だけが戦死してしまったというのは、何という皮肉だろうか。
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