ぷるーとさん
レビュアー:
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古典的名作を改めて読んでみる。
ジーキル博士は、誰が見ても善良で研究熱心な素晴らしい人間として描かれている。その素晴らしい人間であるはずのジーキル博士は、なぜ、自分の中に潜む悪をわざわざ分離して見せようなどという考えを持ったのだろう。
彼は研究熱心な科学者だから、自分の知的好奇心を抑え切れなかったのと言ってしまえばそれまでなのだが、知的好奇心というものはあらゆる分野に向けられるべきものだから、ジーキル博士の研究対象が「人間の善悪」に向かうにはやはりそれなりの根拠がなくてはならないという気がする。
ジーキル博士自身の生い立ちや会話を聞いていて感じられることは、彼がかなり厳格な躾のもとに育てられたに違いないということだ。幼い頃からたまりにたまった鬱屈した思いから、ジーキル博士は強い変身願望を持っていたのではないだろか。ハイド氏になったときに彼が感じた快感は、それまで強い力で抑えられ、閉じ込められていたものが不意に解放された喜びであったに違いない。
人間には悪いことの方、安楽なことの方に流されがちな傾向があるが、ジーキル博士はいともたやすくハイド氏に征服されてしまっている。これは、ジーキル博士が、小さい頃から時には悪いこともし、叱られもしながら育った人間とは違って、悪い事に対する免疫があまりにもできていなかったためではないだろうか。
だが、人間の善悪の二面性というものは、そう簡単に二つに切り離すことなどできるものだろうか。悪の部分だけが取り出されたハイド氏が人間離れした容貌だったというように、善悪両面があってこその人間で、そのどちらか一方だけということはありえない。
それは、イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』でも描かれていて、片方だけの存在がいかに不自然であるかを強調している。人間の魅力というものは、善なる面と悪なる面の絶妙なるバランスの上に成り立っているものなのだから。
彼は研究熱心な科学者だから、自分の知的好奇心を抑え切れなかったのと言ってしまえばそれまでなのだが、知的好奇心というものはあらゆる分野に向けられるべきものだから、ジーキル博士の研究対象が「人間の善悪」に向かうにはやはりそれなりの根拠がなくてはならないという気がする。
ジーキル博士自身の生い立ちや会話を聞いていて感じられることは、彼がかなり厳格な躾のもとに育てられたに違いないということだ。幼い頃からたまりにたまった鬱屈した思いから、ジーキル博士は強い変身願望を持っていたのではないだろか。ハイド氏になったときに彼が感じた快感は、それまで強い力で抑えられ、閉じ込められていたものが不意に解放された喜びであったに違いない。
人間には悪いことの方、安楽なことの方に流されがちな傾向があるが、ジーキル博士はいともたやすくハイド氏に征服されてしまっている。これは、ジーキル博士が、小さい頃から時には悪いこともし、叱られもしながら育った人間とは違って、悪い事に対する免疫があまりにもできていなかったためではないだろうか。
だが、人間の善悪の二面性というものは、そう簡単に二つに切り離すことなどできるものだろうか。悪の部分だけが取り出されたハイド氏が人間離れした容貌だったというように、善悪両面があってこその人間で、そのどちらか一方だけということはありえない。
それは、イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』でも描かれていて、片方だけの存在がいかに不自然であるかを強調している。人間の魅力というものは、善なる面と悪なる面の絶妙なるバランスの上に成り立っているものなのだから。
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ホラー以外は、何でも読みます。みなさんの書評を読むのも楽しみです。
よろしくお願いします。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:130
- ISBN:9784102003015
- 発売日:1972年12月01日
- 価格:300円
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