darklyさん
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20世紀最大の哲学者と呼ばれるウィトゲンシュタインの思想が1冊の本で語りつくせるわけはないが、題名が示す通り最初に一歩としてはまさにうってつけの1冊である。
本書は、ウィトゲンシュタイン哲学を読み解く上での基本的な思想をキーワード毎に分かりやすく解説した本です。主なターゲットは中学生や高校生であるものの、色々読み漁ってはいても断片的な知識しか持たない私にはピッタリではなかろうかと手に取ってみました。
哲学書を読む難しさはなんといってもその言葉の解釈です。ただでさえ天才的な頭脳を持つ人が考えに考え抜いたものであり、どれだけかみ砕いて説明されても理解できないものもありますが、分かってしまえばそうではないものの日本語に訳された言葉が持つニュアンスが分かりにくく、日本語の文章としてもスッと読めないものも多い印象でした。
その点本書は、一つ一つの言葉について例を用いてかみ砕くように丁寧に説明しており、あくまでも著者による解釈ではあるものの、とても参考になるものが沢山ありました。ただ、ウィトゲンシュタイン哲学の全体についての解説というよりは、そのエッセンス、前述のキーワードを元に解説したものであり、「ウィトゲンシュタイン、最初の一歩」という題名が表すとおり、これを足掛かりにしてほしいという目的で書かれたようです。
ウィトゲンシュタインの初期の有名な著書「論理哲学論考」において有名な文章「語りえないものについては、沈黙しなければならない」というものがありますが、それに関連して面白い例が挙げられていますのでご紹介します。
大森荘蔵の「流れとよどみ」という著作の「ロボットの申し分」という文章の中で、アンドロイドが自分たちにも心があり、感情が流れていると人間に訴えます。もちろん人間側は証拠を見せろと否定しますが、アンドロイドは人間同士でも同じではないかと反論します。人間も他人に魂があるのか分からないじゃないかと。
これに対してウィトゲンシュタインはどのように考えるでしょうか?彼はこう言います。
本書にも少し触れられていますが、どうしてもこのような話題はディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」又はそれを原作とした「ブレードランナー」を連想してしまいます。もしウィトゲンシュタインが「ブレードランナー」に登場していたならば、彼はこう主張するでしょう。「フォークト=カンプフ検査はナンセンスである。検査の結果が確実ではない以上、人間だろうがアンドロイドだろうが私は同じように接する。」
前述の通り、本書によってウィトゲンシュタインがすべてわかるということはありませんが、ハイデガーやデリダやフッサールのような他の哲学者やフロイトとの考え方の類似や相違など単に哲学的な読み物としてもとても面白い本でした。
哲学書を読む難しさはなんといってもその言葉の解釈です。ただでさえ天才的な頭脳を持つ人が考えに考え抜いたものであり、どれだけかみ砕いて説明されても理解できないものもありますが、分かってしまえばそうではないものの日本語に訳された言葉が持つニュアンスが分かりにくく、日本語の文章としてもスッと読めないものも多い印象でした。
その点本書は、一つ一つの言葉について例を用いてかみ砕くように丁寧に説明しており、あくまでも著者による解釈ではあるものの、とても参考になるものが沢山ありました。ただ、ウィトゲンシュタイン哲学の全体についての解説というよりは、そのエッセンス、前述のキーワードを元に解説したものであり、「ウィトゲンシュタイン、最初の一歩」という題名が表すとおり、これを足掛かりにしてほしいという目的で書かれたようです。
ウィトゲンシュタインの初期の有名な著書「論理哲学論考」において有名な文章「語りえないものについては、沈黙しなければならない」というものがありますが、それに関連して面白い例が挙げられていますのでご紹介します。
大森荘蔵の「流れとよどみ」という著作の「ロボットの申し分」という文章の中で、アンドロイドが自分たちにも心があり、感情が流れていると人間に訴えます。もちろん人間側は証拠を見せろと否定しますが、アンドロイドは人間同士でも同じではないかと反論します。人間も他人に魂があるのか分からないじゃないかと。
これに対してウィトゲンシュタインはどのように考えるでしょうか?彼はこう言います。
彼に対する私の態度は、魂に対する態度である。彼には魂がある、という意見を私がもっているわけではない。分かりにくい文章ですが、かいつまんで説明しますと、彼(人間だろうがアンドロイドだろうが)に魂があるかどうかについては分からない。しかし、相手の振る舞いが、あたかも魂を持っているかのようなものであれば私は人間であろうともアンドロイドであろうとも同じように接するということです。これ以上、謙虚な考え方があるでしょうか?
本書にも少し触れられていますが、どうしてもこのような話題はディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」又はそれを原作とした「ブレードランナー」を連想してしまいます。もしウィトゲンシュタインが「ブレードランナー」に登場していたならば、彼はこう主張するでしょう。「フォークト=カンプフ検査はナンセンスである。検査の結果が確実ではない以上、人間だろうがアンドロイドだろうが私は同じように接する。」
前述の通り、本書によってウィトゲンシュタインがすべてわかるということはありませんが、ハイデガーやデリダやフッサールのような他の哲学者やフロイトとの考え方の類似や相違など単に哲学的な読み物としてもとても面白い本でした。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:亜紀書房
- ページ数:0
- ISBN:9784750516882
- 発売日:2021年08月21日
- 価格:1650円
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