パトリシア・ハイスミス作「キャロル」を読みました。
【第一部】19歳のテレーズはニューヨークの百貨店の玩具売り場で働いていました。舞台美術家になる夢を抱きながらも仕事はなく、生活のために単調な売り子の仕事を続けていたのです。クリスマス前の店は客で溢れていましたが、売り場は無機質で、同僚との交流もほとんどありませんでした。そんな中で唯一話しかけてくれるのは、老婦人ミセス・ロビチェクだけでした。
ある日テレーズはロビチェクの家に招かれます。かつてドレスショップを経営していたという彼女は、昔の華やかなドレスを見せてくれました。テレーズはそれを着てみますが、かつて美しかった女性が老いて百貨店で働いている現実を見て、自分の未来も同じようになるのではないかと恐れ、逃げるようにその場を後にしました。この場面は、テレーズの不安と将来への焦燥を象徴しています。
テレーズにはリチャードという恋人がいました。彼は売れない画家でしたが、やがて実家の事業を継ぐ予定でした。彼はテレーズとヨーロッパ旅行をする計画を立てていましたが、テレーズは彼に対して愛情を感じることができず、肉体関係もうまくいきませんでした。自分が彼を愛していないことを、テレーズ自身も薄々感じていたのです。ある日テレーズがリチャードの家にいると、リチャードの友人フィルとフィルの兄ダニーがやって来ました。フィルは小雨という芝居を上演しようとしており、その舞台美術にテレーズを推薦してくれ、初めての仕事が決まったのでした。ダニーはフィルも泊まっている自分の部屋にランチを摂りに来るようテレーズを誘いました。
そしてある日、テレーズの人生を大きく変える出来事が起こります。玩具売り場にミンクのコートを着た美しい金髪の女性が現れたのです。その女性は娘リンディへのクリスマスプレゼントを探しに来ていました。彼女の美しさに圧倒されたテレーズは言葉を失います。女性はキャロル・エアドという名前でした。テレーズは彼女にスーツケースを売りますが、それは本来売り物ではないものでした。しかしキャロルはそれを購入し、自宅に送るよう伝票に住所を書きました。テレーズはその住所を覚え、後日キャロルにクリスマスカードを送りました。それが二人の関係の始まりでした。
するとキャロルがテレーズに電話を掛けて来ました。キャロルはテレーズに明日会おうと言い、2人はランチを摂りました。キャロルはカードの礼を言い、テレーズはキャロルに会えて嬉しいと言いました。テレーズはキャロルに自分の身の上話をし、キャロルは次の日曜日に自宅にテレーズを招きました。その夜リチャードは、日曜日に自宅で家族と会ってくれと頼みましたが、テレーズは断りました。更にテレーズは自分はリチャードをさっきから愛していない、ヨーロッパにも行かないと言い、リチャードは彼女に取り合わずに帰宅しました。
キャロルはそのカードの礼としてテレーズに電話をかけ、二人は食事をすることになります。キャロルはテレーズに興味を示し、テレーズは彼女に強く惹かれていきました。キャロルは日曜日に自宅へ招きます。キャロルの家は豪華な邸宅でした。そこには夫ハージと娘リンディの写真が飾られていました。二人は食事をしながら親しく語り合います。やがてキャロルはテレーズの髪にキスをし、二人はベッドで抱き合いながら長く話をしました。このときテレーズは、生まれて初めて恋をしたのだと感じます。
しかしキャロルの生活は複雑でした。夫ハージとは別居しており、離婚の話が進んでいました。ハージは別の女性と暮らしていましたが、娘リンディの親権問題をめぐってキャロルと対立していたのです。クリスマスイブの夜、キャロルはテレーズを迎えに来ます。二人はキャロルの家でクリスマスツリーを飾り、テレーズはその夜をキャロルの家で過ごしました。
翌朝キャロルの友人アビーが訪ねてきます。アビーはキャロルの元恋人でした。テレーズはそれを知り、複雑な感情を抱きます。アビーはキャロルに旅行を勧め、キャロルはテレーズをアメリカ西部への旅行に誘いました。
一方テレーズの舞台美術の仕事は順調で、彼女は劇場の世界に入り始めます。アビーと会ったテレーズは、キャロルとの関係についてあれこれ詮索され、不快な思いをします。アビーがキャロルを愛していることに気づいたテレーズは、彼女に対して嫉妬と反感を抱くようになります。その頃、リチャードとの関係も破綻していきます。リチャードはキャロルと付き合うなとテレーズに言いますが、テレーズは彼と別れる決意を固めます。
