群馬県警を定年退職した神場智則は、6月に入ってから妻と2人で四国巡礼の旅をしている。歩き遍路だから1人で行くと言ったのだが、妻の香代子が一緒に行くと譲らなかったのだ。
神場は四国巡礼を思い立ったのかは、長年苦しめられている悪夢と関係がある。読み進めていくうちに神場の警察官としての人生が邂逅として描かれていくが、16年前に起きた少女殺害事件が神場と現在捜査一課長となっている鷲尾に暗く重くのしかかっていることが明らかになっていく。
四国を旅している神場とは別に、群馬県警は少女殺害事件の捜査に追われている。神場は今回の事件が16年前の事件に似ていることに不安を感じて元部下に電話し捜査状況を教えてもらうようになるのだが、それというのも16年前の事件の幕引きに強い疑問を感じていたからだった。
神場の悪夢から始まる冒頭は、かつての事件が解決していないことを暗示している。そして、10年以上も経ってなぜ今また新たな事件が起きたのか。
自分は間違えたことをしてしまったという悔いが、悪夢となって神場を苦しめる。あとになって鷲尾もまた同じような悪夢に悩まされていると言っているから、彼らの罪悪感はそうとうに強いものだったのだろう。歩き遍路をしていても、その罪悪感は神場を苦しめ続ける。
だが、歩き遍路の行く先々で出会った人の言動が神場の刑事としての勘を刺激し、神場の指摘で膠着状態だった捜査が一気に解決へと向かって動き出す。
刑事にとって、大きな事件に関わることは夢であり、その事件が何のわだかまりもなく解決したときそれを誇りに思うだろう。だが、未解決のままだったり納得がいくような終わり方でなかったら、その無念さはこれほどまでのものなのか。最後にすっきりとできた上に心優しい妻もいるのは、神場の生き方が正しかったという証なのだと思う。
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