漫画家そして江戸風俗研究家として知られてきた著者の、2021年文庫刊行の「最新刊」になります。編集は筑摩書房の編集者だった松田哲夫氏で、巻末「編者解説」も書かれています。彼女の漫画家時代からの担当だったそうで、思い返してみればハードカバーの「全集」も筑摩書房でした。そこから次々に作品が個別に文庫化されていきましたので、その立役者だったのでしょう。
彼女の没後ほどなくして刊行されたエッセイ集『うつくしく、やさしく、おろかなり』も、松田氏の編集です。今回、こちらも合わせて手にとってみました。本書を含めて「ちくま文庫」では、(おもに故人ですが)「ベストエッセイ」を次々に刊行しています。「森毅」版は池内紀編集ですが、その後、池内氏も亡くなられていますので、「池内紀ベストエッセイ」も刊行されることでしょう。
数年前になりますが、深川江戸資料館で杉浦日向子の人生を回顧する展示が開催されたことがあります。チラシなどでは説明されていませんでしたが、出向いて聞いていると、資料館の関係者に彼女のファンが多いという理由で開催されたとのことです。
彼女自身は、本書にも見られるように1980年代から活躍し、「新人類の旗手」の一人としても注目されてきたそうですが、より広く知られるようになったのは、1990年代ではないでしょうか。その作品が文庫化され手軽に読めるようになったばかりではなく、NHKの「お江戸でござる」でも解説を担当され、文字通り「お茶の間」にも知られるようになったわけです。
ただ振り返ってみれば、当時は既に漫画家も隠退し、また闘病中の身でもあったわけです。その中で注目されていくのはどんな気分だったのだろうか、とかえって余計なことを考えながら読んでしまいました。
杉浦日向子さんが亡くなられたのは2005年、1958年生まれですから享年46歳になります。「なんと若くして亡くなられたのか」と感じ入ってしまいます。漫画を含めて彼女の作品に私が親しんだのも1990年代以降でした。すでに漫画家は隠退し、難病も発症されたことも知ってはいましたが、軽快な文体に楽しませてもらっていたばかりでした。読者はのんきなものです。「まだまだ楽しめるだろう」などと感じてましたが、「終わり」は予想以上に早かったのです。
その後、彼女の作品から離れてしまいました。なんだか読むのがつらくなりそうで。今回もその軽快な文体にふれるのがなつかしくもありましたが、何かしらの文章を書いてしまうと、本当におわかれを言わねばならないような感じがしてしまいました。
本書は「元気な若旦那」「江戸人の流儀」「浮世漫遊期」「若隠居の心意気」「いのちの読書」という5つのテーマに分けて、だいたい発表年順に編集されています。単行本未収録の文章も多いそうですが、漫画業以外のその活動と関心の幅がわかるようになっています。画文集ともいえる抱腹絶倒のルポ三部作『東京イワシ頭』『呑呑草子』『入浴の女王』(いずれも講談社)からも1編ずつ採録されています。
依頼が多かったのでしょう、「江戸」について語るものが多く、あえて「べらんめい」「べらぼう」調にしている文章も少なくないです。エッセイといっても、人を楽しませるのが主で、「身辺雑記」として自身のことを書くことは少なかったようです。ただ、これだけの量がまとめられていますと、中高生の頃や闘病中のこと、その日常(特に食事)までその人生が多少とも見えてきます。
また、編集者の意図なのか、闘病中の執筆も多かったからか、本書には「いのち」について語ったものが多々見られます。特に書評集は「いのちの読書」と題されている通り、選書からしてその性格が濃厚です。
そんな文章に触れていますと、「もう少し長生きできなかったものだろうか」などと、あらためて残念に感じます。ご存命であれば今でも70前でしょうか。黄表紙が大好きだったとのことですので、大河ドラマ『べらぼう』をどんな思いで見られたことでしょう。絵付きで感想を書かれたのではないかなどと想像してしまいます。
本書の中でも最も目を惹いたのが、宮脇俊三氏との「往復書簡」です(1992年「朝日新聞」)。「豊かな老いへ」というテーマだったようですが、彼女の作品に惚れ込んだ宮脇氏が質問のお手紙を出し、一回り以上下の彼女がお返事するという体裁です。お互いの敬意の払い方が気持ちのよい1編で、丁寧なやりとりが印象的です。彼女も聞かれるままに率直に自らの来歴も書かれています。
たとえば自らの結婚と離婚についても、「白状しますと、短い間でしたが、よき伴侶を得ていた時もありました。気ままに連れだった二人旅が、うっかりはぐれてしまいました。」(264頁)という、誰を責めるでもないやさしい文章で表現してみせています。
メディアや作品上では、人を楽しませる姿ばかりが目立った彼女ですが、その素の姿を少し見た気になった一瞬でした。
*関連書
『うつくしく、やさしく、おろかなり』
『百日紅』
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