この作品は本当に驚いた。山口さんと言えば、「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」「ゆうれい居酒屋」など、食をベースにした人気シリーズで読者を多くつかんでいる作家で有名。ちょっとしたミステリーや人情、人間の機微を見事に描く作家だと認識していた。
しかし、この作品は、松本清張を彷彿とさせる、政財界疑獄ミステリーを題材として描く。なんで「食堂のおばちゃん」の作家がこんな重厚な作品を描けるの?と思って調べてみたら、「月下上海」という作品で、松本清張賞を受賞していた。ハートフルな作品も重いミステリーも描ける才能溢れる作家だったのだ。
時代は昭和31年から32年にかけて。主人公はミッション系女子高「白樺学園高校」で英語教師をしている篠田十希子25歳。十希子は同僚の相場寿人との結婚を約束をしていた。しかし、十希子の人生が突然暗転する。父は戦争で亡くなっている。母親と十希子の二人暮らし。
その母親と、三晃物産の資金課長で現社長娘婿の前岡考司が伊豆の旅館で死体となって発見される。警察の捜査で2人は無理心中を図ったとされた。
しかし、母親は、有名料亭「千代菊」で、十希子を一人前にするため、仲居として身を粉にして働き、大学を卒業させた。女子教師になり、しかも娘にはりっぱな婚約者までいるまさに母娘とも幸せの絶頂。そんな母親が心中をすることなどあり得ない。
十希子は、無理心中をするような母親がいる教師、しかもその母親は男性が芸者と遊ぶような風紀の悪いところで働いている。教師などやめさせろと生徒の父兄から激しい抗議。そのため十希子は学校にはいられなくなる。そして、母親の親友「千代菊」の女将に相談して、「千代菊」の仲居として勤め始める。
昭和30年頃は、政界、財界、公務員が一緒になって昭和電工、造船会社などの大疑獄事件が起きた時代。そして、その大規模贈収賄の企みを相談するのが高級料亭。今でも時々文春砲などといって週刊誌がスクープ記事を飛ばすが、その週刊誌、週刊新潮が初めて生まれたのがこの時期で、その後文春や新聞社が週刊誌を後を追う。
十希子は、会話を聞くことは難しいが、料亭に来た日時、会食者名克明にメモ、意図してベッドを共にしたわけではないが、あるブローカーの代表と親しくなる。
そんな時女将の不良息子が急死する。そのころ、大新新薬が開発したソメイユを常用すると、脳血栓や冠動脈血栓を引き起こし死亡する事故が多発、しかもこの薬品厚生省の認可が異例の速さで行われていることを掴む。これを、津島というフリージャーナリストに流し、週刊新潮が記事にして社会は騒然となる。しかも、認可期間を短くするために厚生省役人に賄賂を渡し、その資金を社内で作っていたのが、十希子の母親と心中したとされる資金課長前岡とわかる。
この心中事件の真相が徐々にわかる部分が、本当に緊迫して、興奮する。
作者山口さんは私より7歳年下。だから昭和30年にはまだ生まれていない。それでも、その頃がリアルに描かれている。
当時は東京大阪間は、特急は「つばめ」と「はと」だけ。大阪までは8時間。まだ全線電化されておらず、ディーゼルか蒸気機関車だった。心中事件の死体を安置されていた静岡までは3時間半もかかった。「千代菊」までやってくる芸者は置屋から人力車を使った。
とても、2019年に書かれた小説とは思えなかった。山口さんはとんでもなく力量のある作家だ。
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