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実験動物たちを暗いケージの中から、私たちの元へ引き寄せる

  • ありがとう実験動物たち (ノンフィクション・生きるチカラ)
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  • 出版社:岩崎書店
ありがとう実験動物たち (ノンフィクション・生きるチカラ)
実験動物と聞けば、誰しもがネガティブなイメージを抱くだろう。しかしこの本は、そのイメージを確実に覆してくれる一冊だ。

医学部の動物実験施設で「技術職員」として働く末田輝子さん、通称「テル」の活動を通して、知られざる動物実験の世界を解説する。動物実験施設は徹底的な衛生管理のもとに置かれ、職員たちは実験動物たちの体調管理のために日々地道な仕事をこなし、時には予想外のハプニングを乗り越えている。例えば、2万匹以上いるマウスも一匹一匹丁寧に扱い、オスとメスでも扱いが異なる。頭のいいブタに至っては、1頭ごとに個性があり1頭ごとに扱いも異なる。

しかし、そうした細やかな配慮の一方で、課題もある。ブタは家畜としての歴史が長いが、実験動物としての飼育法は十分に確立されていなかった。苦しむ姿に心を痛めたテルは、単なる飼育管理にとどまらず、環境改善に取り組む。ケージの外で過ごす時間を設け、エサも探しながら食べられるよう工夫する。そうした積み重ねによって、実験中に予期せぬ死を迎えるケースは大きく減っていった。
テルは動物が安心して走り回ったり、おいしそうにエサを食べたりしているのを見ると、ほっとします。研究者も、自分が実験に使う動物が短い間だけでも、幸せに暮らしているところを見ると、安心します。相手の幸せを見て、自分たちも幸せに感じるのが人間だと、テルは思います。

いざ実験となると、数日前からエネルギーをたくわえるために食事メニューを増やし、麻酔にも細心の注意を払う。緩んだ肛門から出た汚れを洗い流し、目が乾燥しないようクリームを塗り、寒くないよう毛布をかける。手術当日は泊まり込みになることも多い。術後は体調に気を配り、時には抱きかかえて見守り、鎮痛薬も用いる。
そしてどれほど心を込めて介抱しても、ほとんどの実験動物は安楽死の対象となる。実験目的の臓器採取のために、あるいは人道的な見地から苦痛から逃れるために。その人道的な基準もまた、国際的なさまざまな議論と積み重ねの上にある。
テルにとって、つらいのは動物たちを安楽死させるときではありません。動物たちが生きながらにして、苦痛を感じているときなのです。

テルの献身的な取り組みは、時に動物を苦痛から回復させ安楽死を免れさせることもある。さらには、予想外の実験結果から条件に合わなくなり安楽死される予定だったブタのトンちゃんの里親を探して、つてをたどって遠く離れた田舎に安住の地を見つけ出したこともあった。
テルの活躍は動物実験施設の枠を超え、その功績は何度も表彰され、ついには文部科学省「創意工夫功労者賞」として国からも認められるほどになった。
「ヒトは、動物のいのちを犠牲にしなければならないという悲しみを背負って生きています。それを、社会に代わって引き受けているのが、わたしたち動物実験の関係者なのだと思います。自ら望んだわけではなく、実験動物の運命を背負わされた動物たちに、自分ができることは、ほんの短い一生のうちに、今まで経験したことのない、安心で快適なひとときを味わせることです」


児童書ながら十分な読み応えがある。むしろ児童書だからこそ、読者に問いかける距離感が保たれており、このテーマと適切に向き合えるような気がする。

この本で特に印象的なのが、実験用マウスのブリーダー・Sさんの逸話だ。動物愛護の立場から批判を受けながらも、医学の進歩を支える責任を引き受けている。
「何度も危険な状態になりながら、70歳まで生きてくれたおじいさんに、あの世であったら、いいたいです。わたしは医者にはなれなかったけど、医学の進歩にほんの少しだけど貢献したよと、胸を張っていたいので、まだまだこれからもがんばらなければなりません」

実験に直接関わる人だけではない、その周縁に生きる人々もまた医学を支えている。広い目で見れば、誰もが何らかの形で医学に関わり、ひいては実験動物とも無縁ではない。この本は、動物実験を遠い暗いケージの中の出来事としてではなく、自分自身に引きつけて考えるきっかけを与えてくれる一冊だ。
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  • 掲載日:2026/05/09
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