ぽんきちさん
レビュアー:
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ゆらりゆらゆら天竺へ
澁澤龍彦の遺作。
高丘(高岳)親王は実在の人物で、平城帝の第三皇子。
平城帝が譲位した後の嵯峨帝の皇太子であったが、「薬子の変」により廃太子され、出家した人物である。
薬子は平城帝の愛妾である。元々は薬子の娘が平城帝(当時は東宮)に召されて宮中に上がることになったが、まだ幼い娘の後見のような形で母の薬子が同行する。ところが東宮は母の方に夢中になって寵愛してしまう。もちろん、薬子には夫がいるのに、である。父・桓武帝は醜聞に怒り、薬子は追放。だが、桓武帝の死に伴って、平城帝は再び(今度は尚侍として)薬子を呼び戻す。
後、嵯峨帝に譲位して上皇となるも、都を平城京に戻して、政権を再び掌握しようとする。その陰には寵愛されていた薬子とその兄の動きもあり、そのため「薬子の変」と名付けられてはいる。が、おそらく薬子一派だけではなく、多くの人のさまざまな思惑が絡んでのことだろう。「薬子の変」と名付けて、上皇の女狂いのせいで片付けてしまうのが落としどころとしてはちょうどよかったのだと思われる。
いずれにしろ、上皇方は敗北。薬子は尚侍の職を解かれて、後、自殺。兄は左遷されて、後、射殺。上皇は出家。皇太子であった高丘親王も廃太子となった。
・・・というような前段は本書では軽く触れられるのみ。
物語では高丘親王はもう老人である。
出家し、空海の弟子として修業したのも遠い昔のこと。
老人になってから唐に渡った親王は、さらに天竺を目指す。通説では、唐では仏教が衰退しており、優れた師が見つからなかったため、仏法の真理を求める親王は渡天を決意する、となっているが、澁澤はこの説をよしとしない。唐での滞在期間が短すぎるのである。おそらく、親王にとって、最初から唐は目的地ではなく、経由地に過ぎなかった。天竺へのあこがれから、まずは唐に行き、天竺への手づるを探し求めたのだろう、という。
その背景には、母のようでもあり、それでいて妖艶でもあった、薬子の想い出があったのではないか、というのがこの幻想譚の始まりである。
そう、これは幻想譚というべきものだ。
親王は老境に至ってもどこか少年のようで、従者らは彼を「みこ」と呼ぶ。
彼らは、海路、天竺を目指す。
その途上で、さまざま異形のもの・不思議な出来事に遭遇する。
言葉を話す儒艮(ジュゴン)。
人の夢を食う獏。
上半身が人、下半身が鳥の女たち。
死期の近い人は水面に姿が映らぬ湖。
のどに詰まった真珠。
生気を吸い取り、人をミイラに変えてしまう花。
迦陵頻伽の鳥。
親王の命は長くはないことが旅の途上でわかる。
病に倒れ、それでも天竺を目指す親王が最後に取った手段とは。
無残なようで、実はこれほど幸福なことはないのかもしれない。
仏教も絡ませながら、どこか妖艶な香りも漂う。
母なるものへの思慕。年上の女へのあこがれ。
それらすべてが浄化され、鳥の舞い踊る中、この世ならぬ世界へと向かうのだ。
これが絶筆となった澁澤もまた、脳裏で彼の「天竺」にたどり着いたのだろうか。
高丘(高岳)親王は実在の人物で、平城帝の第三皇子。
平城帝が譲位した後の嵯峨帝の皇太子であったが、「薬子の変」により廃太子され、出家した人物である。
薬子は平城帝の愛妾である。元々は薬子の娘が平城帝(当時は東宮)に召されて宮中に上がることになったが、まだ幼い娘の後見のような形で母の薬子が同行する。ところが東宮は母の方に夢中になって寵愛してしまう。もちろん、薬子には夫がいるのに、である。父・桓武帝は醜聞に怒り、薬子は追放。だが、桓武帝の死に伴って、平城帝は再び(今度は尚侍として)薬子を呼び戻す。
後、嵯峨帝に譲位して上皇となるも、都を平城京に戻して、政権を再び掌握しようとする。その陰には寵愛されていた薬子とその兄の動きもあり、そのため「薬子の変」と名付けられてはいる。が、おそらく薬子一派だけではなく、多くの人のさまざまな思惑が絡んでのことだろう。「薬子の変」と名付けて、上皇の女狂いのせいで片付けてしまうのが落としどころとしてはちょうどよかったのだと思われる。
いずれにしろ、上皇方は敗北。薬子は尚侍の職を解かれて、後、自殺。兄は左遷されて、後、射殺。上皇は出家。皇太子であった高丘親王も廃太子となった。
・・・というような前段は本書では軽く触れられるのみ。
物語では高丘親王はもう老人である。
出家し、空海の弟子として修業したのも遠い昔のこと。
老人になってから唐に渡った親王は、さらに天竺を目指す。通説では、唐では仏教が衰退しており、優れた師が見つからなかったため、仏法の真理を求める親王は渡天を決意する、となっているが、澁澤はこの説をよしとしない。唐での滞在期間が短すぎるのである。おそらく、親王にとって、最初から唐は目的地ではなく、経由地に過ぎなかった。天竺へのあこがれから、まずは唐に行き、天竺への手づるを探し求めたのだろう、という。
その背景には、母のようでもあり、それでいて妖艶でもあった、薬子の想い出があったのではないか、というのがこの幻想譚の始まりである。
そう、これは幻想譚というべきものだ。
親王は老境に至ってもどこか少年のようで、従者らは彼を「みこ」と呼ぶ。
彼らは、海路、天竺を目指す。
その途上で、さまざま異形のもの・不思議な出来事に遭遇する。
言葉を話す儒艮(ジュゴン)。
人の夢を食う獏。
上半身が人、下半身が鳥の女たち。
死期の近い人は水面に姿が映らぬ湖。
のどに詰まった真珠。
生気を吸い取り、人をミイラに変えてしまう花。
迦陵頻伽の鳥。
親王の命は長くはないことが旅の途上でわかる。
病に倒れ、それでも天竺を目指す親王が最後に取った手段とは。
無残なようで、実はこれほど幸福なことはないのかもしれない。
仏教も絡ませながら、どこか妖艶な香りも漂う。
母なるものへの思慕。年上の女へのあこがれ。
それらすべてが浄化され、鳥の舞い踊る中、この世ならぬ世界へと向かうのだ。
これが絶筆となった澁澤もまた、脳裏で彼の「天竺」にたどり着いたのだろうか。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。現在、中雛、多分♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:253
- ISBN:9784167140021
- 発売日:1990年10月01日
- 価格:500円
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