※ブクレコに2014年12月27日に投稿したレビューの再録。
ずっと以前から疑問だったことがある。言葉なしに思考することは可能か?という疑問だ。
西洋では「動物はものを考えるか?」ということがずっと問われてきた。こういう疑問が生じる1つの理由は、動物が言葉を持たないことがあるように思われる。そしてシュタイナーなどはこの問いに対して、「動物が人と同じように思考力を持つなどと考えてはならない」という趣旨のことを書いている。
今井むつみの『ことばと思考』は、この問いに認知心理学の観点から真摯に向き合った本である。
私が最初に述べた疑問については、アメリカの言語学者、ベンジャミン・リー・ウォーフが既に「ウォーフ仮説」という形で1つの答えを出していた。ウォーフ仮説とは大まかに言えば「人間は世界を自分の使う言語体系によって切り分け、認識している」というもので、この仮説に従うと、人は言語=言葉なしには世界を認識できないことになるので、言葉なしに思考することはできないという結論になる。
しかし、そのウォーフ仮説は様々な批判にさらされているから、その結論自体が果たして正しいのかどうかわからない。
この本は、そのウォーフ仮説を批判的に取り上げながら、世界に存在する様々な言語や、言語を十分身につける前の赤ん坊などから、言語=言葉が人の認識にどう関わっているかを探っていく。
ここで面白いのは、例えば世界には色について「明るい」と「暗い」という2種類の表現しか持たない言語があるというが、その言語を使う人たちも我々と同じように赤や青を明確に識別できるのだ。それはつまり、言葉の句切りが認識の区切りになるわけではないことを示している。
しかしまた、我々はものの位置を前、後、左、右といった相対的な位置表現で示すが、東、西、南、北といった絶対的な位置表現しか持たない言語もあるという。実は動物は自らの位置を絶対的な位置として認識していて、言葉を習得する前の赤ん坊もそうらしい。ところが、日本語や英語のような相対的な位置表現を主に使う言語を習得していくと、多くの赤ん坊からは絶対的な位置認識が消えていくのだ。それはつまり、言葉が認識そのものを規定していることを示している。
人も動物も共通した世界認識のパターンというものを生得的に持っているが、人の場合はそこに言語=言葉が加わることによって、その世界認識が一定の範囲で影響を受ける。そして、言葉もまた人が使う多くのツールと同じで、ある面では自らの力を増幅させるように働き、ある面では自らの力を制限あるいは退化させるように働く、ということなのだ。
というわけで、言葉と思考/認識ということに大きな示唆を与えてくれる本。
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