店を出るとダニーに会いました。ダニーは自分の部屋でサンドイッチを食べようとテレーズを誘い、テレーズは彼の部屋でビールと彼手製のサンドイッチを食べました。ダニーはテレーズに、友情とは必要があって生まれるものだが、誰もどんな必要があって結びついているのか知らないのだと言い、テレーズはもっともだと思いました。そしてテレーズはダニーにはどんな必要があるのだと尋ね、ダニーはテレーズが自分の妻になってくれたらどうかと答えました。テレーズはアビーとの会話を思い出し、人は時にわけのわからないことをする邪さを持っていると言い、アビーがキャロルを好きだから自分はアビーを嫌いになったのだと思いました。
ダニーは今日は自分は詩的な気分だと言い、昔馬に乗って山を駆け上がった時の爽快感を語り、その気持ちを共有できたら、不安のあまりものを貯めこみ、気持ちを押し隠している人々は、みなそうしたものを発散できるのではないかと言いました。それを聞いたテレーズは、思わずアビーの事を無心で考え。。。ダニーはテレーズにキスし、リチャードは怒るだろうがまた来てくれと言いました。テレーズはダニーの言う爽快感の一部を理解したのでした。。。
テレーズはアビーに会って苛々した話をキャロルにし、キャロルはアビーは時々信じられない程話が下手になる事があると言いました。そしてテレーズはキャロルに、旅行には行かない積りだったが、一緒に西部に行く、キャロルが本当にそれを望んでいたからだと言いました。。。
【第二部】テレーズの舞台美術は大層評判が良く、テレーズは舞台美術界の大物ハークヴィーを紹介してもらいました。テレーズはリチャードに、キャロルと旅行に出る事を話し、リチャードはキャロルに会い、テレーズは不快でしたが、リチャードはキャロルに何の興味も示しませんでした。キャロルはリチャードとデートしろと言って去りましたがテレーズは家で仕事をすると言い、リチャードは怒って去りました。
後日リチャードは、キャロルと付き合うなとテレーズに言いましたが、テレーズはリチャードとは別れると言い、リチャードは様々な方法でテレーズを翻意させようとしましたが、テレーズは応じませんでした。キャロルはテレーズを窘めましたが、テレーズは彼とは別れると言いました。テレーズとキャロルは旅行に出発し、テレーズはキャロルに渡そうとして読みかけだった本に挟んだきり渡せなかった手紙をキャロルの家に置き忘れた事に気づきましたが、放っておきました。
2人はペンシルベニアに着き、テレーズは名物のソーセージをミセス・ロビチェクに送りました。その夜泊まったホテルでテレーズはキャロルが拳銃を持っている事に気づきました。それをキャロルに言うと、あれはハージの銃で、自分は撃てるのだと言いました。2人はオハイオに入り、シカゴに着きました。ウォータールーに着いた夜テレーズはキャロルに愛していると告白し、キャロルも私もよと答えました。その夜2人はついに結ばれ。。。
テレーズはキャロルに、アビーともセックスしたのかと尋ね、キャロルはしたと答えました。そしてアビーとの経緯を話しました。アビーとは結局長続きしなかったとキャロルは言い、ハージはアビーとの事も知っているのだと言い。。。ワイオミングのホテルにアビーからの電報が届きました。ハージがリンディの親権をキャロルから取り上げようと探偵を雇ってシカゴから2人を尾行していると言うのでした。テレーズはウォータールーのホテルで見た怪しい男がそうだと気づきました。自分は帰った方が良いかとテレーズは聞きましたが、キャロルは一緒に居てくれと頼みました。
ソルトレーク近くのホテルでテレーズはあの探偵を見つけました。探偵は2人の部屋に盗聴器を仕掛けていたのでした。しかし探偵は執拗に尾行を続け、ついにキャロルは探偵を拳銃で脅し、彼が持っていた録音テープを買い取りました。しかし探偵は、もう送ってしまったテープがあるし、こんな事をしても無駄だ、NYに帰れと言って去りました。テレーズは、キャロルの家に残して来た手紙の事を思い出し、それをキャロルに打ち明けました。その手紙は実は。。。
キャロルはアビーに電話し、NYに帰らなければならないと言って車と小切手をテレーズに残して飛行機で去りました。テレーズはスーフォールズでキャロルを待ち、何週間も経ってキャロルは飛行機でNYに来いと言って寄越しました。思わずテレーズはキャロルに電話しましたが、キャロルは電話は盗聴されていて話せない、とにかく帰って来てくれ、詳しい経緯は手紙に書いて送ったと言いました。手紙には、ウォータールーのホテルが盗聴されていた、ハージと弁護士団はキャロルの同性愛を非難し、リンディの親権を放棄しないならその事をリンディにばらす、二度とテレーズに会わないと誓えとと脅迫された為に彼らの言いなりになるしかなかったとありました。
