このシリーズは、『小説現代』誌に掲載されたアマチュア作家のショートショートを逐次刊行してきた作品集だ。本巻は第16弾として2005年に出版されている。いずれも20年以上前の作品だけに、随所に時代の空気や世代差を感じさせる。
たとえば、宮本晃宏『眠りたいの? 眠りたくないの?』では、眠ろうとして余計なことを考えるうちにかえって目が冴え、気になったことを解消するため徹底的に調べ始める。思わず共感させられる一方で、その手段が辞書を引くというあたりに時代を感じる。現代ならネット検索に手を伸ばし、関連情報を次々たどって、さらに眠れなくなることだろう。
また、藤咲知治『マナー違反』では、公園の電話ボックスで通話していた女子高生が、急ぐ成人男性に無理やり割り込まれる。しかし彼女が使っていたのは公衆電話ではなく携帯電話で、電話ボックスを占有していたというオチだ。携帯電話が普及し、公衆電話がまだ日常の設備として機能していた移行期だからこそ成立する着想で、いま読むと時代背景そのものに懐かしさを覚える。
さらに、別の意味で世代差を感じさせる作品もある。
Y・N『リモコン』では、妻に愚痴をこぼしながらリモコンを探す夫が、実はそのリモコン一つで妻を家事に使役していたことが明かされる。ところが最後には、妻もまた別のリモコンで夫を寝床へ引っ込ませる。
森江賢二『私の妻』では、「妻を探してほしい」と探偵に依頼した男が、話を聞けば容姿や嗜好など細かな条件と理想ばかり並べ立て、実は結婚相談所代わりに探偵を使おうとしていたとわかる。
こうした夫婦関係などジェンダー・ステレオタイプをネタにすること、それ自体が、ポリコレやコンプラ意識が大きく変化した現代からすると、作品そのものだけでなく、当時の「当たり前」が透けて見えるようで興味深い。
こうした作品群のなかで、ひときわ印象に残ったのが、星野光浩『あなたが好きよ光線』だ。
不細工で特技もなく、頭も良くない浪人生の上泉君が、なぜか女性にモテる。その秘訣を語り手が尋ねると、上泉君は「あなたが好きよ光線」に気づくことだと説く。たとえば女の子がこっちを見ている、それに気づくと視線をそらす、あるいは話す声が少し高くなる――そんな些細な変化こそ好意のサインであり、それを見逃さず行動するのが肝心だという。
しかもその光線は、意識すると消えてしまう。ゆえに周囲の気配を察し、人の一挙手一投足を見逃さぬよう五感を研ぎ澄ませねばならない。語り手はその教えに従って修行を重ね、やがて相手の顔を見ながら足先の動きまで察知し、振り向かずとも背後の気配を読める域に達する。だが結局、「あなたが好きよ光線」は感じ取れなかった。
しかしその鍛錬のおかげで、剣術試合では無敵となり、ついには柳生新陰流を興し、子孫は徳川将軍家の剣術指南役にまでなった。主家に仕えることなく浪人だった上泉君こと「上泉伊勢守信綱」への感謝で締めくくられるオチは見事の一言だ。
日常的な恋愛ネタから始まり、シームレスに歴史上の人物譚へと接続する構成の妙。身近な共感と壮大なスケール感が結びついたこの一編は、時代に左右されないショートショートの普遍的な醍醐味を教えてくれる。
考えてみれば、このシリーズは、時代ごとのアマチュア作家という「普通の人々」の想像力を記録した文学的な標本でもある。色褪せた着想もあれば、年月を経てなお輝く一篇もある。そのまだらな手触りこそが、このシリーズを読む楽しさかもしれない。
なんだか、このシリーズの作家たちのことが気になってきた。ネットで検索してみようか、また睡眠時間が削られそうだ。
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