hackerさん
レビュアー:
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「模倣し、分析し、論評し、我田引水の評論を仕上げる者は多いが、だれもハメットのようには書けない。ハメットはハメットであり、偉大なるオリジナルであるからだ」(本書訳者解説より)
この『マルタの鷹』(1930年)を最初に読んだのは相当前で、たぶん高校生になりたての頃だと思いますが、正直あまり面白くありませんでした。まぁ、その年齢では無理からぬところですが、その後大学生になってからジョン・ヒューストン監督により1941年に映画化された作品に感銘を受けて、読みなおした記憶があります。今回はそれ以来の、先日再読した『赤い収穫』に続いての、ハメット作品の再読になりますが、いや、実に面白いです。あらためて感心しました。
お話としては、行方知れずになっている、価値がいくらなのか想像もつかないようなお宝、マルタの鷹をめぐる争奪戦を扱ったもので、これ自体はありふれていると言ってもいいような冒険譚ですが、とにかく登場人物の描写と造形が素晴らしいです。
ハメットの描写に関しては、11年前に書いた『ガラスの鍵』についての拙文中で、言いたいことをすべて言ってしまったように思っていて、それは本書にも当てはまると思うので、引用させてもらいます。
「本書の最大の特徴は、心理描写が一切ない、という点です。そもそも、三人称で書かれてはいますが、『彼はこう感じた』とか『彼はこう思った』という類の文章は、まったく出てきません。登場人物の言葉、表情の描写から、内面を想像するしかありません。しかし、このこと自体は映画や戯曲では、当然の前提です。この作品は、そういう意味では、小説の決まりごとを破壊した上に成り立っているのです。
ハードボイルドというジャンルは、言うまでもなく、ハメットが創始者ですが、昨今、このジャンルの小説は、一人称で書かれることが多いようです。それは、ハメットの後継者と目されているチャンドラーやロス・マクドナルドの諸作が、そのように書かれているせいもあるでしょうが、本書を読むと、簡潔な描写と会話を積み上げていく、本来の(あえて、こういう言葉を使いますが)ハードボイルドは、主人公の主観を語る必要がないものである、ということを認識できます。更に大胆に言ってしまえば、ハメットが創立したハードボイルドは、ハメット一代で終わりを告げ、現在のハードボイルドは、ハメットの亜流であるチャンドラーが確立したものである、とも言えるでしょう。
したがって、『ハメットの前にハメットなく、ハメットの後にハメットなし』です」
この文章の最後の部分は、本書の訳者小鷹信光があとがきで同じ主旨のことを述べていますが、まったくの偶然です。本書は『ガラスの鍵』に比べると、文章の完成度と言う点では劣ると思いますが、その代わり、登場人物の印象深さでは優るものがあります。
まず、主人公の私立探偵サム・スペードですが、ジョエル・カイロという悪党にこんなことを言われます。
「事を起こす前に、あなたについては充分に調べておいたのです。そして、確信を持ちました。ほかにどんな理由があろうと、金儲けの話を優先させる物わかりのいい方だろうというのが分かったのです」
スペードは、同じ事務所のパートナーであるマイルズ・アーチャーのことを馬鹿にしているだけでなく、彼の妻アイヴァともできています。事務所の秘書であるエフィ・ペリンとも、なにやら怪しい雰囲気です。あまり道徳的でない人物でないことは確かですが、最後の章で殺人犯を暴く時、何ものにも譲れない自分の倫理観と正義感を持っていることが分ります。スペードについて、自身も探偵家業を経験したハメットは「私と同じ釜の飯を食った探偵たちの多くがかくありたいと願った男、少なからぬ数の探偵たちが時にうぬぼれてそうあり得たと思いこんだ男」と語っていますが、口八丁手八丁で、官憲も恐れていない私立探偵というのは、確かにそういう存在だったのだろうと思います。
他に、手段を選ばず、マルタの鷹を17年追い求めている「体中の肉がだらりと垂れた太りかた」の口調は丁寧な悪党キャスパー・ガットマン、ガットマンと付かず離れず、やはりマルタの鷹の行方を追っているきざなレヴァント人のジョエル・カイロ、ガットマンの「お稚児さん」でもある小柄な殺し屋ウィルマー・クックなどが、現在の感覚では皆「デジャビュ」なのかもしれませんが、とても印象的に描かれています。