キャロルは更に、自分はテレーズを愛しているがテレーズには未来がある。自分の事は忘れて新たに出発しろ、自分のようにはなるなと言って寄越しました。しかしキャロルは最後にテレーズと会いたいと書いていたのでした。テレーズは自分はキャロルに嘲笑されているのだと思い、就職して働き始めました。
ある日仕事から戻るとホテルにダニーが居ました。自分はオークランドで就職したから一緒に来いとダニーは言い、キャロルの所に行くのかと尋ねました。テレーズはキャロルの元には行かないと言い、その時初めてテレーズはキャロルの呪縛から解き放たれた思いでした。しかしダニーはしばらくすればテレーズも男を愛せるようになるかもしれないと言い、明日一日一緒に過ごしてくれと頼みました。しかしテレーズは断りました。ダニーとこれ以上一緒に居ると、自分自身と直面せねばならなくなる事はわかっていたのでした。
そんな中、アビーからキャロルの消息を聞きます。キャロルはヴァーモントで療養しているというのです。しかしテレーズは連絡を取ろうとはしませんでした。しばらくしてテレーズはニューヨークに戻ります。そこでキャロルと再会することになります。キャロルは以前とは違う生活を始めていました。夫の家を出て働き、新しい部屋を借りていました。そしてその部屋にはテレーズも住めると言います。しかしテレーズはすぐには答えられませんでした。キャロルへの愛はまだ残っていましたが、再び傷つくことを恐れていたからです。
テレーズはハークヴィとパーティーで待ち合わせていると言い、何故かわからないままキャロルをそのパーティーに誘いました。しかしキャロルは自分はエリゼホテルで人と会うのだと言って去り、テレーズは去っていくキャロルをずっと目で追いました。パーティーは盛況で、イギリス人有名女優が現れました。女優はふとテレーズに目を留め、美しいその女優はキャロルと同じ目でテレーズを見つめました。女優はテレーズを自分の部屋で行われるパーティーに招き、しばらくテレーズは女優とキャロルとダニーの事を思いましたが、ついに。。。
ミステリの女王と呼ばれ、「太陽がいっぱい」の原作者として知られる作者はこの作品の梗概を、若い頃貧しかった作者が実際働いていたNYのデパートに現れたミンクのコートの金髪美人を見て発想し、たったの2時間で書き終えたそうです。その美人の名前と住所を書き留めた所までは全くの事実そのものだったとの事でした。その時作者が書き終えていた出世作「見知らぬ乗客」の映画化権をアルフレッド・ヒッチコックが買い上げて映画が大ヒットした後、編集者達は同じようなサスペンスを書けと勧めましたが、作者が次に書いたのがこの小説だったそうでした。
赤狩りの嵐が吹き荒れていた当時、同性愛も本作に登場するキャロル同様悪徳とされて糾弾されていた為に、当初これを見た出版社は出版を断り、作者は別人名義で他の出版社から本作を出版しました。当初2~3の好意的な書評を得てはいましたが、一年後に本作がペーパーバック化されると100万部を超えるベストセラーとなったそうでした。当時迫害されていた同性愛者達は本作に示されたハッピーエンドに救いを見出し、熱烈なファンレターを末永く送ったのでした。本作は1991年、作者のあとがきと共に作者の名義で復刊され、第二の大ブームを巻き起こしました。
作者の特徴は、強迫観念と道徳的複雑性とスリラー要素です。孤独で不安定な主人公達がわずかな齟齬や思い込みが元で不安を増幅させ、まわりの人間を巻き込んで破滅の道を進んでしまいます。本作では愛し合う彼女達を追う探偵が現れるあたりからそれは顕著になり、キャロルがNYに一人で戻った後、さまざまに揺れるテレーズの心理を丹念に描いてスリラー小説として読み応えのある作品になったと思いました。
実は作者は実際にレズビアンで、いつも創作のミューズになってくれる恋人がいなければ生きていけない恋愛体質の女性であり、しかも手の届かない相手に一方的に恋をして燃え上がり、いったん成就してしまうと一気に嫌気が差して相手を捨ててしまうといういかにも本作の登場人物的な女性であっただけに、本作は実に意外な結末であったと思いました。
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