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紅い芥子粒
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作者の莫言は、2012年のノーベル文学賞受賞者。まるで劇画のような小説だった。劇画の画を読んでいるようだった。文章なのに、色彩が鮮やかに目に浮かんだ。
いつか読もうとずっと思っていて、やっと読んだ「赤い高粱」。
映画「紅い高粱」は、1988年度ベルリン国際映画祭金熊賞受賞というが、残念ながら観ていない。

読み終わって思ったこと。

まるで劇画のような小説だな、ということ。
文章を読んでいるというより、劇画の画を読んでいるようだった。
確かに映画に向いていよう。文章なのに赤や黒や青や金色や…… 色彩が鮮やかに目に浮かぶ。

第一章「赤い高粱」、第二章「高粱の酒」から成っている。

第一章は、いきなり抗日戦争から始まる。
1939年旧暦の8月9日。

語り手(わたし)の父と祖母を中心に描かれる。
名まえではなく、終始「父が」「祖母は」と書かれているので、中年男性と高齢女性のように錯覚してしまうが、二人ともまだ若い。父は14歳、祖母だって30歳の若さなのだ。
語り手の生れる前の話で、父からの口伝として語られる。
盗賊の首領だった父は、抗日戦争のリーダーで英雄である。
祖母は、その祖父をもしのぐ女傑として描かれる。

強制労働。無差別襲撃。虐殺。
なるほど、侵略戦争とは、こうして行われたのかと思う。
それにしても、表現、描写が過激で執拗にすぎる。猟奇的ですらある。
生きている人間の耳をそぎ、鼻を切る。生皮をはぐ。こぼれおちる目玉。飛び散る脳漿。吹き上がる血。血の色は、赤だったり、黒だったり、緑色だったり、青だったり……
日本人はこんなことはしない、とはいわない。きっとやったのだろう。戦争は狂気だから。
日本兵は東洋鬼子とか日本鬼子とか呼ばれている。日本人も米英人のことを鬼畜米英といっていたらしいから、どこも同じだなと思う。

1939年旧暦の8月9日は、高粱畑を血に染めた、虐殺と抵抗の一日だった。
赤い高粱の赤は、高粱の赤と血の赤、抵抗と革命の赤でもあるのだろう。

第二章「高粱の酒」は、父が生まれる前の、祖母と祖父の物語である。

祖母は、小さな足の美貌の女性であった。
小さな足は、纏足のせいである。
幼少のころ、親指を除く四本の指を内側に折られ、布でぐるぐる巻きにされた。
きれいな顔より小さな足が、美しい女の条件とされていた。
赤ん坊のような小さな足で、アヒルのようにお尻を振りながら歩く姿が、男の欲情をそそるのだという。

ならず者だった若き祖父は、祖母の小さな足に一目ぼれし、高粱畑で十五歳の少女だった祖母を犯したのだった。

女の抑圧の象徴のような纏足だが、祖母は、その小さな足で大地にどっしりと立つ。
造り酒屋の婚家の財産を乗っ取り、女将として杜氏たちを従える。

第二章は抗日戦争以前の物語だが、残虐な暴力場面の描写が多い。
なにしろ、祖父は、人を殺すことをなんとも思わない男だから。
だからこそ後に抗日戦争の英雄になれたのかもしれないが。

あとがきを読むと、作者の莫言は、わたしの心には、歴史などはない、伝奇があるだけですと語っていたという。これを伝奇小説とみれば、突飛なできごとの数々は腑に落ちる。
任侠道の欠落したヤクザ小説みたいなだなとも思うけれど。

過激で妖しく美しく、うんざりするほど猟奇的な表現には、たのしませてもらった。
とくに、高粱が擬人化されて書かれている箇所に出会うと、思わず、そうきたかっと、うなってしまった。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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