三太郎さん
レビュアー:
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川上弘美さんが、蛇を踏むとセンセイの鞄のあいだで書いたエッセイ集。
川上弘美さんは1958年生まれだから、僕とほぼ同年代だ。そのためか、このサイトで小説のレビューを書きだして以来、川上さんの作品をずいぶん読んだ気がする。
このエッセイ集は1999~2001年に新聞や雑誌に掲載されたものを集めている。だから特に一貫したテーマはなさそうだが、芥川賞受賞作「蛇を踏む」と大ヒットした「センセイの鞄」に挟まれた時期の作品なので、関連ありそうな話題がちらほら。
「拾い癖」というエッセイ。彼女はゴミ捨て場でいろいろなものを拾う。古いロッキングチェア、カラーボックス、笛の鳴らなくなったヤカン、ロシア文学全集、アンアンのバックナンバー十数冊・・・。
川上さんの小説には、家の外で何かを拾って家に連れ帰る、というモチーフが繰り返し出てくる。「蛇を踏む」が代表例だろう。実際、作者はものを拾うのが好きだったのか、と納得した。
居酒屋に入り酒を一人または二人で飲む話も出ていた。
「春のおでん」は若い友人と二人でおでん屋で飲む話。最後は汁の浸みた大根でしめる。二人で5千円に抑えるというルールで飲むとか。
「金魚のC子」は藤枝静男の小説「田紳有楽」が題材だが、中学教師時代に同僚のマリ子さんと、志野のグイ飲みと金魚のC子の恋のお話を肴に、深夜まで二人で飲む話だ。
川上さんは旅先でも一人で飲みにお店に入る。センセイの鞄の世界だなあ。
小説が題材のエッセイもある。「月の記憶」はカルヴィーノの「柔らかい月」がモチーフだ。月が地球の近くを周回するようになった世界で、月の表面が地球の引力によりぐにゃりと変形して地球に向かって垂れ下がってくる。この小説を読んで以来、満月を見上げると、表面が熔けたチーズのように垂れ下がってくるのを見たという、にせの記憶がよみがえってくるという。
それ自身が短編小説のような作品もある。「妻に似ている」は作者の20代の思い出。昼間から公園の芝生に座って缶ビールを飲んでいると、見知らぬ初老の老人(僕くらいの年齢かな?)がやってきて、隣に座った。缶ビールを一本差し出すと男をそれを飲んで、なくなると、ビールを買ってきましょうという。お金を催促されて2千円を渡すとビールとカップ酒を買ってきた。タバコが欲しいというので箱ごと渡すと、「ありがとう。あなたはわたしの妻によく似ています」と言われた・・・
川上さんは古本屋や骨董屋が好きらしい。古本は古書ではなくて、一冊百円均一の中古の本などである。整頓された棚も乱雑な棚もよい。買うまいと思っても結局は十数冊の本を買ってリュックに背負って帰るとか。
「別れた男」とはヘミングウェイのこと。一時期、彼の小説を何回も読み返して、いつしか読まなくなっていた。久しぶりに読み返してみた。素敵だけれど、別れたのは当然だったな、と思ったとか。
「海の記憶」は作者が大学で生物学を専攻していたころの話。真冬の海でバフンウニをひたすら採集したのだとか。実験は下手だったがウニ拾いは得意だった。
「ナポリタンよいずこ」は喫茶店のメニューからあの(イタリア人は絶対に認めないという)スパゲッティー・ナポリタンが消えてしまったことを嘆くエッセイ。20年前にナポリタンは絶滅の危機にあったらしい。彼女はケチャップを使い自分でナポリタンを作りながら、ナポリタンはこんなもんじゃない、もっとくどくて妙に甘くて必要以上に赤くてためらいのないものなんだ、と心のなかで叫ぶ・・・
作者の願いが通じたのか、今ではめでたくナポリタンは復活を遂げた。僕の最寄駅の喫茶店のお勧めメニューがナポリタンなのだから・・・でも僕の思い出のナポリタンは、高校時代に学校の裏門の前の食堂で食べた、うどんをナタネ油とケチャップで炒めたような、べったりとして甘酸っぱいあのナポリタンなのだ。僕と川上さんはやっぱり同年代らしい。