なお、冒頭に触れた本書の映画化作品は、俳優としても大きな足跡を残しているジョン・ヒューストンの監督処女作です。サム・スペードはハンフリー・ボガートが演じましたが、彼が初主演を務めたのは、同年に撮られたラオール・ウォルシュ監督の傑作『ハイ・シエラ』で、ヒューストンは、その映画の脚本家でした。ですから、映画『マルタの鷹』は、ボガートの主演第二作というわけで、この最初の二本の主演映画により、それまでジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソン主演映画の敵役に甘んじてきた彼はスターとなりました。
実は、本書は、ヒューストン以前に2回映画化されていますが、現在では映画『マルタの鷹』というと、このヒューストン監督でボガート主演のものしか誰も思い浮かべません。本書を再読した後で、映画の方も再見しましたが、原作に実に忠実に作られた作品で、ヒューストンは「それ以前の2回の映画化は、原作にない余計なものを付け加えて失敗した」という主旨の発言をしていますから、ヒューストンは原作の完成度の高さをしっかり理解していたのでしょう。
また、映画のボガートは、もちろん素晴らしいのですが、ヒューストンはカイロを演じたピーター・ローレについて「無害そうな外見の内側に人間くさい欲望を匂わせて間然するところがない」と言い、ガットマンを演じたイギリス舞台俳優シドニー・グリーンストリートについては「監督の役割も忘れて彼の演技を惚れ惚れと眺めていたものだ」と両名を絶賛しており、この二人と、悪女役を演じたメアリー・アスターも含め、ドンピシャの配役であったことも、この映画の評価を揺るぎないものにしました。
ヒューストン監督の映画には、『アスファルト・ジャングル』(1950年)で初めて大きな役を与えられたマリリン・モンローのように、印象的な演技を見せる脇役がよく登場しますが、彼自身が脇役としていろいろな映画で出演していたこととは無縁ではないでしょう。ロマン・ポランスキー監督の傑作『チャイナタウン』でのフェイ・ダナウェーの父親役を演じたヒューストンを忘れてしまえる人間はまずいないはずです。
映画の話となると、つい長くなってしまいます。ご容赦ください。要するに、本書はミステリー史に残る傑作であり、それを忠実に映像化したヒューストン監督作品は映画史に残る作品の一つだ、ということを強調したかったのです。両方とも、どうか、お見逃しなく。
最後ですが、今の私は、ハメットの後継者と呼べる作家としては、フランスのジャン=パトリック・マンシェットを挙げることにしています。念のため。
お話としては、行方知れずになっている、価値がいくらなのか想像もつかないようなお宝、マルタの鷹をめぐる争奪戦を扱ったもので、これ自体はありふれていると言ってもいいような冒険譚ですが、とにかく登場人物の描写と造形が素晴らしいです。
ハメットの描写に関しては、11年前に書いた『ガラスの鍵』についての拙文中で、言いたいことをすべて言ってしまったように思っていて、それは本書にも当てはまると思うので、引用させてもらいます。
「本書の最大の特徴は、心理描写が一切ない、という点です。そもそも、三人称で書かれてはいますが、『彼はこう感じた』とか『彼はこう思った』という類の文章は、まったく出てきません。登場人物の言葉、表情の描写から、内面を想像するしかありません。しかし、このこと自体は映画や戯曲では、当然の前提です。この作品は、そういう意味では、小説の決まりごとを破壊した上に成り立っているのです。
ハードボイルドというジャンルは、言うまでもなく、ハメットが創始者ですが、昨今、このジャンルの小説は、一人称で書かれることが多いようです。それは、ハメットの後継者と目されているチャンドラーやロス・マクドナルドの諸作が、そのように書かれているせいもあるでしょうが、本書を読むと、簡潔な描写と会話を積み上げていく、本来の(あえて、こういう言葉を使いますが)ハードボイルドは、主人公の主観を語る必要がないものである、ということを認識できます。更に大胆に言ってしまえば、ハメットが創立したハードボイルドは、ハメット一代で終わりを告げ、現在のハードボイルドは、ハメットの亜流であるチャンドラーが確立したものである、とも言えるでしょう。
したがって、『ハメットの前にハメットなく、ハメットの後にハメットなし』です」
この文章の最後の部分は、本書の訳者小鷹信光があとがきで同じ主旨のことを述べていますが、まったくの偶然です。本書は『ガラスの鍵』に比べると、文章の完成度と言う点では劣ると思いますが、その代わり、登場人物の印象深さでは優るものがあります。
