すずはら なずなさん
レビュアー:
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教科書に載らない(載せられない!)「好色」が色々な意味で面白かったのよと コソっと言ってみる。
前回の「お富の貞操」に続き 芥川王道でないところに面白いものを見つけたヨロコビがありました。いえいえ、有名な「羅生門」も「鼻」も「芋粥」もちゃんと読むのは初めてな気がします。
じっくり味わって読ませて頂きました。
最近ここで皆さんが一話ずつ濃いレビューを書いておられるのを読み漁っておりましたが、どれも面白い。芥川も面白いけれど、そのレビューの熱さもまた面白くてためになります。どれもおススメです。
この一冊の舞台は平安、芥川の作品の中で「王朝物」と分類されるようです。
どれも元ネタが古典にあるということで、「鼻」を絶賛した漱石先生をはじめ、元ネタ(こんな言い方で良いのか?)をよく知っている人には 芥川の料理の仕方の巧さやそこに含まれた芥川自身の考え方やら人生観をしっかり読み取ることができるのだと思います。
どこをどう改変し、何をどのように付け加えたのか。そこに芥川の生まれ持った性格やその後の彼を形成していく生い立ちやら、精神分析したくなる様々な行動や言葉や、そして「死」、是非とも知りたくなった人たちが 深い深い芥川研究の沼に嵌っていくのでしょうね。
とりあえずは 古典の知識の全く無い一読者のざくっとした感想を残しておきます。
●羅生門
暗い重い、荒んだ世界。
荒廃した都の風景がまず目に飛び込んできます。主人公は「下人」。
最初は「正義」とか「常識」とかに縛られていても ふと「生きるために」は「生き残るためには」という「理由」を貰えば、ヒトは相手を傷つけ、奪い取り、殺めることもできる。
もうその後は どこに行ったかも解らない、誰も知らない「誰か」になってしまうのでしょうね。
作者も悩んで 数度改変したというラストの一文が絶妙だと思います。
●鼻
主人公が「僧」だということが まず皮肉です。とはいえ とんでもない大きな鼻というのは気にするなという方が難しいのかもしれません。日本人では低い鼻を気にすることがあるけれど、西洋人では高すぎるのを気に病む人がいるというのを聞いたことがあります。どちらにしても「過ぎる」は気になるものです。
この内供の鼻は「過ぎる」ばかりではなく 食事の妨げになるくらい下がってきて邪魔、汁に入って熱いの汚いの、と散々な説明があります。
お伽噺のような展開ではありますが、一人の弟子が鼻を短くする治療法(?)を聞いてきてくれ、早速実行 怪しげな治療行為ではありますが 見事 鼻は短く…。
それで幸せになれないというのが人間で、というのが芥川の物語なのですね。
逆に自身の持っていたコンプレックス、捨てきれない見栄えに対する思いが露見し、更に誰も内供の喜びを共に感じてはくれないことを実感する。
居心地が悪い。他人の視線が辛い。修行の足りぬ自分を晒してしまった恥。
もとに戻ってホッとする内供がなんとも気の毒な話です。
子供向けの授業の素材にすると どういう「教訓」を読み取らせるのでしょうか。
「見た目を気にするな」とか「あなたはそのままでいい」とか そういうのになっちゃうのかな。
何かもっとブラックな奥深さを感じますが。
●芋粥
これもまた、夢壊される可哀そうなヒトの話。
五位はぱっとしない小役人。ただ一つの楽しみは「芋粥」。
「芋粥」っていうのを聞いた時は サツマイモを入れた白いおかゆを思い浮かべたのですが、山芋を使ったスイーツのような感じでしょうか。
それも 主の来客のもてなしの残り物をたまに頂くだけ。
ああ、一度でいいから飽きるほどこれを食べてみたいものだ、そう思っています。
こういう話ならオチが想像できます。
誰でもそう、どんな好物でもそこまでは要らない。飽きるほど食べたら もう要らない、となってしまいます。それでも また日が経てば食べたくなるということもありますが。
