古川さんの作品は、いつも思うのだが独特の文体なのでテンポが悪く読むのに苦しむ。それにモチーフがわかりずらい、たぶん自覚症状はないのだが難解なのだと思う。それとも作品として破綻しているかのどちらかだ。
「きのう第三次世界大戦が始まった」という冒頭。
飢餓に支配された日本兵は中東のどこかにいるらしく湖に水がない。そこで1600年生きているという少女や子供たちと出会い、人魚の肉を食べさされて不死?になる。
福島県の郡山には平安京のパビリオンがあり、そこにイハがいた。
この二つの関係がないようなバラバラな物語が最後に集まっていく。
第三次世界大戦、坂上田村麻呂、八百比丘尼、戦争の記憶、湖獣。バラバラの話しがまとまってくようで離れて行く。
将軍マロンというゆるキャラがいて、これは平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂のこと。マロしかかぶってないのですが、郡山出身で平安の初めに活躍した将軍です。この着ぐるみに最終的に、日本兵エフが入る。そこには坂上田村麻呂が憑依している。
そこでイハの話しとエフの話しが繋がります。このアトラクションで将軍マロンの相棒がイハです。
エフが郡山に来るのに二人の長寿の少年と同行するのだが、この少年たちの過去がエグイ。
キーワードは人魚だが、この肉を食べると長寿となる。エフは食べましたが、この人魚は郡山にある猪苗代湖にかつて住んでいた湖獣と関係している。
野性と家畜化というのも大切な要素で、この人魚は湖獣と関係しているが元は島に家畜としていた猪で、イノシシを古代人が家畜にし、それが何故か湖獣というか人魚になったという。野生と家畜の話しでもある。
殺すの意味を問う、この言葉も興味深い。
>>人が人肉を口にしてはならないという禁忌または制限には、人は殺人をしてはならないという規範に似たところがある。・・・ただし、共同体の外部に対しては、この禁制は保留される。・・・だとしたら殺せるとは何なのか。殺せないとは何なのか。食われるとは?、食われないとは?。
古代人は食料に困ると敵の死体を食べていたということが推測される。
だが、食糧が確保されるようになると、それはなくなった。
ここには人を殺すという行為に対する嫌悪の感情がある。しかし、共同体の外部に対してはタブーではない。これって何なのでしょうね。
八百比丘尼の伝説に関するここも興味深い。
>>喰うに躊躇する肉を食べてしまった。禁じられた肉を食べてしまった。しかも食らいたいという欲求をこらえきれずに食べてしまった。そしたらどうなるのか?。
つまり禁忌違反。なら罰がくだされるのに、長寿が授けられた。
この長寿は神の下した罰だとも言えないですか?。
この苦しい世の中に生きる罰。
この物語で、長寿の子供たちの悲惨な飢えと絶望の物語が繰り返されるのは、戦さや貧困によって加えられる悲劇ですが、人類は少しも進歩しません。
>>「歴史になんぞ人類は学んだりしないのだ」
強引にモチーフを決めつけると、この言葉なのかなと思う。
人類は劣かでひどいことを繰り返している。それは人魚の肉を食べた孤児たちの過去にある。
なのに、また、第三次世界大戦をやっているという結末なのだ。
それを坂上田村麻呂が何とかしようとしているみたいな終わり方。すごく曖昧でよくわからないが、それはどうでもいいのかもしれない。
2026 4 27
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