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脳裏雪さん
脳裏雪
レビュアー:
我母が女学校の時よく読んだと、よく聞かされた、それ故か偏見があったのか、気には留めていたが、今まで手元に置くことはなかった、、大正~戦前昭和の日本が垣間みえる、それは何となくな私の憧れの時代でもある、
読み始めて、〈 私は宿命的に放浪者である、私は古里を持たない、、〉っという書き出しを眼にして、この部分のわざとらしい表現のみを拾った若い私が、これが為に読むことを止めてしまったのだった、ことを憶いだした、
併しなのだ、今、数行よむと、どの頁でもよい半頁読めば、驚かずにはいられない、日記風なのだが、、生きている、鮮やかだ、分かりやすく短いセンテンスには、凡てが健康で、貧乏な日々とか巷のささやかな暮らしがつづられている、
明るい心と健やかな躰、さっぱりした生き方生き様とそこに映える心根に惹かれてしまう、
よ~く読むと惨めな暮らしなのに、、
若書きである、
その日その日のある一つのシーンが綴られ繋がっている、日記のなかなのだ、そのままが、芙美子のおもいであり、為したことの断片なのである、
〈 、、一皿八銭の秋刀魚は、その青く光った油と一緒に、私とお千代さんの両手にかかえられて、サンゼンと生臭い匂いを二人の胃袋に通わせてくれるのだ、「この道を歩いている時だけ、あんた、楽しいと思ったことない?」「本当にね、私ホッとするのよ」「ああ、でもあんたは一人だからうらやましいとおもうわ」美しいお千代さんの束ねた髪に、白く埃がつもっているのを見ると、街の華やかな、一切のものに、私は火をつけてやりたいようなコウフンを感じてくる、〉
もしかしたら、つもっている白い埃とは、昔のことだから虱だろうかorフケか、何れにしろ、フウちゃんは美しいお千代さんが自分より更に貧しいことにガマンならないのだろう、賢くやさしい娘たちだ、、ジーンと、ワタシもコウフンを感ずる、

ただ、ながい時間読み続けるのはむずかしい、厭きてくる、思惑のない素直な書きぶりだとはおもうが、稚拙な文章だし、独り善がりのへたな (っと私はおもう) 散文詩の如くなのを読まされる、、厭きてきた、
そもそも、第一部の部分が「放浪記」として刊行され、好評につき続刊の「続放浪記」が第二部であり、戦後はじめて発表されたのが第三部とのこである、しかも時系列に繋げてあるのではなくて、夫々が大正11~15年までの日記がベースの縦割りになのだそうです、
つまり、芙美子二十~廿五歳のときである、それをその都度、時を経た芙美子が嘗ての日記を編集して世に晒すっというわけだ、
そうした安直な読み物でも好評であった、ということから、素直な読み手と信頼されている書き手、という構図しかわたしには浮かばない、ある意味良い時代だったんだなぁっとおもう、
が、違うふうに読めて見えてくるものがあって、

芙美子はたぶん、ある時から、文士になる、っという無謀で一途な想いに、囚われ出したにちがいない、、だから貧乏暮らしに耐え得たのだろうか、それとも日々沢山の本を読んでいたからなのか、芙美子は若いから、、

芙美子はたぶん、一葉がそうであったように、
いまのこの社会の有り様が " いやだ !! " なのだ、
貧乏暮らしが厭なのではない、真摯にまじめに働いている人たちが、いつまでも変わらず貧乏で、その日暮らしのままなのがイヤなのだ、
自力ではどうにもならない今世がイヤなのだ、
やるせないのです、男にたよらねばならないのがクヤシイのだ、だから、安住出来ない、
ひとり放浪するのである、
貧乏な境遇を直視しつつ逃れなかったし、我慢したわけでもない、受入れ且つ拒否した、貧乏に留まりそこで生きつづける、
今世に反抗し非情な世間を指弾しつつも、今を真摯に正情に生きている、
" いやだ !! " っというおもいを呑み込んで、活きる一葉と芙美子は若く優しく美しいし、賢いです、

〈ああ厭になってしまう、なぜか人が恋しい、、どの客の顔も一つの商品に見えて、どの客の顔も疲れている、なんでもいい私は雑誌を読む真似をして、じっと色んな事を考えていた、やり切れない、なんとかしなくては、全く自分で自分を朽ちさせてしまうようなものだ〉
大正の、然も女でも、斯様なことを想うのか、

〈 冷たい涙が不甲斐なく流れて、泣くまいと思ってもせぐり上げる涙をどうすることも出きない、何とかしなくてはと思いながら、古い蚊帳の中に、樺太の女や、金沢の女達と三人枕を並べているのが、私には何だかお店に晒された茄子のようで侘しかった、、〉
カフェの住込の女給たちのわびしい寝床、若い娘たちの終わった今日は、相似形な明日へと続く、

どうということのない文章が、脈絡があるのかどうか、はたして時系列なのかもわかない、日記風味のそれらを読まされているうちに、書き手である芙美子が見えてくる、だから、読み続けるのは退屈だが、ときどき芙美子の想いにつながるときがある、大正の人の気持ちを掬えるとき、生活の風情が見えるとき、感ずるそれは、たぶん懐かしい安堵する郷愁だとおもう、
なんとも、よくわからない本でした、
わるくはないが、よかったわけではない、
今は此処で、第一部でギブアップ、、
だが、ちびちび 読むとおもう、

林芙美子 覚書;
1903年(明治36)12/31生まれ、
1951年(昭和26)6/28逝去、享年47、
自力でアルバイトしつつ高女で四年間を学び卒業している、( 何と大正時代だよ!)
つぎはチャンとした小説をよみたいです、
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脳裏雪
脳裏雪 さん本が好き!1級(書評数:151 件)

若干18才で天和にて和了、緑一草四暗刻単騎待ちテンパイするも和了できず...以降ツキなし、目覚めたとき実存主義の残り香...既にカミュは亡った、今も小林秀雄の流儀を模索中、
特技=ガム嚙みながらケーキやピーナッツを食べられます、朝餉の為プレーンヨーグルトに道産牛乳をあたえ飼育してます、ブクレコ移民です、

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