hackerさん
レビュアー:
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『回転する世界の静止点』とペアをなす、ハイスミスの未発表及び既刊短編集未収録の作品を中心とした本です。全部で14作収録されていますが、驚くべきことに、比較的平凡な出来と思える作品は2作しかありません。
『回転する世界の静止点』と本書は、作者パトリシア・ハイスミスの死後に、本国では一冊の短編集として出版されました。ただ『回転する世界の静止点』が初期の作品を扱い、本書が中後期の作品を扱っているせいでしょうが、作品の平均点という点では、本書の方がはるかに上です。全部で14作収録されている本書ですが、個人的感想ですが、驚くべきことに、比較的平凡な出来ばえの作品は2作しかありません。雑誌に発表したものはあるのですが、なぜ、こんな素晴らしい作品群を、自身の短編集に収録しなかったのか、私のような凡人はちょっと理解に苦しみます。まして、何作かは未発表のまま、いわば机の引き出しにしまいっぱなしだったのです。
この点に関しては、本書に同時に収録されているドイツの批評家ポール・インヘンダールの評論に次のような記述があります。
「ハイスミス自身、自分に対する厳しい批評家であったらしい。24歳の誕生日には、300ページ近くまで書き継いだ長編『かちりとドアの閉まる音』を破棄している」
これに限らず、この評論自体が大変興味深いものですから、ハイスミスのファンの方なら、『回転する世界の静止点』と本書は必読書だと思います。
収録作品には、表向き仲の良い相手への憎悪、成就することのない愛、希望や夢の突然の消滅、善悪の価値観の逆転といった、いかにも作者らしいテーマを扱ったものが多いのですが、さて、その魅力を伝えるとなると、甚だ難しいです。というのは、物語性よりも、登場人物の心理描写の冴えが印象的なものが多いせいなのですが、とりあえず、気に入った作品を簡単に紹介します。
・『手持ちの鳥』
インコをたくさん飼っていて、新聞に礼金つきの迷いインコの記事が出ると、「手持ちの鳥」から似たインコを選んで、偶然見つけたふりをして届け、礼金をいただいていた一人暮らしの年金生活者の話です。この男がどういう破綻を迎えるかと思って読んでいると、見事にうっちゃられます。何とハッピー・エンドなのです。
・『死ぬときに聞こえてくる音楽』
小さな郵便局に勤めている、妻と離婚し、一人暮らしの孤独な初老の男が見る、気に入らない同僚を次々と殺す妄想の話です。ちょっとしたホラーです。
・『人間の最良の友』
題名は、もちろん(?)犬のことです。猫ではありません。生涯一度だけ真剣に愛した女性が未亡人になったので、結婚を申し込んだものの断られ、彼女が別の男と再婚しイギリスを去る前に送られた立派なジャーマン・シェパードと暮らす中年の歯科医の話です。失恋した上、仕事もぱっとせず、絶望して二回自殺を図った主人公ですが、二回とも愛犬に助けられます。心機一転、仕事に打ち込み、歯科医としての評判も上がってきた頃、失恋した相手が夫婦でイギリスに戻ってきたのでした。
人生の皮肉がものすごく効いた作品です。
・『生まれながらの失敗者』
人が好すぎて、何をやっても、成功からほど遠い結果しか得られない主人公は、結局、何十年も田舎町で限られた固定客を相手に小さな雑貨屋を営みながら、なんとか妻と二人の生計を立てていました。そんなある日、妻との結婚式以来会ったことのない叔父から、大金を遺産として受け取ることになりました。
『手持ちの鳥』と同様、ちょっと変わったハッピー・エンドの作品です。ハイスミスも、O・ヘンリー同様、人の善意を信じる面があった(?)のだと思わせてくれます。
・『危ない趣味』
訪問販売の掃除機の生真面目なセールスマンで、会社でも評価されている主人公には、「危ない趣味」がありました。TVで見かけたりした著名人の元に、周到な準備をしてから近づき、相手の家から何か小さなものを盗んでくるというものです。ある日、首尾よく「趣味」を全うして、ある女性の元を立ち去ろうとしたところへ、かって「趣味」の対象となった女性と出くわします。当然、大騒ぎになるのですが...。
この後の展開とラストは、なかなか予想しずらいです。
