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紅い芥子粒
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昭和十九年十一月一日、東京で初めて空襲警報が鳴った。その日から昭和二十年八月二十一日までの戦災日記である。内田百閒、57歳。夫人と二人暮らしだった。
夜となく昼となく警戒警報が鳴り響く。ときには、それが空襲警報へと切り替わる。
着の身着のまま布団に入り、警報が鳴れば飛び起きて、庭の防空壕に逃げる準備をし、解除されればまた布団にもぐりこんで、浅い眠りにつく。
そんな毎日の繰り返しが、達者な筆で綴られる。

空襲に明け暮れた昭和十九年から二十年の冬は、雪がよく降りよく積もった。
地震も異様に多かった。
敵機襲来におびえているときに、足元がグラグラ揺れる。
百閒先生は、ひょうひょうと書いているが、どんなに不安な毎日だったことだろう。

三月十日の大空襲の日は、まっ赤な空をながめているだけですんだが、
五月二十五日の大空襲で、先生と奥さんはついに焼け出された。

小鳥が大好きで、コマドリだのメジロだのを籠に入れて飼っていた先生。
断腸の思いで、籠に入れたまま、小鳥を置いて逃げた。
空に逃がしてやらなかったのは、むかし読んだクオバディスに、ローマの戦火に鳥が飛び込んでいく場面があったからだ。
どうせ助からぬのなら、住み慣れた籠の中で死なせてやろうと考えたのだった。

大空襲の日、きっと、おびただしい野鳥が炎に飛び込んで焼け死んだことだろう。
人間って、ほんとうに罪深い。

お酒が大好きだった先生。
一升瓶を抱いて逃げた。逃げる道々、コップ酒をあおりながら。

九死に一生を得た先生夫妻は、焼け残った男爵家の片隅の小屋を借りて住み始める。
二畳か三畳の、トイレすらない狭い小屋。
それでも防空壕で暮らすことを思えばありがたいと思う。
気がつけば、二か月も三か月も風呂に入っていない。
物資は欠乏し、お金はあっても一粒の米もない。
酒もたばこも手に入らず、気が変になりそう。
栄養失調からくる下痢に苦しみ、空襲警報と蚤に安眠を妨げられる。

当時、先生は日本郵船の嘱託社員だった。
栄養失調と睡眠不足でふらふらしながら、省線電車に乗って出社する。
こんなときでも、電車は走るのだ。
東京のど真ん中を走る電車なのに、窓から見る景色は、まっ黒な焼け野原。
先生の胸にこみあげるのは、怒りでも哀しみでもなく、虚しさだ。
先生は、何度つぶやいたことだろうーーーー「ばかばかしい」

そうだ、ばかばかしい。だから、ぜったい戦争はしてはいけない。
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:559 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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