作者は、二十年前に、夫クロードをバイクによる交通事故で失った。
1999年6月22日のことで、当時八歳の息子と三人、新しい家に引っ越す直前のことだった。
そして、終の棲家になるはずだったその家の立ち退きを迫られている今、二十年前の夫の事故と死を、もう一度振り返る。
この本には、二十三章ぶんの「もしも」が書かれている。
もしも、ああでなければ、こうでなければ。ああしていなければ、こうしていなければ。(そうしたら、事故はなかっただろう。夫は生きていただろう。)
それは、二十年間、何度も何度も繰り返し考えてきたことなのだろう。
23の「もしも」は、たとえば、するはずだった電話をかけずにすませてしまった、という事故直近のささやかなすれ違いのこと、「あのとき信号が赤に変わらなければ」というような後悔のしようもないこと、それから、時間的にも空間的にも遠すぎてそのささいなボタンの掛け違いが、どうしてこの事故につながっていくのか、と訝しむような遠い話まで……。ときどき、それは八つ当たりだろう、と思うような怒りまで含めて、自分の気持ちを正直に言葉にしていく。
作者だけではなく、人は思いがけない不幸に見舞われたとき、「もしも……だったら」という問いかけをしてしまいがちだ。後悔の気持ちで。「もしも」は無意味だ、と分かっていても。時間を巻き戻すことは不可能だ。
でも、作者はいま、改めて二十年間自分とともにあった「もしも」を振り返ってみる必要があった。
23章もの「もしも」を、当時の状況を思い出しながら、ことさら丁寧に振り返っていくことで、今まで気がつかなかったものが、新しい形を成し始めているのに気がつくこともあるかもしれない。
大切な人の思いがけない死を受け入れていくために、一緒に生きてきた日々の確かさをひとつひとつ確認していくよう。
「もしも」の間から、どんな「もしも」もない、間違いなくあった二人の時間が見えてくる。
いま、ひとり。前を向いて歩きだすために、「もしも」が起ろうが起こるまいが、確かにあったはずの、決して変わることのない過去が力を貸そうとしているようだ。
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