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紅い芥子粒
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最愛の娘の誕生と成長、結婚と破局を見つめながら、自分自身の人生を掘り起こす。室生犀星の自伝的小説。
昭和三十一年十一月から翌年の八月まで、東京新聞に連載された。
文庫本で六百ページもあるが、一節が短くまとめられており、とても読みやすい。

主人公の名は、平山平四郎。
いうまでもなく、作者の分身である。
小説だから虚実ないまぜである。
芥川龍之介や菊池寛などは、実名で登場する。

平四郎は、金沢の元足軽組頭とその女中の間に生まれた。
不義の子であったために、生まれるとすぐ養子に出された。
養家は養子を商売にしているような家で、12歳で裁判所の給仕として働きに出た。

どれほどの苦労と努力を重ねたかは、書かれていない。
作者は、平四郎は「作家に化けた」と、さらりと書く。

平四郎に女の子が生まれたのは、関東大震災の前日だった。
平四郎は、まだぐにゃぐにゃしている赤ん坊を見て、杏子と名付ける。
この子を自分好みの理想の美人に作り上げよう、なんてちょっときもちのわるいことも考える。
そして翌日の大地震。
誕生の時から、杏子の人生には波乱の予兆があったのだ。


「杏子を理想の美人に作り上げる」という初心を貫いて、平四郎は杏子を養育する。
芥川龍之介の長男と連れだって幼稚園にかよわせ、
ピアノを買い与えて習わせ、
良家の子女が集う女学校に通わせる。

杏子が女学校を卒業する早春。
杏子と仲良しの三人が、平四郎の伊東の別荘に、卒業記念に合宿することになった。
案内を兼ねて平四郎も同行した。

仲良し三人の中に、えん子という病弱の少女がいた。
彼女は、手帳に詩を書いている。
それをおずおずと平四郎に見せた。
たった三行の短い詩。
その終わりの一行を、おそろしいうまさだと、平四郎は誉めた。
一生にひとつしか書けない詩だ、この詩ひとつを持っていれば、ほかに詩なんか書かないほうがいい、とまでいった。

一年後、えん子は十九歳で旅立った。
告別式で、平四郎は、えん子の詩を暗唱し、参列者の前で賛辞を贈った。
詩人・室生犀星の真髄をみるようなエピソードである。


戦争が激しくなると、一家は軽井沢に疎開する。
そこで知り合った漆山亮吉と、杏子は結婚することになる。


亮吉は、職業の定まらない人だった。
杏子の中にいる平四郎という恋人に嫉妬して、かの人を越えようとしたのだろうか。
同じ土俵で闘って勝たなければ、杏子をほんとうの意味で自分の妻にすることはできないと思ったのだろうか。
彼は、小説を書き始めた。

何千枚も原稿用紙を買い込んで、日がな一日書き続ける。
書き上げると、杏子を連れて出版社に持ち込む。
編集者は平山平四郎のお嬢さんを知っているから、会うだけは会ってくれるが、亮吉の原稿は採用されない。
収入は一銭もない。
杏子は、指輪を、着物を、ピアノを売って、生活費を工面する。
夫が稼がないなら妻が働けばいいのにと思うのは、いまの感覚だ。
昭和二十年代の話なのだ。良妻賢母教育を受けた良家のお嬢さんに、働くという選択肢はない。
それは、夫の顔に泥を塗ることだから。

夫婦は、どうしても食べていけなくなり、平四郎の屋敷の離れに移り住む。
亮吉は、ますます追い詰められ、白昼から酒をあおるようになる。
破局に向かう二人の息詰まるような会話を読んでいると、杏子のほうがよっぽどモノを書けそうだと思う。

杏子と亮吉の結婚生活は、四年で終わった。
見ていた平四郎も辛かったろう。
最愛の娘の不幸を見ているのも苦しかったろうが、ものにならない小説を書き続ける亮吉の背中を見るのは、もっと辛かったろうと思う。
平四郎は、貧窮の中で書き続けて作家に成り上がった人だ。
モノになるかならないか、なんの保証もあてもない中で書き続けることの危うさと苦しさを、知り尽くしているだろうから。

夫と別れ、父のもとに帰った杏子。
晴れて、さばさばとした恋人同士のような父娘の暮らしが始まる。

室生犀星は、昭和三十七年に死去する。
一人娘の室生朝子は、随筆家となって父の思い出などを書き綴った。

結婚生活の泥濘は、杏子を文筆家として育て上げたということだ。
漆山亮吉のその後の人生にも、苦しみばかりだった四年間が、大きな糧をもたらしていますように。


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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:559 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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