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ぽんきち
レビュアー:
かつて激しい弾圧を受けた人々がいた。
隠れ切支丹と呼ばれる人々がいる。
かつて、キリスト教は激しい弾圧を受け、それを逃れるために隠れて信仰を続けるものがいた。禁教令が解かれた後も、そうした人々が紡いできた信仰の形は受け継がれて残った。

長崎、五島、天草といった地域を巡り、「隠れ」の子孫たちの暮らしを写した写真集。
著者は九州生まれ。遠藤周作の『沈黙』をきっかけに、「切支丹」に興味を持つ。
本書には、昭和47年から54年に渡って撮影されたものが収められる。
巻頭に遠藤周作が一文を寄せている。

小さな島々に、美しいステンドグラスを施されたまばゆい天主堂が建つ。
信者らは独特の宗教的儀式を行い、敬虔な祈りを捧げる。
一度は踏み絵を踏み、しかし潜在して密かに信仰を育んだ、「転び」と呼ばれた者たち。その子孫が守り続けてきた信仰の拠り所とはなんだったのだろうか。

冒頭の遠藤の一文によれば、「隠れ」信者とカトリック信者はあまり仲がよくないのだという。ある漁村では、隠れとカトリックが半々であるが、カトリックは太陽暦、隠れは陰暦を使い、復活祭もクリスマスも別の日に行うという。遠藤はその地の神父に、「カトリックだと名乗れば、隠れの信者は会ってくれないかもしれない」と聞く。
一度は「転び」、信仰を捨てたふりをして潜んできた彼ら。そこには信仰を守った強さと同時に、信仰を告白できない後ろめたさも混じるのだろうか。

民俗学的にも価値がありそうな宗教行事の記録も興味深いが、老人たちに刻まれた深い皺にも目を奪われる。子供たちは屈託なく笑い、家族の暮らしは温かい。父と子が並び、聖書を読む。
魚を漁り、段々畑を耕す。
暮らしは厳しいだろうか。信仰とともに暮らすとはどういうことだろうか。
さまざまな想いを呼び起こす写真集である。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1825 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。現在、中雛、多分♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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この書評へのコメント

  1. noel2020-12-15 23:56

    ルルドの話も、というか、そんな感じの本の感想(書評)もどこかで書いてらしたような……。長崎・五島列島のルルドは悲しく沈んだお顔をしていますが、じっと見ていると、こちらの心の醜さも忘れて清らかな気分になります。

  2. ぽんきち2020-12-16 08:52

    コメントありがとうございます。

    カレルのルルド紀行の本ですね。

    五島へは実際にいらっしゃったのですね。機会があれば行ってみたいです。
    この地ではマリア信仰が特に盛んなようですね。聖母の持つ「許し」がとりわけ深い意味を持ったというところでしょうか。

  3. No Image

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