AIの活用に対しては賛否さまざまな意見があるが、仕事が奪われる懸念がある業種もあり、否定的な意見に触れる機会は多い。
ただ、ここまで技術が発展してくると、AIをまったく活用しない未来像は想像し得ないものになっている。
いずれにせよ現時点におけるAIの特性は、しっかりと把握しておく必要はあると思う。
本書は、「AIは人間の知性を映し出す鏡」(15頁)とする。
AIが自ら思考するわけではない。
それが依拠するデータは、過去に記録された人間の思考、判断、願望、欲求、認識、期待、想像である。
過去に蓄積されてきた膨大なデータを素材とするため、もっともらしいことを提示することが多いながらも、もっともらしさを誤認したまま情報提供してくることもある。
場合によっては歪んだ方向に導くこともあり得ることは理解すべきだ。
自ら思考しないAIは、映画「ターミネーター」や「マトリックス」などに描かれたように人間を攻撃し始めることは、どうやらなさそうだ。
だったら、何も気にすることなくAIを活用しまくれば良いということになるのではないか。
そんな短絡的な考えを否定するように、本書は異なる角度からAIの弊害を説く。
AIは自動化した思考ツールとして使用される傾向にあり、参照とする過去のデータにはプラス要素もあればマイナス要素もある。
ネット上に蔓延する差別や偏見もAIの思考の素材になり得るのだ。
また、プログラムを組み立てる立場は、限られた人たちに限られる。
つまり、一部の人たちが見て思考し評価したことが、あたかも世界の潮流のような雰囲気を纏いながらAIという形態を通して提示される。
AIが有用であることは間違いない。
知識を求められるだけの試験では、もはや人間には勝ち目はないだろう。
そうなってくると知識を問うだけの試験そのものが意味をなさなくなる。
例えば、弁護士に求めらえる特性は何か。
法律を完璧に覚え、膨大な判例を記憶しておくことだろうか?
それとも膨大なデータを逐一を調べ上げる能力なのか?
そのいずれもAIが勝るとしたら、果たして弁護士は必要な業種なのだろうか?
人間が犯す犯罪には、犯罪の数だけの裏事情があると思う。
その細かな事情の全てがデータ化されているとは限らないし、細かな事情が判断基準にされるとは限らない。
AIに全てをゆだねられない点は、こんなところだろうか。
本書はAIをめぐるフィクションの本質を、機械の知性のそれではなく、人間性に欠けた人間という逆説にあると指摘する。
膨大なマイナス要素のデータが、そんなフィクションを生み出し、それをあり得るものとして享受する私たちがいる。
AIを切り離して生きることは無理だろう。
だからこそ、AIの特質を理解する必要があるが、そのためには人間そのものを知ることが必須なのかもしれない。
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