rodolfo1さん
レビュアー:
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深夜二十三時からひっそりと開く夜食カフェ「マカン・マラン」を舞台に、社会の中で居場所を見失いかけた人々が、ドラァグクイーン、シャールの料理と静かな言葉によって再び自分を取り戻していく連作短編集。
古内一絵作「マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ」を読みました。
第一話「春のキャセロール」では、大手広告代理店に二十年勤めながら、万年課長のまま不況と早期退職の波に晒されている独身女性・塔子が主人公です。激務の末に貧血で倒れた彼女を救ったのは、深夜営業のカフェ「マカン・マラン」を営む大柄なドラァグクイーン、シャールでした。塔子は最初こそ戸惑いを覚えますが、温かい飲み物と静かな空間に身を委ねるうち、自分がいかに仕事だけで生き、食べることさえ疎かにしてきたかを思い知らされます。春野菜のキャセロールは、塔子の空腹だけでなく、長年押し殺してきた感情をも溶かしていきます。
社内では縁故採用の上司からの嫌味や、権力闘争の渦に疲弊し、社会には自分のような独身中年女性の居場所がないと感じる塔子に対し、シャールは「世の中そのものが錯覚なのだ」と語ります。かつてはエリート会社員だったシャール自身も、その錯覚から自由になることで今の生き方を選んだのでした。最終的に塔子は昇進の内示を受けながらも、それを選ばず早期退職を決意します。それは敗北ではなく、会社の歯車として生きる人生から降りるという主体的な選択でありました。
第二話「金のお米パン」では、中学校教師の柳田と生徒の璃久の物語が描かれます。璃久は家庭で作られる食事を拒み、問題児として扱われていましたが、その背景には震災体験による深い心の傷がありました。柳田自身も教師としての情熱を失いかけ、惰性で日々を過ごしていました。そんな二人をつなぐ場所として現れるのがマカン・マランです。合宿でみんなで作って食べたカレーと豚汁は普通に食べたと言う璃久の話を聞いたシャールは璃久にカレーパンを供し、一関市で被災者住宅にいる璃久の友人は、璃久のしている事を喜ぶのかと尋ね、ついに璃久は泣き出したのでした。。。
柳田もまた、かつてシャールから掛けられた「やる時にはやる男だ」という言葉を思い出します。最終的に柳田は生徒たちを連れて被災地を訪れ、食を通じた交流を実践します。教育とは管理でも指導でもなく、人と人が同じ釜の飯を食うことから始まるのだという、静かなメッセージが込められています。
第三話「世界で一番女王なサラダ」では、零細出版社で働くライターのさくらが主人公です。失われた二十年世代として、やりがいも評価も得られず、空虚さを抱えた彼女は、取材のためにマカン・マランを探し当てます。しかしシャールは安易な消費や切り取りを拒み、取材は断ります。その代わりに供されるのが、もちあわと南瓜のスフレ、そして宝石箱のようなサラダでした。
「足りなければ満たせばいい」「自分たちには何だってできる」というシャールの言葉は、空っぽだと嘆くさくらの心を正面から肯定します。何者でもない自分を責めるのではなく、探し続けた情熱そのものが価値なのだと気づいたさくらは、初めて素直に涙を流します。この章では、自己実現や仕事の成功では測れない「生きる力」が、食と共に描かれています。
第四話「大晦日のアドベントスープ」では、ジャダこと大輔と、地上げ屋の小峰を中心に、店の存続を巡る物語が展開されます。刺繍職人でもあるジャダは、荒っぽい言動の裏に深い情を秘めた人物であり、シャールの病と店の立ち退き問題に直面します。地上げ屋として憎まれ役であった小峰もまた、貧しい過去と孤独を抱えた存在であることが次第に明らかになります。
シャールが振る舞ったおからの煮つけは、小峰にとって不遇な子供時代の記憶を呼び起こし、彼の心を静かに変えていきます。最終的に地上げは失敗に終わり、アドベントスープとして用意された佛跳牆は、別れと再生、そして祈りの象徴として描かれます。食べることは生き延びること、誰かと共に食べることは、人生を肯定することなのだという本作の主題が、ここで最も深く響きます。
この店のオーナーは品格のあるドラァグクイーンで、店のお針子として雇っているのも同類でした。彼らはいつも本来そうではない自分との軋轢に悩み、この店でだけほっと一息つきます。この巻で取り上げられた4人の客もまた同じで、みな本来の自分はこうではない筈だと思いながら、日常に押し流されてその思いをやり過ごしています。
全編を通じて「マカン・マラン」は、社会からこぼれ落ちそうな人々のための、夜だけ開く避難所として存在します。シャールは救済者でも説教者でもなく、皆の悩みを聞き、自分なりに応え、滋味に溢れた料理と健康に良いお茶で皆をもてなして、相手が自分で答えに辿り着くのを待ちます。シャールは、頑張れとも立ち直れとも言いません。ただ「ちゃんと食べなさい」「ここに居ていい」と囁く存在であり、その静かな優しさが、読み手の心に長く残る一冊であります。
異質な者こそが本質を見抜き、悩める皆に新たな気づきを与え、皆を本来の道に進ませる事が出来るのだという作者の主張は我々の胸に迫って来ます。登場人物達はゆとり世代と見なされながらも、実は失われた20年によって身も心も痛めつけられている世代の人々です。残り4作のシリーズの中で、これらの登場人物達がどう変遷していくかについて大きな期待が持たれる所でした。
