hackerさん
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「魔術を使う女を生かしておいてはならない」(旧約聖書「出エジプト記」より)
1692年に実際に起こったセイラム魔女裁判を題材にして、1953年初演当時の赤狩りの狂気をあぶりだした作品です。
「セイラム魔女裁判(セイラムまじょさいばん 英語: Salem witch trials)とは、現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日に始まった一連の裁判である。200名近い村人が魔女として告発され、19名が刑死、1名が拷問中に圧死、2人の乳児を含む5名が獄死した」(Wikipediaより)
スティーヴン・キングの『呪われた町』 "Salem's Lot" (1975年)の舞台となった町の名前セイラムズ・ロットは、この出来事を意識した命名なのでしょう。1953年1月に初演された本作は、実際に起こったセイラム魔女裁判を取り上げながら、当時吹き荒れていた赤狩りの狂気をあぶりだしたものです。登場人物も多岐にわたる集団劇である本作は、一家族の物語に徹底していた『セールスマンの死』と違い、読んでいると人間関係に多少混乱するようなところもあります。ただ、そもそも「不完全」な芸術である戯曲なのですから、舞台をイメージしながら読むべきでしょう。おそらく、舞台を観ている時には、こういう印象は持たないと思います。
内容は、セイラムに住む一部の少女たちがおこなっていた降霊のまねごとが、魔術と認定され、取り調べる側の牧師たちの「自白すれば減刑される」という言葉に追随して、悪魔を見た、他の住民に魔術をかけられた、と自白する人間が続出したという史実を扱っています。また、これを良い機会に、物欲や愛欲や打算を秘めて、自分に都合の悪い相手を告発するという事例も語られています。題名は、セイラム村という狭い場所で、ふつふつと何かが煮えたぎっている様を表しているのは言うまでもないでしょう。
本書で、私が興味深かったのは、最初は熱心に魔女狩りを行っていた牧師たちが、あまりの魔女の多さに、そもそも魔女がこんなにいるのかという疑問を抱き始める者が出てくるという描写です。にもかかわらず、神は絶対であるがゆえに、神の代理人としての牧師も絶対であり、したがって牧師が下した判決は絶対に正しいとかたくなに信じる若しくは信じているふりをする牧師の方の意見が通るのです。それは、何人も処刑した後で、残りは疑念があるのでやめるというわけにはいかないという主張でもありました。
こう考えてくると、本書の牧師たちの考え方は、ウクライナ侵攻を始めたロシアにも共通したものであることが分かります。これほどあからさまな虚偽の理由によって、必要ない戦争(必要な戦争なんて、そもそもありませんが)を始めた例は今世紀では初めてかもしれませんが、これだけ多くの人間の犠牲を出した後で、どう収束させるつもりなのかは、個人的には全く分かりません。報道を聞いている限りでは、ここから数十年間待ち構えているであろう、世界からの孤立とどう向き合うのかを、ロシア国民がどう考えているのかも分かりません。そういう意味で、本書は、優れた心理描写によって時の試練を生き延びてきた文学同様、人類の歴史で繰り返されてきた愚行を扱った文学ゆえに時の試練に耐えた、古典と呼ばれる価値のある作品です。
最後ですが、こういう本を読むと、いつも思うことがあります。
「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」は、フランス革命時にギロチンにかけられたロラン夫人の遺した有名な言葉ですが、次の言葉も同じくらい真実でしょう。
「神よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」
スティーヴン・キングの『呪われた町』 "Salem's Lot" (1975年)の舞台となった町の名前セイラムズ・ロットは、この出来事を意識した命名なのでしょう。1953年1月に初演された本作は、実際に起こったセイラム魔女裁判を取り上げながら、当時吹き荒れていた赤狩りの狂気をあぶりだしたものです。登場人物も多岐にわたる集団劇である本作は、一家族の物語に徹底していた『セールスマンの死』と違い、読んでいると人間関係に多少混乱するようなところもあります。ただ、そもそも「不完全」な芸術である戯曲なのですから、舞台をイメージしながら読むべきでしょう。おそらく、舞台を観ている時には、こういう印象は持たないと思います。
内容は、セイラムに住む一部の少女たちがおこなっていた降霊のまねごとが、魔術と認定され、取り調べる側の牧師たちの「自白すれば減刑される」という言葉に追随して、悪魔を見た、他の住民に魔術をかけられた、と自白する人間が続出したという史実を扱っています。また、これを良い機会に、物欲や愛欲や打算を秘めて、自分に都合の悪い相手を告発するという事例も語られています。題名は、セイラム村という狭い場所で、ふつふつと何かが煮えたぎっている様を表しているのは言うまでもないでしょう。
本書で、私が興味深かったのは、最初は熱心に魔女狩りを行っていた牧師たちが、あまりの魔女の多さに、そもそも魔女がこんなにいるのかという疑問を抱き始める者が出てくるという描写です。にもかかわらず、神は絶対であるがゆえに、神の代理人としての牧師も絶対であり、したがって牧師が下した判決は絶対に正しいとかたくなに信じる若しくは信じているふりをする牧師の方の意見が通るのです。それは、何人も処刑した後で、残りは疑念があるのでやめるというわけにはいかないという主張でもありました。
こう考えてくると、本書の牧師たちの考え方は、ウクライナ侵攻を始めたロシアにも共通したものであることが分かります。これほどあからさまな虚偽の理由によって、必要ない戦争(必要な戦争なんて、そもそもありませんが)を始めた例は今世紀では初めてかもしれませんが、これだけ多くの人間の犠牲を出した後で、どう収束させるつもりなのかは、個人的には全く分かりません。報道を聞いている限りでは、ここから数十年間待ち構えているであろう、世界からの孤立とどう向き合うのかを、ロシア国民がどう考えているのかも分かりません。そういう意味で、本書は、優れた心理描写によって時の試練を生き延びてきた文学同様、人類の歴史で繰り返されてきた愚行を扱った文学ゆえに時の試練に耐えた、古典と呼ばれる価値のある作品です。
最後ですが、こういう本を読むと、いつも思うことがあります。
「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」は、フランス革命時にギロチンにかけられたロラン夫人の遺した有名な言葉ですが、次の言葉も同じくらい真実でしょう。
「神よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- ef2022-04-14 04:25
大変興味深く読ませていただきました。
「セイラム魔女裁判」のことはあちこちで目にしていましたし、何と言っても『悪魔学大全』(https://www.honzuki.jp/book/301371/review/266308/)でも詳しく書かれていたので、「これはな~」と思っていました。
こういう作品もあるんですね。
読んでみたいです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - hacker2022-04-14 09:26
私は魔女裁判のことはよく知りませんが、それを扱った文学作品というと、やはり、悪魔が見えるふりをする女性たちの様が実にリアルに描かれている本書と、『素晴らしい新世界』のハクスリーによる『ルーダンの悪魔』が印象に残っています。後者は悪魔が離れた後の女性の人生も詳しく書かれていて、大変興味深い本でした。また、その事件は、イヴァシュキェヴィッチの『尼僧世アンナ』の元ネタにもなっています。
古本だと、結構な値段になっているようですが、『ルーダンの悪魔』もお勧めします。どこかの図書館にあるかもしれません。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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