ことなみさん
レビュアー:
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大人になって振り返ると、あのとき向かっていたのが切羽だったのかなと、うら悲しい記憶が蘇るような、荒野さんの才能はここかと改めて受賞の意味が分かった。
時の流れに沈んでしまっていた思いに気づかされる。井上荒野さんの繊細に組み立てられた物語にとっくに失ったと思っていた思いが、新たに息づく気がする。
直木賞に納得の物語だった。
読み始めて100ページほど。
丘の上の父親が開いた診療所の建物に住んで、九州の北部に近い島(方言で)でゆったりした暮らしに馴染んでいる夫婦、夫の陽介は画家で東京で個展の準備が進んでいる、妻のセイは島の小学校の養護教諭で、島で生まれて一度東京に出て二人で帰ってきた。
結婚4年目の夫婦は睦みあって暮らしている。
新学期に音楽教師の石和がフェリーから降りてくるまでは。
100ペ―ジあたりで、石和という青年のツンデレに迷ったセイが、目の前に苦しい切羽を見る話だと思った。なんだしまったそうなのか。
井上荒野さんは二冊目で最初に読んだ「もう切るは」が無責任で見栄っ張りな男から離れられず引きずられる話だった。
そんな先入観があったのでついこの切羽を誤解してしまった。
「切羽…トンネルの一番先の所」
石和に惹かれる気持ちが、夫に包まれた暮らしから少しずつ離れそうになる。石和を見れば隠していても心が震える。狭い島の学校では顔を見ない日は落ち着かない。石和も気がつくと近くにいることがある。できるだけ見ないようにしている自分の心の動きに驚く。
平穏な夫との暮らしが心地よい。それでも視野の隅には石和を入れそれが心にじわじわとしみてくる、切羽が見え始める。
以前母がそこから十字架を拾って来た。これが話に効果的に効いている。
同僚の奔放な月江は大っぴらに不倫中で狭い島ではもう公認の中になっている。
東京から会いに来て帰らない男の妻が追って来る。別れたというのは嘘か。
なぜか寡黙で自意識で身をよろっているような男、見方によっては疲れて痛ましい男、過去もよくわからない石和が少しずつ島に馴染んできたころだった。
フェリー乗り場で、妻と月江が男を取り合っている騒ぎに彼は月江に加勢して乱闘になる。
そして騒ぎが収まった後石和は男の後釜に座り月江と付き合い始める。
もう日常は戻らない。しばらく姿の見えなかった石和が島を出て行くという。
セイは切羽に向かっている。
島の長閑な暮らしの中にはこういうことも起きるかもしれない。いつの間にか暮らしに慣れたセイの切羽は、静かな環境で一層鮮やかに感じられたのかも知れない。
妻を愛する夫の柔らかい影、震えるような心で切羽に近づくサエ。月江の騒々しい影、現れて消えた石和の得体のしれない影、そして次第に死の切羽に近づいていく老いたかなえさんの様子が深い陰影を添えている。
生きている人々の心をただありのままに書いたに過ぎないとも思える。それが単純な秘めた恋でなくなっていく様子がこの作者の味わいかと感じる。
最後に書かれる島の穏やかな風景はほっとするよりも何か異世界に繋がっているようにも感じる。情感を持ち続けて余韻を楽しみたいときはこういう風景は少し邪魔になる。
直木賞に納得の物語だった。
読み始めて100ページほど。
丘の上の父親が開いた診療所の建物に住んで、九州の北部に近い島(方言で)でゆったりした暮らしに馴染んでいる夫婦、夫の陽介は画家で東京で個展の準備が進んでいる、妻のセイは島の小学校の養護教諭で、島で生まれて一度東京に出て二人で帰ってきた。
結婚4年目の夫婦は睦みあって暮らしている。
新学期に音楽教師の石和がフェリーから降りてくるまでは。
100ペ―ジあたりで、石和という青年のツンデレに迷ったセイが、目の前に苦しい切羽を見る話だと思った。なんだしまったそうなのか。
井上荒野さんは二冊目で最初に読んだ「もう切るは」が無責任で見栄っ張りな男から離れられず引きずられる話だった。
そんな先入観があったのでついこの切羽を誤解してしまった。
「切羽…トンネルの一番先の所」
石和に惹かれる気持ちが、夫に包まれた暮らしから少しずつ離れそうになる。石和を見れば隠していても心が震える。狭い島の学校では顔を見ない日は落ち着かない。石和も気がつくと近くにいることがある。できるだけ見ないようにしている自分の心の動きに驚く。
平穏な夫との暮らしが心地よい。それでも視野の隅には石和を入れそれが心にじわじわとしみてくる、切羽が見え始める。
以前母がそこから十字架を拾って来た。これが話に効果的に効いている。
同僚の奔放な月江は大っぴらに不倫中で狭い島ではもう公認の中になっている。
東京から会いに来て帰らない男の妻が追って来る。別れたというのは嘘か。
なぜか寡黙で自意識で身をよろっているような男、見方によっては疲れて痛ましい男、過去もよくわからない石和が少しずつ島に馴染んできたころだった。
フェリー乗り場で、妻と月江が男を取り合っている騒ぎに彼は月江に加勢して乱闘になる。
そして騒ぎが収まった後石和は男の後釜に座り月江と付き合い始める。
もう日常は戻らない。しばらく姿の見えなかった石和が島を出て行くという。
セイは切羽に向かっている。
島の長閑な暮らしの中にはこういうことも起きるかもしれない。いつの間にか暮らしに慣れたセイの切羽は、静かな環境で一層鮮やかに感じられたのかも知れない。
妻を愛する夫の柔らかい影、震えるような心で切羽に近づくサエ。月江の騒々しい影、現れて消えた石和の得体のしれない影、そして次第に死の切羽に近づいていく老いたかなえさんの様子が深い陰影を添えている。
生きている人々の心をただありのままに書いたに過ぎないとも思える。それが単純な秘めた恋でなくなっていく様子がこの作者の味わいかと感じる。
最後に書かれる島の穏やかな風景はほっとするよりも何か異世界に繋がっているようにも感じる。情感を持ち続けて余韻を楽しみたいときはこういう風景は少し邪魔になる。
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徹夜してでも読みたいという本に出会えるように、網を広げています。
たくさんのいい本に出合えますよう。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:204
- ISBN:9784104731022
- 発売日:2008年05月01日
- 価格:1575円
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