三太郎さん
レビュアー:
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全然ちがうようで、どこか人間的なゴリラの生きざまについて。
後に京都大学総長を務めた霊長類学者の山極さんが1997年に書いた本の文庫版です。実は読み終わった今でも、タイトルの「父という余分なもの」という言葉の意味を正確には掴みかねているのですが。
人間や類人猿に限らず、すべての動物には「生物学的な」父親は必要不可欠なので、ここでいう「父」とはもっと違うものでしょう。「社会学的父親」という概念があるといいます。社会の制度により父親だと認められる、ということのようですがこれも分かりにくい。
この本を読んでいてわかってきたのは、人間に近い類人猿でも父親が誰だかはっきりしない種があること、父親がはっきりしている場合でも子供が思春期を迎えた後は子は群れを離れ、親子の縁は切れてしまってその後は無関係になることです。これは人間の親子とはずいぶん違います。
類人猿のなかで人類と先祖が最も近いチンパンジーは複数のオスと複数のメスとその子供たちからなる集団をつくります。オスとメスの間には特定のカップルは存在せず、なりゆきで交尾する乱婚です。いわば多夫多妻制でこの場合は父親がどのオスかは彼らにも解らなくなってしまう。メスは一か月周期で発情するが、交尾期間は数日~十数日と長い。
因みに類人猿のメスには季節性の発情期はなく、個体ごとに一定の周期で発情します。
一方、この本の主役であるゴリラは一頭のオスと複数のメスと子供たちからなる集団を作り、一夫多妻制です。メスは一か月周期で発情するが、交尾期間は2、3日と短い。従ってこの集団の子供の父親は明らかで、オスは子育てにも参加するとか。しかし子供が思春期になるとオスもメスも集団を離れて行き二度と戻ってはきません。親子のきずなは幼少期だけのように見えます。
群れを離れた若いメスは直ぐに別のオスが率いる群れに加わるか、一匹だけで行動する若いオスと新しい群れを作ります。これらの群れとメスが元いた群れとの間には融和的な関係が生じることはなく、むしろ緊張関係が生じるらしい。これも人間の集団とは違います。
群れを離れた若いオスは一匹で行動しながら他のオスの率いる集団からメスを引き抜く機会を狙うか、オスだけの集団を作るらしい。このオスだけの集団は著者もびっくりするような行動をみせます。オス同士の同性愛が頻繁に見られたといいます。
一匹の若いオスを巡って年長の二頭のオスが本気で喧嘩するという事態も見られました。同性愛の行動は一見普通の交尾と同じように行われ射精もするといいます。一夫多妻制ではオスが余ってしまうから同性愛もありそうに思えますが、従来はオスは発情したメスを見て発情すると思われていたから、年長のオスが若いオスを見て発情したのは著者にとっても意外な行動だったらしい。相手のいないオスが若いオスをメスに見立てて発情するというのは幾分人間的かな。この時の若いオスは嫌がって逃げることがあるとか。
一夫多妻の群れのメス同士の間には特に親密な関係はないようです(まれにメス同士の同性愛もあるようですが)。ゴリラの群れは一匹のオスが複数のメスとの間に複数の夫婦関係をつくるので、人間でいえば旦那のもとにお妾さんがみな集まっているようなものかも。
しかしまれに、年老いたオスの群れに成熟した若いオスがいることがあります。リーダーのオスは自分の余生が長くないと悟ると、自分の息子を群れの後継者として残しておくらしい。この場合、息子は父親であるリーダーの妻たちと交尾はできないので、父親の娘たちと交尾するといいます。親夫婦と息子夫婦が同居するようなものかな。この場合息子夫婦は兄妹(あるいは姉弟)間の近親婚になりますが、群れの存続を優先した選択らしい。
なお、ゴリラのリーダーは年老いて体力が低下しても他のオスに群れを追い出されるということはないとか。メスは一旦夫婦関係を築くとそのオスにずっと付いていくことが多く、年老いてもリーダーは群れのメスたちから支持され続けるらしい。群れの乗っ取りは老リーダーが死んだときに起きます。
実際に老リーダーオスが亡くなると、その若い息子が群れを継承することはかなり困難な道だといいます。ゴリラのメスは若いオスより経験豊富な他の年長のオスの元に行きたがるので、群れは崩壊することが多いらしい。実はゴリラのオスにはメスを無理に群れに引き留めておく手段はない。メスは自分の判断で群れを移っていく。こうやってゴリラの社会は一定の流動性を確保しているらしい。
この辺りは人間の社会より合理的なのかも。
人間の家族とゴリラの群れの大きな違いは、ゴリラは他の群れとは常に敵対的な緊張関係にあり、群れの間の融和を促すような行動は見られません。自分の娘が他の群れに嫁いだからといってその群れと親しい関係になるわけではない。だから群れより大きな社会は作れない。それが人間との大きな違いです。
ゴリラは人間とよく似た生き物ですが、決定的に違う点もあります。ゴリラを含めて類人猿は相手と「同調」することができない。たとえば向かい合って一緒に同じ食べ物を食べる「共食」行為は見られない。同調とは相手に共感するという能力かも。同調した行動がとれるのが人間の特徴で、どうもそれが人間を人間たらしめているらしい。
僕自身は単身赴任の上、コロナ禍の中で誰かと食事を共にする機会はほとんどなくなりましたが。
コロナ禍の日本でしきりに「同調圧力」の害について語られましたが、皮肉にも「同調」できなくなると人は人ではなくなるらしいです。(僕自身は同調圧力とは何なのかあまり実感できませんでしたが。)