・『帰国者たち』
若いころから浮名を流し、3回の離婚を経験した末に、ドイツ出身のユダヤ人のハーフである男性と結婚したイギリス人のヒロインが、夫と共にドイツへ移住して、彼の過去と本性を知るという話です。すごくありふれた話なのですが、最後までしっかり読ませてしまう筆力に感心します。
・『目には見えない何か』
スイスのスキー場に、離婚したばかりの中年のヒロインが一人で逗留しにやって来ます。とりたてて美人でもない彼女でしたが、ホテルに滞在している男性たちを、ことごとく魅了します。いわば、モテ気の話ですが、彼女の「目には見えない何か」とは何だったのでしょうか。
・『怒りっぽい二羽の鳩』
ロンドンのトラファルガー広場に住むつがいの鳩、彼らは、時折地下鉄に乗って小旅行をするのですが、ある日、いろいろと腹の立つことがあったせいもあり、ある人間の赤ん坊の片目を失明させます。それで、どうなったかというと...。
・『ゲームの行方』
著名作家と、その若い妻と、作家の執筆の手伝いに来た若い男の三角関係という、ありふれた題材を奇妙に料理した作品です。題材がありふれている分を、心理描写がカバーしています。
・『フィルに似た娘』
パリに仕事ででかける中年の主人公が、かって全人生をかけて愛したものの結局別れてしまったフィルという女性とそっくりな娘、20歳のフィルが現れたのかと思うくらいに似た娘と、同じ飛行機に乗り合わせます。この主人公の気持ちは、若いころ、大失恋を経験した方ならわかるでしょう。
・『狂った歯車』
熱烈な恋愛の末に結婚し、2歳になる娘もいるのに、妻を撲殺した主人公、傍目には何の動機も思い当たりません。そこに至る経緯が、主人公の独白のように語られる話です。
・『ミセズ・ブリンの困ったところ、世界の困ったところ』
白血病に冒され、旅先で死をまつばかりになったヒロインが、人生の最後でしかける意地悪の話です。
さて、長々と作品紹介をしてきましたが、ストーリーそのものよりも、心理描写が印象に残る作品の方が多いですが、その中で、ストーリーとして特に面白いのは『手持ちの鳥』と『生まれながらの失敗者』です。一方、心理描写という点では『人間の最良の友』『目には見えない何か』『フィルに似た娘』をベストとして挙げておきます。別格として、一種のホラーでもある『死ぬときに聞こえてくる音楽』も挙げておきます。
というわけで、本書(だけではありませんが)でハイスミスの凄さを味わってください。
この点に関しては、本書に同時に収録されているドイツの批評家ポール・インヘンダールの評論に次のような記述があります。
「ハイスミス自身、自分に対する厳しい批評家であったらしい。24歳の誕生日には、300ページ近くまで書き継いだ長編『かちりとドアの閉まる音』を破棄している」
これに限らず、この評論自体が大変興味深いものですから、ハイスミスのファンの方なら、『回転する世界の静止点』と本書は必読書だと思います。
収録作品には、表向き仲の良い相手への憎悪、成就することのない愛、希望や夢の突然の消滅、善悪の価値観の逆転といった、いかにも作者らしいテーマを扱ったものが多いのですが、さて、その魅力を伝えるとなると、甚だ難しいです。というのは、物語性よりも、登場人物の心理描写の冴えが印象的なものが多いせいなのですが、とりあえず、気に入った作品を簡単に紹介します。
・『手持ちの鳥』
インコをたくさん飼っていて、新聞に礼金つきの迷いインコの記事が出ると、「手持ちの鳥」から似たインコを選んで、偶然見つけたふりをして届け、礼金をいただいていた一人暮らしの年金生活者の話です。この男がどういう破綻を迎えるかと思って読んでいると、見事にうっちゃられます。何とハッピー・エンドなのです。
・『死ぬときに聞こえてくる音楽』
小さな郵便局に勤めている、妻と離婚し、一人暮らしの孤独な初老の男が見る、気に入らない同僚を次々と殺す妄想の話です。ちょっとしたホラーです。
・『人間の最良の友』
