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かもめ通信
レビュアー:
私もあなたも、まずは自分自身を疑ってみることが、必要なのかもしれない。
舞台は第二次世界大戦前夜のプラハ。
主人公は火葬場で働く中年男性コップフルキングル氏。
美しい愛妻と愛娘に少々問題を抱えていそうな息子と暮らしている彼は、自分の仕事に誇りを持ち、家族の誕生日にはプレゼントを贈り、戦争に向かいつつある社会情勢を憂いているごく普通の市民……少なくても、本人はそう思っている。
いや、本人は自分とその家族のことを、他の人たちよりもずっと幸運で幸福だと思っているに違いない。なにしろ彼が日々熱心に目を通している新聞には、不運な人や不幸な家族の話がやまほど掲載されているのだから。

大げさな言葉が並ぶ割に抑揚のない語り口、細やかに明かされることのない登場人物たちの胸の内、常に愛と共に語られる死……。
物語はコップフルキングル氏の思い込みとはうらはらに、最初からずっと不穏で不吉な雰囲気に包まれている。

「清潔」で「効率的」で「人道的」……自分の仕事に誇りと愛着を持つコップフルキングル氏が、熱心さを持って「火葬」について語るとき、物語が行き着く先が垣間見える気がして背筋が凍る。

いつもどおり仕事に行き、家族とテーブルを囲み、近所づきあいをして、ごく普通の、当たり前の毎日を送っていたはずなのに、コップフルキングル氏の軸は少しずつずれていく。
物語の最初と最後で、コップフルキングル氏の大げさな物言いは全く変わっていないように思われるのに、その間に彼がやったことはおぞましいことばかり。
もしもそれが脅迫や拷問の末のことだったとしたら……そうであったなら、これほど恐ろしくはなかったかもしれない。
けれどもコップフルキングル氏は、少しばかり幸運に恵まれた平凡な毎日を積み重ねてきたはずではなかったのか。

サスペンスのような緊張感も、ホラーのような不気味さもあるが、なによりも恐ろしいのは、すべてが日常生活の延長上にあるように思えることだ。

以前はユダヤ人についてさしたる偏見を持っていないだけでなく、ナチスについて懐疑的でさえあったはずのコップフルキングル氏。
その彼が、常に大仰なその語り口で、他人が用いた表現をそのまま借用し、まるで自分の見解であるかのように自らの口に上らせているうちに、彼自身の中でもそれが「真実」となっていってしまうのだ。

平和な社会と経済的な安定、穏やかで平凡な日常生活を営み続けられることを願う人々の気持ちはいつの世も同じ。
人々が自分や自分が属する社会を肯定しながら、他者を迫害できる差別化の枠組みをもうけることもまた、不安定な社会を落ち着かせるためにたびたび使われてきた政治手法でもある。

様々な要因で「安定」が崩れようとしているとき、その現実を直視することをせず、政府や社会や政治家や知識人などが声高に叫ぶ号令に、批判的な目を向けることをせず、多くの人々がそれにからめとられていく……それもまた、幾度となく繰り返されてきた人類の歴史でもある。

なによりも恐ろしいのはこの物語の怖さが、今私の生きているこの社会にもつながっているように思われることだった。
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かもめ通信
かもめ通信 さん本が好き!免許皆伝(書評数:2233 件)

本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。

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この書評へのコメント

  1. かもめ通信2019-12-06 07:06

    「ゆったり旅する中欧4カ国 #本で旅する世界旅行」12月16日まで開催中。
    皆様のご参加をお待ちしています!
    チェコ・スロバキア・ハンガリー・ポーランドの中欧4カ国を巡る旅
    https://www.honzuki.jp/bookclub/theme/no372/index.html?latest=20

  2. No Image

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