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hackerさん
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「バーンリー(警部)は、ロンドンにいるときは、ロンドンほどいいところはないように広言したものだが、いざパリに来てみると、彼の自信がぐらつくのを感じた。ああ、またやって来てよかった!」(本書より)
アイルランド生まれのミステリー作家F.W.クロフツ(1879-1957)が、1920年に発表した処女作であり、交通機関を利用したアリバイ崩しというジャンルを確立させた古典的作品若しくはパイオニア的作品です。本書も、かもめ通信さん主催の「#やりなおし世界文学 読書会」で挙げられていた一冊ですが、読むのは三回目か四回目になります。それだけ、好きな作品だということです。

ところで、ちょっと話はズレますが、「古典」という言葉の使い方についてですが、人によってかなり違うのではないかと思います。個人的な「古典」の決め方について話すと、文学・戯曲についは、千年単位の歴史がありますから、20世紀に書かれたものを「古典」とは呼ばないようにしています。ただ、映画もそうですが、ミステリーは歴史も浅いので、同じ基準では判断していませんし、後世に与えた影響という点も当然考慮します。ですから、本書も、クリスティーの『アクロイド殺し』(1926年)同様、古典だと思いますし、パイオニア的作品だと思います。

ただ、このようなパイオニアに対する評価というのも、人によってずいぶん違うのではないかと思います。というのは、読む側は、発表当時どう評価されたかは知識として持っていても、あくまでも現在の視点で読むからです。『アクロイド殺し』を例にとると、私にとって幸いなことに、あのトリックに最初に触れた作品でしたから、まさに衝撃でしたが、その後に書かれた同じトリックを使った作品を多々知った後で読んだとすれば、そのようなことはまずないでしょう。ただ、そうであっても、『アクロイド殺し』のパイオニア的意義は理解し、しっかり評価すべきだというのが、私の考え方です。

いろいろと述べてきましたが、なぜ自分がこの作品を好きなのか、頭の整理も兼ねてのことなので、ご容赦ください。念のためですが、これは私の考え方であって、他人に押しつけるつもりはありません。作品をどう読むかは、個々の読者の勝手なわけですから、そこは自由で良いと思います。


内容を簡単に紹介します。

ロンドンの波止場に、フランスからワイン樽をたくさん積んだ船が到着しました。ところが、その中に、明らかにワイン樽とは違う外見の樽があり、それだけが特別に重いせいもあって、陸揚げする際に落下してしまいます。樽の運搬を受注した海運会社の社員ブロートンは、樽の損傷を確認しようとして、その時できた割れ目から、中に詰められていたおがくずと一緒に、何かキラキラするものがあるのに気づきます。なんと、それは金貨でした。おがくずをさらに掻きだしていくと、次々と金貨が見つかりますが、中から、なんと女性の手首も現れたのです!

樽に貼ってあるラベルには、レオン・フェリックスという人物宛てで、彫刻が入っていると書かれていましたが、その重さからして、中には死体があるに違いないと判断し、ブロートンは配下一人を樽の監視につけ、上司に報告することにします。ところが、その時、レオン・フェリックスと名乗る人物が、樽を引き取りに現れます。差し出した名刺には、ラベルと同じ住所が書かれていました。ブロートンは、適当なことを言って、事務所まで連れて行ったのですが、上司にあらましを報告している間に、この男はいなくなります。さらに、上司と一緒に波止場まで戻ってみると、樽も消え失せていたのです。

本書は、この冒頭の掴みが抜群です。そして、ここから、英仏間の樽の移動の謎、ロンドン、パリ、ブリュッセルをまたがる容疑者のアリバイ崩しの物語が始まります。詳細は語りませんが、本書の最大の特徴は、天才的なひらめきに頼る探偵は、一人も登場しないことです。初めの三分の二ぐらいまでは、ロンドンのバーンリー警部とパリのルファルジュ警部が捜査にあたります。彼らは犯人が誰かという先入観は排除し、地道に証人や関係者への聞きこみを続け、事実を積み上げて、犯人にたどり着こうというプロセスを取ります。そして、ある人物を逮捕するのですが、その容疑者の弁護人が雇った私立探偵ラ・トゥーシュが最後に真相を突き止める、という構成となっています。ただ、ラ・トゥーシュは、逮捕された容疑者以外に犯人がいるとすれば、この人物しかいないという前提で捜査に当たるので、警部たちとは最初から違う観点で、事物を見ています。そのせいもあるでしょうが、彼は、警部たちが気付かなかった若しくは見落としていた事実から、真相をたぐり寄せるのです。


本書解説の中島河太郎によると、江戸川乱歩は「リアリズム推理小説の最高峰」と本書を称賛したそうですが、現在の感覚では、そうとまでは思わないものの、当時としてはそうだったのは分かります。本書を受けて、日本でも蒼井優が『船富家の惨劇』(1935年)を書きましたし、その後の多くの作家に、交通機関を利用したアリバイ崩しというジャンルを提供してきました。残念ながら、乗り換えアプリが発達した現在では、このジャンルは「死んだ」ようですが、もう書かれない類のミステリーという意味でも、古典と呼ぶにふさわしい作品だと思います。

最後ですが、今回の再読でちょっと驚いたのは、私立探偵ラ・トゥーシュだけでなく、二人の警部も、証人に現金を与えて証言を引き出そうというのを、当たり前のようにしている点で、これはさすがに現在ではアウトでしょう。

また、ロンドンのバーンリー警部は捜査のためにパリに出張するのですが、パリのルファルジュ警部とは旧知の間柄であり、もちろん昼間は仕事に精を出すものの、夜になると、美味しいものを食べ歩いたりして、優雅に過ごしているのには、ちょっと笑ってしまいましたが、まぁパリに行ったのだから仕方ないでしょう。実際、バーンリー警部はこう思うのです。

「バーンリーは、ロンドンにいるときは、ロンドンほどいいところはないように広言したものだが、いざパリに来てみると、彼の自信がぐらつくのを感じた。ああ、またやって来てよかった!」

日本人の大半もパリに出張すると、こうなります。ただ、本書の警部たちは、夜になって、つまり就業時間終了後に遊び歩いているので、まぁ、許される範囲でしょう。もちろん、某党の女性議員たちのように、真っ昼間にエッフェル塔ではしゃいでいてはいけないので、ご注意ください。

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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2293 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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