題名は、もちろん(?)犬のことです。猫ではありません。生涯一度だけ真剣に愛した女性が未亡人になったので、結婚を申し込んだものの断られ、彼女が別の男と再婚しイギリスを去る前に送られた立派なジャーマン・シェパードと暮らす中年の歯科医の話です。失恋した上、仕事もぱっとせず、絶望して二回自殺を図った主人公ですが、二回とも愛犬に助けられます。心機一転、仕事に打ち込み、歯科医としての評判も上がってきた頃、失恋した相手が夫婦でイギリスに戻ってきたのでした。
人生の皮肉がものすごく効いた作品です。
・『生まれながらの失敗者』
人が好すぎて、何をやっても、成功からほど遠い結果しか得られない主人公は、結局、何十年も田舎町で限られた固定客を相手に小さな雑貨屋を営みながら、なんとか妻と二人の生計を立てていました。そんなある日、妻との結婚式以来会ったことのない叔父から、大金を遺産として受け取ることになりました。
『手持ちの鳥』と同様、ちょっと変わったハッピー・エンドの作品です。ハイスミスも、O・ヘンリー同様、人の善意を信じる面があった(?)のだと思わせてくれます。
・『危ない趣味』
訪問販売の掃除機の生真面目なセールスマンで、会社でも評価されている主人公には、「危ない趣味」がありました。TVで見かけたりした著名人の元に、周到な準備をしてから近づき、相手の家から何か小さなものを盗んでくるというものです。ある日、首尾よく「趣味」を全うして、ある女性の元を立ち去ろうとしたところへ、かって「趣味」の対象となった女性と出くわします。当然、大騒ぎになるのですが...。
この後の展開とラストは、なかなか予想しずらいです。
・『帰国者たち』
若いころから浮名を流し、3回の離婚を経験した末に、ドイツ出身のユダヤ人のハーフである男性と結婚したイギリス人のヒロインが、夫と共にドイツへ移住して、彼の過去と本性を知るという話です。すごくありふれた話なのですが、最後までしっかり読ませてしまう筆力に感心します。
・『目には見えない何か』
スイスのスキー場に、離婚したばかりの中年のヒロインが一人で逗留しにやって来ます。とりたてて美人でもない彼女でしたが、ホテルに滞在している男性たちを、ことごとく魅了します。いわば、モテ気の話ですが、彼女の「目には見えない何か」とは何だったのでしょうか。
・『怒りっぽい二羽の鳩』
ロンドンのトラファルガー広場に住むつがいの鳩、彼らは、時折地下鉄に乗って小旅行をするのですが、ある日、いろいろと腹の立つことがあったせいもあり、ある人間の赤ん坊の片目を失明させます。それで、どうなったかというと...。
・『ゲームの行方』
著名作家と、その若い妻と、作家の執筆の手伝いに来た若い男の三角関係という、ありふれた題材を奇妙に料理した作品です。題材がありふれている分を、心理描写がカバーしています。
・『フィルに似た娘』
パリに仕事ででかける中年の主人公が、かって全人生をかけて愛したものの結局別れてしまったフィルという女性とそっくりな娘、20歳のフィルが現れたのかと思うくらいに似た娘と、同じ飛行機に乗り合わせます。この主人公の気持ちは、若いころ、大失恋を経験した方ならわかるでしょう。
・『狂った歯車』
熱烈な恋愛の末に結婚し、2歳になる娘もいるのに、妻を撲殺した主人公、傍目には何の動機も思い当たりません。そこに至る経緯が、主人公の独白のように語られる話です。
・『ミセズ・ブリンの困ったところ、世界の困ったところ』
白血病に冒され、旅先で死をまつばかりになったヒロインが、人生の最後でしかける意地悪の話です。
さて、長々と作品紹介をしてきましたが、ストーリーそのものよりも、心理描写が印象に残る作品の方が多いですが、その中で、ストーリーとして特に面白いのは『手持ちの鳥』と『生まれながらの失敗者』です。一方、心理描写という点では『人間の最良の友』『目には見えない何か』『フィルに似た娘』をベストとして挙げておきます。別格として、一種のホラーでもある『死ぬときに聞こえてくる音楽』も挙げておきます。
というわけで、本書(だけではありませんが)でハイスミスの凄さを味わってください。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:402
- ISBN:9784309204321
- 発売日:2005年03月26日
- 価格:2520円
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