第一話「春のキャセロール」では、大手広告代理店に二十年勤めながら、万年課長のまま不況と早期退職の波に晒されている独身女性・塔子が主人公です。激務の末に貧血で倒れた彼女を救ったのは、深夜営業のカフェ「マカン・マラン」を営む大柄なドラァグクイーン、シャールでした。塔子は最初こそ戸惑いを覚えますが、温かい飲み物と静かな空間に身を委ねるうち、自分がいかに仕事だけで生き、食べることさえ疎かにしてきたかを思い知らされます。春野菜のキャセロールは、塔子の空腹だけでなく、長年押し殺してきた感情をも溶かしていきます。
社内では縁故採用の上司からの嫌味や、権力闘争の渦に疲弊し、社会には自分のような独身中年女性の居場所がないと感じる塔子に対し、シャールは「世の中そのものが錯覚なのだ」と語ります。かつてはエリート会社員だったシャール自身も、その錯覚から自由になることで今の生き方を選んだのでした。最終的に塔子は昇進の内示を受けながらも、それを選ばず早期退職を決意します。それは敗北ではなく、会社の歯車として生きる人生から降りるという主体的な選択でありました。
第二話「金のお米パン」では、中学校教師の柳田と生徒の璃久の物語が描かれます。璃久は家庭で作られる食事を拒み、問題児として扱われていましたが、その背景には震災体験による深い心の傷がありました。柳田自身も教師としての情熱を失いかけ、惰性で日々を過ごしていました。そんな二人をつなぐ場所として現れるのがマカン・マランです。合宿でみんなで作って食べたカレーと豚汁は普通に食べたと言う璃久の話を聞いたシャールは璃久にカレーパンを供し、一関市で被災者住宅にいる璃久の友人は、璃久のしている事を喜ぶのかと尋ね、ついに璃久は泣き出したのでした。。。
柳田もまた、かつてシャールから掛けられた「やる時にはやる男だ」という言葉を思い出します。最終的に柳田は生徒たちを連れて被災地を訪れ、食を通じた交流を実践します。教育とは管理でも指導でもなく、人と人が同じ釜の飯を食うことから始まるのだという、静かなメッセージが込められています。
第三話「世界で一番女王なサラダ」では、零細出版社で働くライターのさくらが主人公です。失われた二十年世代として、やりがいも評価も得られず、空虚さを抱えた彼女は、取材のためにマカン・マランを探し当てます。しかしシャールは安易な消費や切り取りを拒み、取材は断ります。その代わりに供されるのが、もちあわと南瓜のスフレ、そして宝石箱のようなサラダでした。
「足りなければ満たせばいい」「自分たちには何だってできる」というシャールの言葉は、空っぽだと嘆くさくらの心を正面から肯定します。何者でもない自分を責めるのではなく、探し続けた情熱そのものが価値なのだと気づいたさくらは、初めて素直に涙を流します。この章では、自己実現や仕事の成功では測れない「生きる力」が、食と共に描かれています。
第四話「大晦日のアドベントスープ」では、ジャダこと大輔と、地上げ屋の小峰を中心に、店の存続を巡る物語が展開されます。刺繍職人でもあるジャダは、荒っぽい言動の裏に深い情を秘めた人物であり、シャールの病と店の立ち退き問題に直面します。地上げ屋として憎まれ役であった小峰もまた、貧しい過去と孤独を抱えた存在であることが次第に明らかになります。
シャールが振る舞ったおからの煮つけは、小峰にとって不遇な子供時代の記憶を呼び起こし、彼の心を静かに変えていきます。最終的に地上げは失敗に終わり、アドベントスープとして用意された佛跳牆は、別れと再生、そして祈りの象徴として描かれます。食べることは生き延びること、誰かと共に食べることは、人生を肯定することなのだという本作の主題が、ここで最も深く響きます。
この店のオーナーは品格のあるドラァグクイーンで、店のお針子として雇っているのも同類でした。彼らはいつも本来そうではない自分との軋轢に悩み、この店でだけほっと一息つきます。この巻で取り上げられた4人の客もまた同じで、みな本来の自分はこうではない筈だと思いながら、日常に押し流されてその思いをやり過ごしています。
全編を通じて「マカン・マラン」は、社会からこぼれ落ちそうな人々のための、夜だけ開く避難所として存在します。シャールは救済者でも説教者でもなく、皆の悩みを聞き、自分なりに応え、滋味に溢れた料理と健康に良いお茶で皆をもてなして、相手が自分で答えに辿り着くのを待ちます。シャールは、頑張れとも立ち直れとも言いません。ただ「ちゃんと食べなさい」「ここに居ていい」と囁く存在であり、その静かな優しさが、読み手の心に長く残る一冊であります。
異質な者こそが本質を見抜き、悩める皆に新たな気づきを与え、皆を本来の道に進ませる事が出来るのだという作者の主張は我々の胸に迫って来ます。登場人物達はゆとり世代と見なされながらも、実は失われた20年によって身も心も痛めつけられている世代の人々です。残り4作のシリーズの中で、これらの登場人物達がどう変遷していくかについて大きな期待が持たれる所でした。
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- 出版社:中央公論新社
- ページ数:265
- ISBN:9784120047886
- 発売日:2015年11月21日
- 価格:1620円
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