遠くに向けて望遠鏡を向ける。
ミクロの世界を顕微鏡で覗きこむ。
「ものを知る」ということで突然、別世界が見えてくる。
知識は眼鏡や望遠鏡、顕微鏡となる。
学問とはすべからく、そうなのだろう。
知らずに生まれ、そのまま知らずに命を終える者もいる。
知らずとも日々の生活には困らない。
しかし、知ってしまえば世界は変わる。変わって見える。
論文体の文章二編。講演体の文章が二編。
筆者丸山があとがきで書いているように、論文体の方はとりつきにくい。自分の勉強不足が至らぬ理解の理由のすべてではあるのだが、ご本人にそう言ってもらえれば少しだけではあるがほっとする。
分からないことは多い。だが、だからと言ってつまらないのではない。
見たこともない別世界に足を踏み入れたような刺激、興奮。
こう言っては生意気かもしれないが、それは楽しいひと時。
不勉強であることは、同時に勉強する道が残されているということ。
追い詰められているのでなければ、それは楽しいと言って構わないのではないか。
とりつきにくいと本人も述べた二編。『日本の思想』と『近代日本の思想と文学』については読み手側の知識不足。刺激的ではあるが消化不良としか言えず、今後の勉強のきっかけとしていくつもりだが、残りの二編『思想のあり方について』『「である」ことと「する」こと』は多少ではあるが分かりやすい。ことに最近興味を持ってその周辺を巡っている西洋文化と比較して知る日本文化という側面から読んでも非常に示唆に富んでいる。
「ササラ型」と「タコツボ型」の文化。
どこかで出会ったことはあるはずの言葉だが、本人の説明に勝る言葉はない。長い共通の文化的伝統が根にある「ササラ型」。そしてそれぞれが孤立して横のつながりがなくなった「タコツボ型」。学問の専門化、分化は日本でのみ危惧されてきたことではなく、西洋でも同様の怖れを述べる意見はあちこちで語られていたはず。しかし日本が西洋と違うのは、その分化が進んだ状態の学問がいきなり取り入れられたことだ。
分かれているようでいて、根っ子では共通のものがある西洋文化と、それぞれが分かれた状態の見本を目指して進んで来た日本。取り入れられ方にも問題があったかもしれないが、タイミングという偶然もあるのだろう。
「である」ことと「する」こと。
「である主義」とは俗な例で言えば、テレビに出ている人は模範的行動を「すべきである」と言うことか。芸能人と一般人の間の垣根も低くなったとは言え、家庭的・個人的スキャンダルが起こるたびに話題となる。「である=すべき」の固定観念。その根底にあったのでは、と思い至る。
日本の近代の混乱は「する」価値の猛烈な滲透と、一方で強靭に残る「である」価値がゴッタ返すことによるノイローゼ症状であると見抜いていた漱石。
「ササラ型」の根元を知らず「タコツボ」を作ってその弊害を蒙って来た日本の根無し草のような振る舞い。
「ある面でははなはだしく非近代的でありながら、他の面ではまたおそろしく過近代的でもある現代日本の問題」
60年以上前に書かれたものではあるが、そこで投げかけられた問題は現代においても引き続き考察すべき重要さを失ってはいない。ゴール地点は西洋風に設置しながら、その過程や評価は未だに武士道から離れ切れずにいるビジネス界の現状に疑問と悲哀を感じる日常ではあるが、それはより広く日本全体が持ち続ける問題でもある、と感じる。
文学を、その作品そのものだけでなく時代の中で読み解く。そのために必要な種々の知識。まだまだ学ぶべきことは多い。
小林秀雄が「葉隠」と宮本武蔵の世界に行きついた、との一文が、森の中で見つけた見知った花のようでうれしい。
【読了日2021年11月12日】





文学作品、ミステリ、SF、時代小説とあまりジャンルにこだわらずに読んでいますが、最近のものより古い作品を選びがちです。
2019年以降、小説の比率が下がって、半分ぐらいは学術的な本を読むようになりました。哲学、心理学、文化人類学、民俗学、生物学、科学、数学、歴史等々こちらもジャンルを絞りきれません。おまけに読む速度も落ちる一方です。
2022年献本以外、評価の星をつけるのをやめることにしました。自身いくつをつけるか迷うことも多く、また評価基準は人それぞれ、良さは書評の内容でご判断いただければと思います。
プロフィール画像は自作の切り絵です。不定期に替えていきます。飽きっぽくてすみません。
この書評へのコメント
- ランピアン2021-11-27 23:23
読むだけで骨が折れる読書にお付き合いさせてしまい、申し訳ありませんでした。しかし、この難解な書をしっかり読んでしまうマーブルさんの向学心には、いつもながら頭が下がります。
