紅い芥子粒さん
レビュアー:
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父と子は、ひたすら旅をする。核戦争後の、壊滅した絶望の世界を……
解説を小池昌代さんが書いている。
書店で手に取ってみたとき、その最初の一行が目に入った。
これはもう、読まずにはいられない。
わっと泣くほど感動したい。
ディストピア小説である。
何が起こったのか明確には書かれていない。おそらく核戦争があって、壊滅状態になった世界を、父と子がひたすら旅をする物語である。
”核の冬”というのだろうか。空は鉛色の雲におおわれ、陽は差さず、雨ばかり降っている。冷たい氷のような雨だ。木も草も、犬も鳥も虫も魚も死んでしまった世界。
少年の年齢は書かれていない。十歳ぐらいだろうか。
ある日あるとき、空にハサミのような光が走り、世界が振動し、遠くの町が燃えているのがわかった。
その数日後に、妻は自宅のベッドで出産した。
少年は、世界が破滅した後に生まれたのだ。
父と子の旅は、絶望の中でも生き延びるための旅だ。
生き延びるとは、食料を求めて戦うことだ。
母親は、絶望に耐え切れず、とうのむかしに脱落した。
植物も動物も死に絶え、人間だけが、細々と生き残っている世界。
そんな死に覆われた世界で、何を食料とすればいいのか。
人は、狩りをして生きる。殺し合い、勝った者が殺した者の肉を食べる。
父親はそれは「悪」であると子に教える。
自分たちは、「善きもの」であり、ぜったいに人の肉を食べたりはしない。
自分たちは「火を運ぶもの」なのだ、と。
「火」とはなんであろうか。
父親は、缶詰や瓶詰などの文明の残骸をあさる。
廃墟となったスーパーマーケットや、ホテルの食糧庫。
体当たりして重い扉を破り、地下倉庫のハッチをこじあけ……
あさった食料をショッピングセンターのカートにのせ、コロコロ押して歩く。
森で植物の死骸である枯れ木や枯れ枝をあつめ、ガソリンをふりかけ、燧石で火花を散らして火をおこし、暖をとる。毎夜のように冷たい雨が降っている。だから、毛布の上に防水シートをかけて、父と子は、抱き合って眠る。
どんどん寒くなるので、ひたすら南へ向かって歩く。
旅の物語では、たいてい道連れができる。気の遠くなるような旅でも、道連れが希望を運んでくることが多い。
しかし、この小説ではそうはならない。
父親が、拒むからだ。
彼は、人間狩りを警戒している。とりわけ、子どもは狙われやすい。
とはいえ、ほかにも生き残っている者があるかぎり、人に出会うことはある。
あるときは、少年と同じような子ども。
「あの子を助けてあげてよ」と、少年は、父親にいう。
「無理だ。できない」と、父親は切り捨てる。
ぎりぎりの食料だ。分け与えることはできない。
老人と出会ったこともある。
杖にすがってよろよろ歩く、いまにも死にそうな……。
「あの人に食べ物を分けてあげてよ」と、少年はいう。
そのときは、父親はしぶしぶだが、桃の缶詰を一つだけわけてあげた。
しかし、いっしょに歩くことはできないといい、置き去りにした。
少年は、やさしく、賢い。
父親と口論になることもあるが、最後は、かならず「わかった」という。
パパを困らせたくないのだ。パパのことを心配しているのだ。
父親は、病に冒されている。
咳とともに血を吐く病だ。
にもかかわらず、凍るような海にとびこんで、食料をあさるために、座礁した客船まで泳いでいったりする。
こんな旅が、いつまで続くのかと、暗い気持ちで読み進んだ。
どこまで歩いても、陽は差さず、川の水は灰で濁っている。
ひとりの道連れもなく、父親が死んだら、少年はどうなるのか……
「火を運ぶものになれ」。それが、父親の遺言だ。
「火」とは、なんであろうか。
絶望の中でも、がんばって命をつないでいけば、やがて陽が差す日がくるかもしれない。
汚染された大地からでも、緑が芽吹く日がくるかもしれない。
しかし、絶望の中を、ひとりで歩き続けることはできない。たとえ共倒れになっても、道連れは必要なのだ。
父親の死後、少年を道連れにしてくれる人が現れて、この絶望の物語は終わる。
読み終わって、わっと泣くような感動はしなかった。
ただただ、少年がひとりぼっちにならなくてよかったと思った。
書店で手に取ってみたとき、その最初の一行が目に入った。
