歴史の授業で物部氏のことは、せいぜい仏教伝来を巡る蘇我氏・聖徳太子との争いに負けたという程度でしか触れることはないだろう。しかし、果たしてそうなのだろうか。本書は、一般的にはあまり注目されていない物部氏とは何者かという謎に迫っている。
さて、物部氏の「モノ」とは、「鬼」を意味しているらしい。すなわち、物部とは軍事と祭祀を司る一族ということだ。皇族や貴族が罪や穢れを祓う宮中行事を頻繁にやっていたことからもわかるように、権力者というのは自分が恨みを買う立場であることをよく知っており、祟りを恐れていた。権力争いが激しくなれば、深い恨みは生まれやすくなり、古代ヤマト政権における物理的・霊的な守り手たる物部氏の存在は重要であったのではないか。
しかしながら、実際にどうだったのかと古代ヤマト政権の読み解きを試みるとき、史料の少なさという問題に直面する。古事記、日本書紀では神代からの出来事を書き記しているが、これはあくまでも「正史」である。「正史」は正しい歴史ではなく、権力者が自らの正当性を証明するために書かせたものだ。神話も混じっている上に、権力者の立場からみた歴史観であり都合の悪い点は消されたり嘘を織り交ぜて改変しているため、それを100%信用できないというのが大きな障壁だ。時代が下り、日記などを人々が書き記すようになれば、隠された真実を見出しやすくなるのだろうが、残念ながらそういうものがない。そういった難しい時代のことを著者がどのように解き明かしていくのかという部分が、非常に読み応えがあった。
本書では、物部氏の実態を探るべく、そもそもヤマト政権とは、ということに注目している。書物に記されていることがどこまで信用できるかわからない中、発掘された古墳や土器の形状から人、物などがどのように動いていたのか、ひいては権力がどこに集中し、広がっていったのか、逆に廃れていったのかということを読み解いている。その時代のことでは、一般的に注目されるのが邪馬台国の場所であろうが、それについても古墳や土器などから推測できるというのも面白い。
さらに古事記、日本書紀の記述について、そうした考古学で得られた知見を照らしあわしていくと、想像していたよりもヤマト政権成立以前、以後の権力争いが想像していたよりも複雑であることが見て取れる。この時代の知識をそれほど持っていない人間にとって、理解するのに骨が折れるが知的刺激に満ちた内容である。
他にも神武東征において物部氏の祖であるニギハヤヒが、自らの眷属であるナガスネヒコを殺して神武天皇に降ったエピソードはどこまで本当なのか、物部守屋が討たれた理由は仏教伝来であったのか、といったことが読み解かれていく。その内容から、物部氏が古代ヤマト政権における覇者であったがわかるだろう。
もちろん、本書に書かれていることは、あくまでも著者の仮説であり真実だと断定できるものではない。しかし、そうであるかもしれない一つの見方を知っておくことで、謎に包まれた時代が色鮮やかに変化する。今まであまり詳しくなかった時代ではあるが、なかなかに魅力的であることを発見できたのは収穫と言えるだろう。
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