紅い芥子粒さん
レビュアー:
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志願兵パウル・ボイメルは、1918年10月に戦死した。その日は全戦線にわたって、きわめて静かでおだやかだったという。
1929年に発行された小説。戦争を描いて、不朽の名作と名高い。
作者のレマルクは、1898年生まれ、1914年に始まった第一次世界大戦には、中学生のときに「学徒出陣」としてひっぱり出されたという。
小説の主人公の名は、パウル・ボイメル。物語の語り手でもある。
彼は18歳の時、志願兵として出征した。
学校のクラス担任の教師に誘われたのだという。
その教師の引率のもとに、クラスの男子二十人がいっしょに出征志願を申し出た。
しりごみする者もいたが、仲間から除け者にされたくなくて、しぶしぶついてきた。
「卑怯者」とそしられるのが怖くて、親さえも息子の志願に反対できない。
社会全体が戦争という熱病に冒されていた。
まだ失うものを持たない若者ほど、戦争熱にかかれば重症化してしまう。
愛国心とか、自己犠牲とか、ヒロイズムとか、若者らしい夢を、戦争に見ていたのかもしれない。
志願した若者たちは、十週間の軍事教練で徹底的に兵隊化された。
十年の学校教育は何だったのかと思うぐらいに、兵隊としての価値観や行動を叩き込まれた。
戦場に送り込まれたとき、ドイツはすでに敗色濃厚だった。
敵はフランス兵なのだが、何と戦っているのかわからない。
ただただ、自分が死なないために銃弾を発射する。
前線に出れば、飛んでくる銃弾、砲弾、降ってくる爆弾からひたすら身を守る。
恐怖のあまり失禁もする。
毒ガス攻撃も受け、吸い込めば、たちまち肺を焼かれる。ガスマスクを長時間つけていれば、窒息してしまう。
なにも知らなかったときに抱いていた戦争への夢やロマンなど、一発の砲弾で吹っ飛んでしまった。
150人で出て行った中隊が、帰陣したときは、80人に減っていた。
兵隊が減った分は、すぐに補充される。ろくに訓練も受けていない、まだ子どものような兵士が。
後方にいるときは、つねに食料不足で、兵隊たちは飢えていた。
輸送路がすでに敵におさえられているのだろう。
戦死者が多ければその分を食べられるからありがたいとさえ思う。
あやしいものを食べて、消化器をやられてしまうこともある。
野戦病院には血と膿の臭いが充満していた。負傷者は、手足の一本ぐらい切断することになっても、それで除隊になればむしろ幸運と、うらやましがられたりする。しかし、そんな大ケガをすれば、破傷風や敗血症で死んでいく者のほうが多いのだ。
兵隊でも休暇はある。何時間もかけて帰った故郷には、癌で余命いくばくもない母と、妻の治療費を稼ぐために、寝る間を惜しんで働く製本業の父がいる。息子は、両親には何も話せない、話したくない。自分が身を置く戦争と戦場の話なんか。
彼は、戦死したクラスメートの母親に、義務感から会いに行って、なじられた。
「あの子が死んだのに、どうしてあなたは生きているの」
1918年の夏。18で志願出征した彼は、20歳になっていた。
多くの戦友が死んでしまった。
彼にとって、特別な存在だった戦友も死んでしまった。
脚を撃たれたその戦友は、彼の肩に担がれたまま息を引き取った。
ちっぽけな砲弾の破片が、首の後ろに突き刺さったのだ。
一人の疲弊したドイツ兵に、五人の元気なフランス兵がかかってくる。
一機のドイツ軍機に、五機のフランス軍機。
ドイツはもう負けている。戦っている兵士たちにはわかっているのに、だれも敗戦とはいわない。
前に進めという。
第一次世界大戦は、1918年11月11日に終わった。
志願兵パウル・ボイメルは、1918年10月に戦死した。
その日は全戦線にわたって、きわめて静かでおだやかだったという。
作者のレマルクは、1898年生まれ、1914年に始まった第一次世界大戦には、中学生のときに「学徒出陣」としてひっぱり出されたという。
小説の主人公の名は、パウル・ボイメル。物語の語り手でもある。
彼は18歳の時、志願兵として出征した。
学校のクラス担任の教師に誘われたのだという。
その教師の引率のもとに、クラスの男子二十人がいっしょに出征志願を申し出た。
しりごみする者もいたが、仲間から除け者にされたくなくて、しぶしぶついてきた。
「卑怯者」とそしられるのが怖くて、親さえも息子の志願に反対できない。
社会全体が戦争という熱病に冒されていた。
まだ失うものを持たない若者ほど、戦争熱にかかれば重症化してしまう。
愛国心とか、自己犠牲とか、ヒロイズムとか、若者らしい夢を、戦争に見ていたのかもしれない。
志願した若者たちは、十週間の軍事教練で徹底的に兵隊化された。
十年の学校教育は何だったのかと思うぐらいに、兵隊としての価値観や行動を叩き込まれた。
戦場に送り込まれたとき、ドイツはすでに敗色濃厚だった。
敵はフランス兵なのだが、何と戦っているのかわからない。
ただただ、自分が死なないために銃弾を発射する。
前線に出れば、飛んでくる銃弾、砲弾、降ってくる爆弾からひたすら身を守る。
恐怖のあまり失禁もする。
毒ガス攻撃も受け、吸い込めば、たちまち肺を焼かれる。ガスマスクを長時間つけていれば、窒息してしまう。
なにも知らなかったときに抱いていた戦争への夢やロマンなど、一発の砲弾で吹っ飛んでしまった。
150人で出て行った中隊が、帰陣したときは、80人に減っていた。
兵隊が減った分は、すぐに補充される。ろくに訓練も受けていない、まだ子どものような兵士が。
後方にいるときは、つねに食料不足で、兵隊たちは飢えていた。
輸送路がすでに敵におさえられているのだろう。
戦死者が多ければその分を食べられるからありがたいとさえ思う。
あやしいものを食べて、消化器をやられてしまうこともある。
野戦病院には血と膿の臭いが充満していた。負傷者は、手足の一本ぐらい切断することになっても、それで除隊になればむしろ幸運と、うらやましがられたりする。しかし、そんな大ケガをすれば、破傷風や敗血症で死んでいく者のほうが多いのだ。
兵隊でも休暇はある。何時間もかけて帰った故郷には、癌で余命いくばくもない母と、妻の治療費を稼ぐために、寝る間を惜しんで働く製本業の父がいる。息子は、両親には何も話せない、話したくない。自分が身を置く戦争と戦場の話なんか。
彼は、戦死したクラスメートの母親に、義務感から会いに行って、なじられた。
「あの子が死んだのに、どうしてあなたは生きているの」
1918年の夏。18で志願出征した彼は、20歳になっていた。
多くの戦友が死んでしまった。
彼にとって、特別な存在だった戦友も死んでしまった。
脚を撃たれたその戦友は、彼の肩に担がれたまま息を引き取った。
ちっぽけな砲弾の破片が、首の後ろに突き刺さったのだ。
一人の疲弊したドイツ兵に、五人の元気なフランス兵がかかってくる。
一機のドイツ軍機に、五機のフランス軍機。
ドイツはもう負けている。戦っている兵士たちにはわかっているのに、だれも敗戦とはいわない。
前に進めという。
第一次世界大戦は、1918年11月11日に終わった。
志願兵パウル・ボイメルは、1918年10月に戦死した。
その日は全戦線にわたって、きわめて静かでおだやかだったという。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:419
- ISBN:9784102125014
- 発売日:1984年05月03日
- 価格:700円
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