何故相手が このささやかで情けない望みをかなえてやろうなんて気持ちになったのかが疑われてなりません。別に仲良くも無く、何かしら好意を感じている節もないのに わざわざ遠方の領地まで連れて行って 文字通り「飽きるほど」芋粥を用意して食べよ食べよと薦めて面白がる、
酷い仕打ちともいえます。ほどほどがいいのに決まっています。いえ、この場合は 夢は叶わぬままが良いとまで言っているようです。
●運
運がいいとか悪いとか~♪と歌ったのはさだまさし。「そういうことってたしかにあるとあなたを見ててそう思う」と続いた実に悲しい響きの歌でした。
ファンというわけではないけれど、読んでいる間 この歌がぐるぐるしました。芥川が知る由もありません。
誰かにとってはあやかりたい運だと感じても そんなのごめんだね、という人もいる。
●袈裟と盛遠
もともと貞女「袈裟」という女性の存在が浸透している中で それを覆した作品だということです。昔の女に拘るオトコ。今が大切なオンナ。実際はそれだけの図式でもなさそうです。
●邪宗門
何だ、何だ、面白くなってきたところで未完です。怪しい宗教を広める法師と 主人公のはずだがまだ活躍していない穏やかな優男の若殿が 今こそ対峙する、まさにその時にガラガラ~閉店。
幻魔とか幻獣召喚~!とか ものものしく登場した高僧も戦いに参加して勝ち目なく、今時のバトルものに近づいてきたと思ったところ、その時、でぷっつり終わる、何とも消化不良な物語です。
体調不良が新聞連載終了の理由だそうです。
●好色
いやいや ビックリの内容でした。
主人公は恋多き平安の男、平中。次々と新たな女性相手に文を送り想いを遂げる。手に入れたらもう他の女性が気になる。プレイボーイの典型みたいな平安貴族。
それが今度はいつものようにいかない。
焦がれる相手は魅力的な侍従。文にも返事が全く来ない、と思うとやっと来たのは 人をくったような返し。平中は一瞬がっかりするけれど、更にまた 彼女をどうしても手に入れたいと思います。簡単には靡かないなかなかの女性のようです。
雨の降る日に屋敷の前に佇めばさすがの相手も中に入れてくれるだろう、その作戦は成功しとうとう彼女の傍に…と思ったのも束の間、するりと逃げられる始末。
もういい!諦めたい諦めよう、そう思った平中の考えたのが「がっかり作戦」。相手の酷いもの悪いところ、臭いもの、汚いものを見れば 百年の恋も冷めるはず。
そこで彼が無理やり侍従付きの女の童から奪い取った「それ」は……。
そしてまさかの「それ」の正体と、ドン引き必須の平中の「それ」の「確かめ方」。えっ えー
「それ」が偽物の作り物だとしても、アカンでしょう。ってか それをわざわざ用意する侍従って、アンタ。
この話がツボだった私って、と思われるかもしれませんが、平中を交えないでの、彼の友達の男子トークとか、平中が侍従の部屋で自分を落ち着かせるために「雨」に纏わる数々の言葉をせっせと並べて考えるところとか、「あれ」の箱のふたを開けるか開けないかで大いに迷う時の文句とか
実にコミカルで面白いのです。
●俊寛
舞台は鬼界ヶ島。島流しの俊寛が意外と楽しく島の風俗になじみ、島の女性を妻として子も成し、
幸せに暮らしているという話。
京からはるばる会いに来た有王との会話という形で、先に許されて帰還した二人のことも解り、島流しになった者の心の在りよう、日々の暮らしの中で幸せでいることについて考えさせられます。
中でも面白いと思ったのは 女性の顔の「美しさ」について語るところで、都住まいの感覚では白くて目が細くてしもぶくれが「美しい」としても、この地では目鼻立ちのはっきりした健康的な女性が美人だったりする。時代や場所が変われば「美人」も違ってくるのだ、という話。
どの物語もやはり、どこまでが古典を元に書かれているのか どこからが芥川独自の語り口なのか、創作した展開なのか わかっている方が面白い(興味深い)のかもしれません。
じっくり味わって読ませて頂きました。