まず、主人公の私立探偵サム・スペードですが、ジョエル・カイロという悪党にこんなことを言われます。
「事を起こす前に、あなたについては充分に調べておいたのです。そして、確信を持ちました。ほかにどんな理由があろうと、金儲けの話を優先させる物わかりのいい方だろうというのが分かったのです」
スペードは、同じ事務所のパートナーであるマイルズ・アーチャーのことを馬鹿にしているだけでなく、彼の妻アイヴァともできています。事務所の秘書であるエフィ・ペリンとも、なにやら怪しい雰囲気です。あまり道徳的でない人物でないことは確かですが、最後の章で殺人犯を暴く時、何ものにも譲れない自分の倫理観と正義感を持っていることが分ります。スペードについて、自身も探偵家業を経験したハメットは「私と同じ釜の飯を食った探偵たちの多くがかくありたいと願った男、少なからぬ数の探偵たちが時にうぬぼれてそうあり得たと思いこんだ男」と語っていますが、口八丁手八丁で、官憲も恐れていない私立探偵というのは、確かにそういう存在だったのだろうと思います。
他に、手段を選ばず、マルタの鷹を17年追い求めている「体中の肉がだらりと垂れた太りかた」の口調は丁寧な悪党キャスパー・ガットマン、ガットマンと付かず離れず、やはりマルタの鷹の行方を追っているきざなレヴァント人のジョエル・カイロ、ガットマンの「お稚児さん」でもある小柄な殺し屋ウィルマー・クックなどが、現在の感覚では皆「デジャビュ」なのかもしれませんが、とても印象的に描かれています。
なお、冒頭に触れた本書の映画化作品は、俳優としても大きな足跡を残しているジョン・ヒューストンの監督処女作です。サム・スペードはハンフリー・ボガートが演じましたが、彼が初主演を務めたのは、同年に撮られたラオール・ウォルシュ監督の傑作『ハイ・シエラ』で、ヒューストンは、その映画の脚本家でした。ですから、映画『マルタの鷹』は、ボガートの主演第二作というわけで、この最初の二本の主演映画により、それまでジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソン主演映画の敵役に甘んじてきた彼はスターとなりました。
実は、本書は、ヒューストン以前に2回映画化されていますが、現在では映画『マルタの鷹』というと、このヒューストン監督でボガート主演のものしか誰も思い浮かべません。本書を再読した後で、映画の方も再見しましたが、原作に実に忠実に作られた作品で、ヒューストンは「それ以前の2回の映画化は、原作にない余計なものを付け加えて失敗した」という主旨の発言をしていますから、ヒューストンは原作の完成度の高さをしっかり理解していたのでしょう。
また、映画のボガートは、もちろん素晴らしいのですが、ヒューストンはカイロを演じたピーター・ローレについて「無害そうな外見の内側に人間くさい欲望を匂わせて間然するところがない」と言い、ガットマンを演じたイギリス舞台俳優シドニー・グリーンストリートについては「監督の役割も忘れて彼の演技を惚れ惚れと眺めていたものだ」と両名を絶賛しており、この二人と、悪女役を演じたメアリー・アスターも含め、ドンピシャの配役であったことも、この映画の評価を揺るぎないものにしました。
ヒューストン監督の映画には、『アスファルト・ジャングル』(1950年)で初めて大きな役を与えられたマリリン・モンローのように、印象的な演技を見せる脇役がよく登場しますが、彼自身が脇役としていろいろな映画で出演していたこととは無縁ではないでしょう。ロマン・ポランスキー監督の傑作『チャイナタウン』でのフェイ・ダナウェーの父親役を演じたヒューストンを忘れてしまえる人間はまずいないはずです。
映画の話となると、つい長くなってしまいます。ご容赦ください。要するに、本書はミステリー史に残る傑作であり、それを忠実に映像化したヒューストン監督作品は映画史に残る作品の一つだ、ということを強調したかったのです。両方とも、どうか、お見逃しなく。
最後ですが、今の私は、ハメットの後継者と呼べる作家としては、フランスのジャン=パトリック・マンシェットを挙げることにしています。念のため。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:早川書房
- ページ数:380
- ISBN:9784150773076
- 発売日:2012年09月07日
- 価格:777円
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