このエッセイ集は1999~2001年に新聞や雑誌に掲載されたものを集めている。だから特に一貫したテーマはなさそうだが、芥川賞受賞作「蛇を踏む」と大ヒットした「センセイの鞄」に挟まれた時期の作品なので、関連ありそうな話題がちらほら。
「拾い癖」というエッセイ。彼女はゴミ捨て場でいろいろなものを拾う。古いロッキングチェア、カラーボックス、笛の鳴らなくなったヤカン、ロシア文学全集、アンアンのバックナンバー十数冊・・・。
川上さんの小説には、家の外で何かを拾って家に連れ帰る、というモチーフが繰り返し出てくる。「蛇を踏む」が代表例だろう。実際、作者はものを拾うのが好きだったのか、と納得した。
居酒屋に入り酒を一人または二人で飲む話も出ていた。
「春のおでん」は若い友人と二人でおでん屋で飲む話。最後は汁の浸みた大根でしめる。二人で5千円に抑えるというルールで飲むとか。
「金魚のC子」は藤枝静男の小説「田紳有楽」が題材だが、中学教師時代に同僚のマリ子さんと、志野のグイ飲みと金魚のC子の恋のお話を肴に、深夜まで二人で飲む話だ。
川上さんは旅先でも一人で飲みにお店に入る。センセイの鞄の世界だなあ。
小説が題材のエッセイもある。「月の記憶」はカルヴィーノの「柔らかい月」がモチーフだ。月が地球の近くを周回するようになった世界で、月の表面が地球の引力によりぐにゃりと変形して地球に向かって垂れ下がってくる。この小説を読んで以来、満月を見上げると、表面が熔けたチーズのように垂れ下がってくるのを見たという、にせの記憶がよみがえってくるという。
それ自身が短編小説のような作品もある。「妻に似ている」は作者の20代の思い出。昼間から公園の芝生に座って缶ビールを飲んでいると、見知らぬ初老の老人(僕くらいの年齢かな?)がやってきて、隣に座った。缶ビールを一本差し出すと男をそれを飲んで、なくなると、ビールを買ってきましょうという。お金を催促されて2千円を渡すとビールとカップ酒を買ってきた。タバコが欲しいというので箱ごと渡すと、「ありがとう。あなたはわたしの妻によく似ています」と言われた・・・
川上さんは古本屋や骨董屋が好きらしい。古本は古書ではなくて、一冊百円均一の中古の本などである。整頓された棚も乱雑な棚もよい。買うまいと思っても結局は十数冊の本を買ってリュックに背負って帰るとか。
「別れた男」とはヘミングウェイのこと。一時期、彼の小説を何回も読み返して、いつしか読まなくなっていた。久しぶりに読み返してみた。素敵だけれど、別れたのは当然だったな、と思ったとか。
「海の記憶」は作者が大学で生物学を専攻していたころの話。真冬の海でバフンウニをひたすら採集したのだとか。実験は下手だったがウニ拾いは得意だった。
「ナポリタンよいずこ」は喫茶店のメニューからあの(イタリア人は絶対に認めないという)スパゲッティー・ナポリタンが消えてしまったことを嘆くエッセイ。20年前にナポリタンは絶滅の危機にあったらしい。彼女はケチャップを使い自分でナポリタンを作りながら、ナポリタンはこんなもんじゃない、もっとくどくて妙に甘くて必要以上に赤くてためらいのないものなんだ、と心のなかで叫ぶ・・・
作者の願いが通じたのか、今ではめでたくナポリタンは復活を遂げた。僕の最寄駅の喫茶店のお勧めメニューがナポリタンなのだから・・・でも僕の思い出のナポリタンは、高校時代に学校の裏門の前の食堂で食べた、うどんをナタネ油とケチャップで炒めたような、べったりとして甘酸っぱいあのナポリタンなのだ。僕と川上さんはやっぱり同年代らしい。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:221
- ISBN:9784101292335
- 発売日:2004年11月01日
- 価格:420円
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