最近ここで皆さんが一話ずつ濃いレビューを書いておられるのを読み漁っておりましたが、どれも面白い。芥川も面白いけれど、そのレビューの熱さもまた面白くてためになります。どれもおススメです。
この一冊の舞台は平安、芥川の作品の中で「王朝物」と分類されるようです。
どれも元ネタが古典にあるということで、「鼻」を絶賛した漱石先生をはじめ、元ネタ(こんな言い方で良いのか?)をよく知っている人には 芥川の料理の仕方の巧さやそこに含まれた芥川自身の考え方やら人生観をしっかり読み取ることができるのだと思います。
どこをどう改変し、何をどのように付け加えたのか。そこに芥川の生まれ持った性格やその後の彼を形成していく生い立ちやら、精神分析したくなる様々な行動や言葉や、そして「死」、是非とも知りたくなった人たちが 深い深い芥川研究の沼に嵌っていくのでしょうね。
とりあえずは 古典の知識の全く無い一読者のざくっとした感想を残しておきます。
●羅生門
暗い重い、荒んだ世界。
荒廃した都の風景がまず目に飛び込んできます。主人公は「下人」。
最初は「正義」とか「常識」とかに縛られていても ふと「生きるために」は「生き残るためには」という「理由」を貰えば、ヒトは相手を傷つけ、奪い取り、殺めることもできる。
もうその後は どこに行ったかも解らない、誰も知らない「誰か」になってしまうのでしょうね。
作者も悩んで 数度改変したというラストの一文が絶妙だと思います。
●鼻
主人公が「僧」だということが まず皮肉です。とはいえ とんでもない大きな鼻というのは気にするなという方が難しいのかもしれません。日本人では低い鼻を気にすることがあるけれど、西洋人では高すぎるのを気に病む人がいるというのを聞いたことがあります。どちらにしても「過ぎる」は気になるものです。
この内供の鼻は「過ぎる」ばかりではなく 食事の妨げになるくらい下がってきて邪魔、汁に入って熱いの汚いの、と散々な説明があります。
お伽噺のような展開ではありますが、一人の弟子が鼻を短くする治療法(?)を聞いてきてくれ、早速実行 怪しげな治療行為ではありますが 見事 鼻は短く…。
それで幸せになれないというのが人間で、というのが芥川の物語なのですね。
逆に自身の持っていたコンプレックス、捨てきれない見栄えに対する思いが露見し、更に誰も内供の喜びを共に感じてはくれないことを実感する。
居心地が悪い。他人の視線が辛い。修行の足りぬ自分を晒してしまった恥。
もとに戻ってホッとする内供がなんとも気の毒な話です。
子供向けの授業の素材にすると どういう「教訓」を読み取らせるのでしょうか。
「見た目を気にするな」とか「あなたはそのままでいい」とか そういうのになっちゃうのかな。
何かもっとブラックな奥深さを感じますが。
●芋粥
これもまた、夢壊される可哀そうなヒトの話。
五位はぱっとしない小役人。ただ一つの楽しみは「芋粥」。
「芋粥」っていうのを聞いた時は サツマイモを入れた白いおかゆを思い浮かべたのですが、山芋を使ったスイーツのような感じでしょうか。
それも 主の来客のもてなしの残り物をたまに頂くだけ。
ああ、一度でいいから飽きるほどこれを食べてみたいものだ、そう思っています。
こういう話ならオチが想像できます。
誰でもそう、どんな好物でもそこまでは要らない。飽きるほど食べたら もう要らない、となってしまいます。それでも また日が経てば食べたくなるということもありますが。
何故相手が このささやかで情けない望みをかなえてやろうなんて気持ちになったのかが疑われてなりません。別に仲良くも無く、何かしら好意を感じている節もないのに わざわざ遠方の領地まで連れて行って 文字通り「飽きるほど」芋粥を用意して食べよ食べよと薦めて面白がる、
酷い仕打ちともいえます。ほどほどがいいのに決まっています。いえ、この場合は 夢は叶わぬままが良いとまで言っているようです。
●運
運がいいとか悪いとか~♪と歌ったのはさだまさし。「そういうことってたしかにあるとあなたを見ててそう思う」と続いた実に悲しい響きの歌でした。
