こんなことを言ってはなんだが、北村透谷のことは名前のほか、ほとんど知らない。
国語の授業か、日本史の授業で名前だけは目にしたことがあるが、
その作品も思想もよく知らない。
透谷は明治27年に25歳で自死した作家であるが、こうして今でも作品に取り上げられるのであるから、
やはり人を惹きつける何かがあるのだろう。
もっとも門井慶喜さんの『夫を亡くして 北村透谷の妻・ミナ』の場合、
主人公は透谷ではなく、その妻であるミナなのだが。
ミナの足跡をたどると、北村ミナとも結婚前の旧姓である石坂ミナ(あるいは美那子)とも表記される。
何しろ1865年生まれのミナが夫・透谷を亡くしたのが30歳にも満たない頃で、
昭和17年に76歳で亡くなるまでのほとんどをシングルとして生きたことになる。
そんな彼女の生き方を門井さんは現代に通じる女性像とみたのであろう。
若き才能を持った有名な夫をもちながらも、ミナはその夫からも自由であったように見える。
彼女の場合、その自由さは強さでもあり、だからこそ夫・透谷の死後渡米を果たし、
帰国後はその英語力をもって教職の道を歩むことになる。
そんな自由さは娘との感情の齟齬であったり、若い男子生徒の恋愛感情を刺激したりもあるが、
それらでさえも彼女の翼をもぎとることはなかった。
「人は誰かの添えものではない」
物語のおわり、ミナはこうして胸をはる。
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