台湾ではセクシュアル・マイノリティ文学は質量ともに社会的認知を受けているとして、紹介されている「台湾セクシュアル・マイノリティ文学」全4巻の第1巻である。
直接身近にはカミングアウトしている知人はおらず、少数者の苦悩にどこまで理解が及ぶか心もとない。恐る恐る読んだ。
作者邱妙津(チウ・ミアオチン)は1969年の生まれ。
最初の長編小説である本作品は1994年に刊行され、評価された。
作者は1995年パリ留学中に自死。
台湾でアジア初の同性婚が認められたのはその後のことであるという。
同性しか愛せないレズビアンであることを自覚し始めた若い女性の手記の形をとっている。
自らも傷つき、相手をも傷つけながら生きざるをえない青春の記録は、痛々しくて読むのがつらい。
主人公は女子大生の拉子(ラーヅ)。
女性しか愛せないことで葛藤する。
八つの手記に記された、傷つく自我。
「鰐」と表現される比喩的幻想的なパートが間に挟まる。
台湾では「鰐」はセクシュアル・マイノリティを表すのだという。
差別と好奇の視線を浴びる鰐。
1987年に大学進学した「私」は、高校の先輩だった水伶と再会する。
親しく付き合いながら、相手への想いを自覚し、互いに傷つけ合う日々の後、プラトニックなまま別れる。
ゲイの夢生との友情。
彼には、既に別れたものの年に一度だけ会う楚狂がいる。
呑呑と至柔という新入生。
婚約者のいる5歳年上の小凡。
それぞれの青春が描かれる。
別れて18カ月後に再会した時には、水伶には既に新恋人がいた。
出会いから別れまでのやり直し。できないのだけれど、せざるを得ず。
最後には、生きるか死ぬか、決断を迫られてしまう。
理解できるとは言わない。
自分ではどうしようもないのだろう。
茨の道だろうなとは分かる。
純粋さがむやみと痛々しい、血の出るような手記なのだ。
この感覚は、これまで経験のないものだ。
このような作品を残して、その作者はもういないからこそ、社会は少しだけ、セクシュアル・マイノリティの存在と苦悩に注目するようになったのだろうか。
日本でここまで真摯に同性愛を綴った作品があるかどうか、寡聞にして知らない。
世界は広い。
文学は深い。
はじめての海外文学vol.5
で紹介されていなければ、手に取ることはなかったろう。
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