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タイトルにある「四月」にひかれて手にしたのは、初版が2015年4月と、少しばかり古い本だった。

  • 四月は少しつめたくて
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  • 出版社:河出書房新社
四月は少しつめたくて
タイトルにある「四月」にひかれて手にしたのは、初版が2015年4月と、少しばかり古い本だった。

帯には詩が書けなくなった大詩人 VS 訳あり女性編集者 詩と再生の物語というキャッチコピーの後に、
世界は言葉の拘束衣を着ている、詩はその綻びか。
活字ではなく浮世に生きる詩と詩人を描いて新鮮。
という、谷川俊太郎氏の言葉が続く。

作者の名前もあいまって、(いやこれは、狙いすぎでしょう)と思わず突っ込みたくなるのは私だけではないはずだ。

既に時効と思われるので、あっさりとネタ晴らしすると、物語で重要な位置を占める詩人に谷川俊太郎を思わせるような要素は全く無いし、作者と詩人が身内ということもないようだ。

それはそれとして、物語の方はというと…

大手出版社で女性誌のエディターをしていた「わたし」=今泉桜子は、とある事情で退職し、しばらく休んだ後、『月間現代詩』の編集者として小さな出版社に再就職。
担当することになったのは、かつてはその作品が教科書に載っていたほど著名な詩人でありながら、かれこれ十年以上新作を発表していない詩人藤堂孝雄。

執筆依頼をするものれんに腕押しで、なんだかんだと呼び出されては、飲み代や馬券代を払わされたりしている。

ひと昔前の作品とはいえ、これが年若い新人編集者だったなら、間違いなくアウトな案件だと思うが、そこはそれ、そこそこ歳を重ねた貯金も分別もある訳あり独身女性という設定に救われているのかどうなのか、とにかく「わたし」は、自ら進んで詩人に振り回されると同時に、それまで興味も関心も知識も全く無かった詩を読むようになるのだった。

文壇の噂話的な話として、詩では食えないというのはよく聞くけれど、ましてや新作を全く発表していないこの詩人はいったいどうやって生計を立てているのかというと、主な収入源はカルチャースクールの講師だという。

藤堂が講師をつとめる教室に通う「私」=清水まひろは、高校時代のある事件を境に口をきかなくなった浪人生の娘のことで悩んでいて、なにかきっかけをつかめればと、教室に通うようになったのだった。

詩とは何か、
詩はどうやって生み出されるのか、
相手の心に届く言葉とは、
どうしたら相手の心に届けることが出来るのか、

物語を通して作者は問う。


宮澤賢治の「雨ニモマケズ」
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
いうところで必ず泣きそうになり、そのことで少し傷つく「わたし」。
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
という最後の一節を読むたびに(わたしはもうどういうものにもられないんだろうな)と思ってしまう「わたし」。
もうなってしまった自分を見つめるのがこわくて、猫の背をなでる「わたし」。

そういう「わたし」に心惹かれたら、この本を読んでみるのもいいかもしれない。

あるいは藤堂の詩の一節にある
謝罪は権力を生む
だからあやまってほしくないんだ
というフレーズについて、考え込まずにはいられない「私」とともに、謝るということについて考えてみたいと思うあなたにも。

  • 掲載日:2026/04/20
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