人間や類人猿に限らず、すべての動物には「生物学的な」父親は必要不可欠なので、ここでいう「父」とはもっと違うものでしょう。「社会学的父親」という概念があるといいます。社会の制度により父親だと認められる、ということのようですがこれも分かりにくい。
この本を読んでいてわかってきたのは、人間に近い類人猿でも父親が誰だかはっきりしない種があること、父親がはっきりしている場合でも子供が思春期を迎えた後は子は群れを離れ、親子の縁は切れてしまってその後は無関係になることです。これは人間の親子とはずいぶん違います。
類人猿のなかで人類と先祖が最も近いチンパンジーは複数のオスと複数のメスとその子供たちからなる集団をつくります。オスとメスの間には特定のカップルは存在せず、なりゆきで交尾する乱婚です。いわば多夫多妻制でこの場合は父親がどのオスかは彼らにも解らなくなってしまう。メスは一か月周期で発情するが、交尾期間は数日~十数日と長い。
因みに類人猿のメスには季節性の発情期はなく、個体ごとに一定の周期で発情します。
一方、この本の主役であるゴリラは一頭のオスと複数のメスと子供たちからなる集団を作り、一夫多妻制です。メスは一か月周期で発情するが、交尾期間は2、3日と短い。従ってこの集団の子供の父親は明らかで、オスは子育てにも参加するとか。しかし子供が思春期になるとオスもメスも集団を離れて行き二度と戻ってはきません。親子のきずなは幼少期だけのように見えます。
群れを離れた若いメスは直ぐに別のオスが率いる群れに加わるか、一匹だけで行動する若いオスと新しい群れを作ります。これらの群れとメスが元いた群れとの間には融和的な関係が生じることはなく、むしろ緊張関係が生じるらしい。これも人間の集団とは違います。
群れを離れた若いオスは一匹で行動しながら他のオスの率いる集団からメスを引き抜く機会を狙うか、オスだけの集団を作るらしい。このオスだけの集団は著者もびっくりするような行動をみせます。オス同士の同性愛が頻繁に見られたといいます。
一匹の若いオスを巡って年長の二頭のオスが本気で喧嘩するという事態も見られました。同性愛の行動は一見普通の交尾と同じように行われ射精もするといいます。一夫多妻制ではオスが余ってしまうから同性愛もありそうに思えますが、従来はオスは発情したメスを見て発情すると思われていたから、年長のオスが若いオスを見て発情したのは著者にとっても意外な行動だったらしい。相手のいないオスが若いオスをメスに見立てて発情するというのは幾分人間的かな。この時の若いオスは嫌がって逃げることがあるとか。
一夫多妻の群れのメス同士の間には特に親密な関係はないようです(まれにメス同士の同性愛もあるようですが)。ゴリラの群れは一匹のオスが複数のメスとの間に複数の夫婦関係をつくるので、人間でいえば旦那のもとにお妾さんがみな集まっているようなものかも。
しかしまれに、年老いたオスの群れに成熟した若いオスがいることがあります。リーダーのオスは自分の余生が長くないと悟ると、自分の息子を群れの後継者として残しておくらしい。この場合、息子は父親であるリーダーの妻たちと交尾はできないので、父親の娘たちと交尾するといいます。親夫婦と息子夫婦が同居するようなものかな。この場合息子夫婦は兄妹(あるいは姉弟)間の近親婚になりますが、群れの存続を優先した選択らしい。
なお、ゴリラのリーダーは年老いて体力が低下しても他のオスに群れを追い出されるということはないとか。メスは一旦夫婦関係を築くとそのオスにずっと付いていくことが多く、年老いてもリーダーは群れのメスたちから支持され続けるらしい。群れの乗っ取りは老リーダーが死んだときに起きます。
実際に老リーダーオスが亡くなると、その若い息子が群れを継承することはかなり困難な道だといいます。ゴリラのメスは若いオスより経験豊富な他の年長のオスの元に行きたがるので、群れは崩壊することが多いらしい。実はゴリラのオスにはメスを無理に群れに引き留めておく手段はない。メスは自分の判断で群れを移っていく。こうやってゴリラの社会は一定の流動性を確保しているらしい。
この辺りは人間の社会より合理的なのかも。
人間の家族とゴリラの群れの大きな違いは、ゴリラは他の群れとは常に敵対的な緊張関係にあり、群れの間の融和を促すような行動は見られません。自分の娘が他の群れに嫁いだからといってその群れと親しい関係になるわけではない。だから群れより大きな社会は作れない。それが人間との大きな違いです。
ゴリラは人間とよく似た生き物ですが、決定的に違う点もあります。ゴリラを含めて類人猿は相手と「同調」することができない。たとえば向かい合って一緒に同じ食べ物を食べる「共食」行為は見られない。同調とは相手に共感するという能力かも。同調した行動がとれるのが人間の特徴で、どうもそれが人間を人間たらしめているらしい。
僕自身は単身赴任の上、コロナ禍の中で誰かと食事を共にする機会はほとんどなくなりましたが。
コロナ禍の日本でしきりに「同調圧力」の害について語られましたが、皮肉にも「同調」できなくなると人は人ではなくなるらしいです。(僕自身は同調圧力とは何なのかあまり実感できませんでしたが。)
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:0
- ISBN:9784101265919
- 発売日:2015年01月28日
- 価格:649円
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『父という余分なもの: サルに探る文明の起源』のカテゴリ
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