ファンというわけではないけれど、読んでいる間 この歌がぐるぐるしました。芥川が知る由もありません。
誰かにとってはあやかりたい運だと感じても そんなのごめんだね、という人もいる。
●袈裟と盛遠
もともと貞女「袈裟」という女性の存在が浸透している中で それを覆した作品だということです。昔の女に拘るオトコ。今が大切なオンナ。実際はそれだけの図式でもなさそうです。
●邪宗門
何だ、何だ、面白くなってきたところで未完です。怪しい宗教を広める法師と 主人公のはずだがまだ活躍していない穏やかな優男の若殿が 今こそ対峙する、まさにその時にガラガラ~閉店。
幻魔とか幻獣召喚~!とか ものものしく登場した高僧も戦いに参加して勝ち目なく、今時のバトルものに近づいてきたと思ったところ、その時、でぷっつり終わる、何とも消化不良な物語です。
体調不良が新聞連載終了の理由だそうです。
●好色
いやいや ビックリの内容でした。
主人公は恋多き平安の男、平中。次々と新たな女性相手に文を送り想いを遂げる。手に入れたらもう他の女性が気になる。プレイボーイの典型みたいな平安貴族。
それが今度はいつものようにいかない。
焦がれる相手は魅力的な侍従。文にも返事が全く来ない、と思うとやっと来たのは 人をくったような返し。平中は一瞬がっかりするけれど、更にまた 彼女をどうしても手に入れたいと思います。簡単には靡かないなかなかの女性のようです。
雨の降る日に屋敷の前に佇めばさすがの相手も中に入れてくれるだろう、その作戦は成功しとうとう彼女の傍に…と思ったのも束の間、するりと逃げられる始末。
もういい!諦めたい諦めよう、そう思った平中の考えたのが「がっかり作戦」。相手の酷いもの悪いところ、臭いもの、汚いものを見れば 百年の恋も冷めるはず。
そこで彼が無理やり侍従付きの女の童から奪い取った「それ」は……。
そしてまさかの「それ」の正体と、ドン引き必須の平中の「それ」の「確かめ方」。えっ えー
「それ」が偽物の作り物だとしても、アカンでしょう。ってか それをわざわざ用意する侍従って、アンタ。
この話がツボだった私って、と思われるかもしれませんが、平中を交えないでの、彼の友達の男子トークとか、平中が侍従の部屋で自分を落ち着かせるために「雨」に纏わる数々の言葉をせっせと並べて考えるところとか、「あれ」の箱のふたを開けるか開けないかで大いに迷う時の文句とか
実にコミカルで面白いのです。
●俊寛
舞台は鬼界ヶ島。島流しの俊寛が意外と楽しく島の風俗になじみ、島の女性を妻として子も成し、
幸せに暮らしているという話。
京からはるばる会いに来た有王との会話という形で、先に許されて帰還した二人のことも解り、島流しになった者の心の在りよう、日々の暮らしの中で幸せでいることについて考えさせられます。
中でも面白いと思ったのは 女性の顔の「美しさ」について語るところで、都住まいの感覚では白くて目が細くてしもぶくれが「美しい」としても、この地では目鼻立ちのはっきりした健康的な女性が美人だったりする。時代や場所が変われば「美人」も違ってくるのだ、という話。
どの物語もやはり、どこまでが古典を元に書かれているのか どこからが芥川独自の語り口なのか、創作した展開なのか わかっている方が面白い(興味深い)のかもしれません。
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電車通勤になって 少しずつでも一日のうちに本を読む時間ができました。これからも マイペースで感想を書いていこうと思います。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:301
- ISBN:9784101025018
- 発売日:2005年10月01日
- 価格:380円
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