hackerさん
レビュアー:
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ジャン・ジオノの名作『木を植えた人』をベースに、緑と色彩が必要なのは荒野だけでなく都市も同じ状況だということ、そして大切なのは継続だということをうったえている絵本です。
「子どものころ、わたしがくらしていたのは、
ぎすぎすして、ずるくて、すさんだ街。
ほこりっぽい通りは、
雨のめぐみをうけることなく、
夏の暑さや冬の寒さにさらされていた。
黄色い砂まじりの風が
おなかをすかせた犬のように
ビルの壁をひっかいていた。
その街では何もそだたず、何もかもがこわれていた。笑顔を見せる人もいなかった。
そこに住む人たちも、ぎすぎすして、ずるくなり、すさんでいたのだ。
そして、わたしも
わたしは、スリだった。じぶんと同じようにまずしい人たちから物をぬすんで、生きていた。
わたしの心はささくれて、公園のかれ木みたいに、がさがさしていた」
そんなある日、「わたし」は、「弱そうな」おばあさんから、ふくらんだカバンをひったくろうとします。抵抗していたおばあさんですが、こう言います。
「おまえさんにやるよ。これを植えるってやくそくするんならね」
なんのことだかわからず、カバンがほしかっただけの「わたし」は、こう答えます。
「わかったよ。やくそくするよ」
そして、奪ったカバンを開けてみると「きれいな緑色の、ふっくらしたドングリ」がいっぱいに詰まっていました。
「さっきの『やくそく』を、おもいだした。
わたしが手に入れたいのは、森かもしれない。
そうおもうと、心のなかで何かが変わった」
戦争で故国を追われ、一人ぼっちの難民となった女の子を描いた『せんそうがやってきた日』が印象に残るニコラ・デイビスが文を書き、これが初めての絵本だというローラ・カーリンが絵を描いた、2013年刊の本です。お話のベースは、明らかにジャン・ジオノの名作『木を植えた男』(1953年)ですが、まず何よりも絵が素晴らしい!前半の灰色をベースにした街から、ドングリから芽が出て、成長していくにしたがって、色彩が豊かな街へと変わっていく変化が、とても美しく描かれています。
そして、このお話が『木を植えた男』と大きく違うのは、普通の人々による行為の継続をきっちり語って終わりにしていることです。つまり、『木を植えた男』は、エルゼアール・ブフィエという、いわば変人の奇特な、しかし素晴らしい行為を語っているのですが、彼一代で終わる物語であるのに対し、本書のポイントは、最後に「わたし」が別の「わかいどろぼう」にドングリを植えることを託すことにあります。そして、その時「わたし」の姿は絵には描かれていません。もしかしたら「わたし」は既におばさんになっているのかもしれません。しかし、ドングリを植える行為は引き継がれることが語られています。
「人の気持ちが変わることを、わたしはもう知っていたから。
やくそくがつながっていくことが、もうわかっていたから」
絵の美しさと共に、私の記憶に残る絵本の一つになりました。
ぎすぎすして、ずるくて、すさんだ街。
ほこりっぽい通りは、
雨のめぐみをうけることなく、
夏の暑さや冬の寒さにさらされていた。
黄色い砂まじりの風が
おなかをすかせた犬のように
ビルの壁をひっかいていた。
その街では何もそだたず、何もかもがこわれていた。笑顔を見せる人もいなかった。
そこに住む人たちも、ぎすぎすして、ずるくなり、すさんでいたのだ。
そして、わたしも
わたしは、スリだった。じぶんと同じようにまずしい人たちから物をぬすんで、生きていた。
わたしの心はささくれて、公園のかれ木みたいに、がさがさしていた」
そんなある日、「わたし」は、「弱そうな」おばあさんから、ふくらんだカバンをひったくろうとします。抵抗していたおばあさんですが、こう言います。
「おまえさんにやるよ。これを植えるってやくそくするんならね」
なんのことだかわからず、カバンがほしかっただけの「わたし」は、こう答えます。
「わかったよ。やくそくするよ」
そして、奪ったカバンを開けてみると「きれいな緑色の、ふっくらしたドングリ」がいっぱいに詰まっていました。
「さっきの『やくそく』を、おもいだした。
わたしが手に入れたいのは、森かもしれない。
そうおもうと、心のなかで何かが変わった」
戦争で故国を追われ、一人ぼっちの難民となった女の子を描いた『せんそうがやってきた日』が印象に残るニコラ・デイビスが文を書き、これが初めての絵本だというローラ・カーリンが絵を描いた、2013年刊の本です。お話のベースは、明らかにジャン・ジオノの名作『木を植えた男』(1953年)ですが、まず何よりも絵が素晴らしい!前半の灰色をベースにした街から、ドングリから芽が出て、成長していくにしたがって、色彩が豊かな街へと変わっていく変化が、とても美しく描かれています。
そして、このお話が『木を植えた男』と大きく違うのは、普通の人々による行為の継続をきっちり語って終わりにしていることです。つまり、『木を植えた男』は、エルゼアール・ブフィエという、いわば変人の奇特な、しかし素晴らしい行為を語っているのですが、彼一代で終わる物語であるのに対し、本書のポイントは、最後に「わたし」が別の「わかいどろぼう」にドングリを植えることを託すことにあります。そして、その時「わたし」の姿は絵には描かれていません。もしかしたら「わたし」は既におばさんになっているのかもしれません。しかし、ドングリを植える行為は引き継がれることが語られています。
「人の気持ちが変わることを、わたしはもう知っていたから。
やくそくがつながっていくことが、もうわかっていたから」
絵の美しさと共に、私の記憶に残る絵本の一つになりました。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- マーブル2021-05-29 09:16
>マーブルさんのおっしゃる通りです
そう言っていただき安心しました。読んでもいないのに登場人物に共感とは書きすぎだったのでは、と少し後悔していたところです。書評を読み、勝手に妄想し、的はずれなことを書いたのではないか。そんな風に。
弱いもの同士が傷つけ合う、ギスギスした街でかさついた気持ちで生きてきた主人公にとってその緑色は自分にも生命を吹き込んでくれるような鮮やかさだったのではないか。そしてそこで生まれた息吹をいつか誰かに伝えたい、そう考えつつ生きる日々の張り。とうとう訪れたバトンを渡す日。
決して歴史に名を残したり、表彰されるような人生ではなかったけれど未来へバトンを渡す使命を果たせた安堵。役割を与えられた感謝。
本を読む行為は作者の意図とは別に、読み手の中に生まれる何かを確かめる体験だとするとhackerさんの書評のお陰で勘違いかもしれませんが、読書と同等の体験を得ることができました。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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- 出版社:BL出版
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- ISBN:9784776406334
- 発売日:2014年02月01日
- 価格:1760円
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