読み終わって、悪夢から覚めた子供みたいにわっと泣いた。
これはもう、読まずにはいられない。
わっと泣くほど感動したい。
ディストピア小説である。
何が起こったのか明確には書かれていない。おそらく核戦争があって、壊滅状態になった世界を、父と子がひたすら旅をする物語である。
”核の冬”というのだろうか。空は鉛色の雲におおわれ、陽は差さず、雨ばかり降っている。冷たい氷のような雨だ。木も草も、犬も鳥も虫も魚も死んでしまった世界。
少年の年齢は書かれていない。十歳ぐらいだろうか。
ある日あるとき、空にハサミのような光が走り、世界が振動し、遠くの町が燃えているのがわかった。
その数日後に、妻は自宅のベッドで出産した。
少年は、世界が破滅した後に生まれたのだ。
父と子の旅は、絶望の中でも生き延びるための旅だ。
生き延びるとは、食料を求めて戦うことだ。
母親は、絶望に耐え切れず、とうのむかしに脱落した。
植物も動物も死に絶え、人間だけが、細々と生き残っている世界。
そんな死に覆われた世界で、何を食料とすればいいのか。
人は、狩りをして生きる。殺し合い、勝った者が殺した者の肉を食べる。
父親はそれは「悪」であると子に教える。
自分たちは、「善きもの」であり、ぜったいに人の肉を食べたりはしない。
自分たちは「火を運ぶもの」なのだ、と。
「火」とはなんであろうか。
父親は、缶詰や瓶詰などの文明の残骸をあさる。
廃墟となったスーパーマーケットや、ホテルの食糧庫。
体当たりして重い扉を破り、地下倉庫のハッチをこじあけ……
あさった食料をショッピングセンターのカートにのせ、コロコロ押して歩く。
森で植物の死骸である枯れ木や枯れ枝をあつめ、ガソリンをふりかけ、燧石で火花を散らして火をおこし、暖をとる。毎夜のように冷たい雨が降っている。だから、毛布の上に防水シートをかけて、父と子は、抱き合って眠る。
どんどん寒くなるので、ひたすら南へ向かって歩く。
旅の物語では、たいてい道連れができる。気の遠くなるような旅でも、道連れが希望を運んでくることが多い。
しかし、この小説ではそうはならない。
父親が、拒むからだ。
彼は、人間狩りを警戒している。とりわけ、子どもは狙われやすい。
とはいえ、ほかにも生き残っている者があるかぎり、人に出会うことはある。
あるときは、少年と同じような子ども。
「あの子を助けてあげてよ」と、少年は、父親にいう。
「無理だ。できない」と、父親は切り捨てる。
ぎりぎりの食料だ。分け与えることはできない。
老人と出会ったこともある。
杖にすがってよろよろ歩く、いまにも死にそうな……。
「あの人に食べ物を分けてあげてよ」と、少年はいう。
そのときは、父親はしぶしぶだが、桃の缶詰を一つだけわけてあげた。
しかし、いっしょに歩くことはできないといい、置き去りにした。
少年は、やさしく、賢い。
父親と口論になることもあるが、最後は、かならず「わかった」という。
パパを困らせたくないのだ。パパのことを心配しているのだ。
父親は、病に冒されている。
咳とともに血を吐く病だ。
にもかかわらず、凍るような海にとびこんで、食料をあさるために、座礁した客船まで泳いでいったりする。
こんな旅が、いつまで続くのかと、暗い気持ちで読み進んだ。
どこまで歩いても、陽は差さず、川の水は灰で濁っている。
ひとりの道連れもなく、父親が死んだら、少年はどうなるのか……
「火を運ぶものになれ」。それが、父親の遺言だ。
「火」とは、なんであろうか。
絶望の中でも、がんばって命をつないでいけば、やがて陽が差す日がくるかもしれない。
汚染された大地からでも、緑が芽吹く日がくるかもしれない。
しかし、絶望の中を、ひとりで歩き続けることはできない。たとえ共倒れになっても、道連れは必要なのだ。
父親の死後、少年を道連れにしてくれる人が現れて、この絶望の物語は終わる。
読み終わって、わっと泣くような感動はしなかった。
ただただ、少年がひとりぼっちにならなくてよかったと思った。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:早川書房
- ページ数:351
- ISBN:9784151200601
- 発売日:2010年05月30日
- 価格:840円
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