まさに「ある面でははなはだしく非近代的でありながら、他の面ではまたおそろしく過近代的でもある現代日本の問題」というテーゼは、現在も多くの左派知識人の共通認識となっており、戦後思想の雄として丸山の存在感は今も大きなものがあります。
私は評論家の呉智英さんの影響で儒学の生勉強をしましたが、どうも食指が動かなかったのが江戸期日本の儒学でした。伊藤仁斎でも荻生徂徠でも、要は論語のパラフレーズに過ぎない、どれも似たようなものだと思っていたんですね。
その蒙を啓いてくれたのが丸山の『日本政治思想史研究』で、徂徠学の登場で日本の思想と学術がいかに大きく変化したかを知り、その鮮やかな立論に感嘆しました。やはり偉大な知識人ではあったと思います。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-11-28 22:09
いえいえ、丸山氏をご紹介いただき感謝申し上げます。
未消化のままのお恥ずかしい書評をお読みいただくこととなってしまいましたが、現状での理解を残しておきました。いずれまた戻ってチャレンジしたいと思います。
分からないところの方が多かったのですが、有名な「であること」と~の考え方は、さっそく後で読んだ将棋界の本などにも見られるのでは、と思いました。そんなものの見方を持って今後の考察に臨みたいと思います。
文学と社会の話題も難しいながらに、興奮を覚える内容でした。やはり社会の動きと連動するのでしょうね。俗な話で恐縮ですが、先日テレビで観た仮面ライダーの50年だって、同じ見方ができるなあ、とあらためて感じました。正義と悪の図式の変化。ゴジラの変化の考察も面白かったですが、仮面ライダーで同様のことをしてみるのも楽しそうです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-12-08 22:33
>昔は冊数をこなすことばかり考えてました
ご同様です。実はバイクも、昔はとにかく距離を走ろうとばかり考えていたものです。最近は、同じ道を丹念に走るのが楽しい。春。夏。秋。逆向きに走ったり、止まってみたり。
きっと、若い頃は何が自分に合っているか、探す意味があったのでしょう。決して多読も無駄ではなかったと思います。これだな、と思う本を繰り返し読んで、その都度色んなことを考えて。情報が少なかった頃の先人が行っていた精読が、実はかなり幸せな行為だったようにも思えてきています。少しでも近づけるといいのですが。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-12-12 22:41
沈潜しすぎて意識が遠のいている気もします(笑)
「沈潜」という言葉がなかなか難しいなあ、と検索してみたら齊藤孝氏の文章にあたりました。スマホを見る時間を絞って本を読もう。本を読んで作者、あるいは自分自身と対峙しよう。読書で得た疑似体験が非常な効用を与える。との内容でした。ほんとに同感ですね。
理解力や知識不足もあるのでしょうが、人間は機械ではありませんから読書をしても、書いてあること全てをデータとして取り込むことはかないません。その点不完全なのですが、境遇やタイミングで必要とするものに出会えたり、その時には響かなくても後々ふと膝を打つような体験があり、それらが複合的に自身の中で発酵する面白さがある。
時間を置くと忘れてしまうので書評にとりあえず残してはいますが、いつも書ききれていない気がして、次の本を読む際にようやく少し見になりつつあるような。まさしく沈潜と言えるかもしれません。(笑)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ランピアン2021-12-12 22:26
>書いてあること全てをデータとして取り込むことはかないません
おっしゃるとおりですね。インターネットが普及したことで、単に知識を得るために本を読む意味はなくなりましたからね。その一方で、考え方の筋道を身につけるには、文学や歴史、思想の本を読むに如くはないと思っています。
私は現実の社会や政治にあまり興味がなく、またそういう難しいことを考えるのは私の任ではないと思っていますが、日本が過去に犯した過ちを含め、知っておかなければならない、弁えておかなければならないことはありますから、そのためにも本をじっくり繙読するのは大事だと思っています。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:岩波書店
- ページ数:192
- ISBN:9784004120391
- 発売日:1978年03月03日
- 価格:735円
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