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rodolfo1さん
rodolfo1
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宮崎県である男が仕事中に事故で死ぬ。実はその男は、触れ込み通りの男ではなかった。在日三世の弁護士城戸は、その男の実態に迫り、自らの人生への葛藤を伴いながら、結果驚くべき事実に遭遇する。
平野啓一郎作「ある男」を読みました。

冒頭は平野先生と覚しい小説家が、城戸という弁護士とバーで知り合うところから始まります。彼の語る名前と経歴は全て実は嘘でした。相手が小説家であると知った城戸はその嘘を謝ります。自分は他人の傷を生きることで自分自身を保っている、と言います。実はこの小説の登場人物はほとんどがこの調子です。いつも別の自分が存在するのです。

次に場面は宮崎県のS市に展開します。文房具屋の里恵の夫が亡くなります。彼は林業に従事していたのですが、仕事中の事故で死にました。亡夫、谷口大祐はこの町に移住してきました。彼は無類の好人物で、周囲の人々は誰も彼のことを悪く言いません。ところで里恵は最も愛する者を立て続けに、大祐も含めて三人失っていました。一人は脳腫瘍で亡くなった次男の遼です。彼の治療の経緯を巡って元夫とは離婚になりました。

その後宮崎の実父が急逝しました。父に代わって文房具店を切り盛りしていた里恵の元に大祐が現れます。彼は趣味の絵画の画材を買いに来ていたのですが、里恵の母親に、絵を見せてくれ、と頼まれ、ある時スケッチブックを持って現れます。数冊分のスケッチブックに描かれたその衒いもない絵に里恵は感動します。

次第に接近していく里恵と大祐は、自らの身の上を語り合います。大祐は伊香保温泉の旅館の次男に生まれ、両親に疎まれ、最後は肝臓癌に悩む父親に、生体肝移植を強いられ、懊悩しつつも承諾しますが、父親は、大祐が移植をためらっていた内に亡くなります。父の死後、家族とうまくいかなくなった大祐は家を出て一人で暮らすようになったのでした。

二人は結婚して里恵の実家で暮らし、前夫の連れ子、悠人との間も円満で、娘の花が生まれた頃、大祐は事故で亡くなります。彼の遺言で、彼の実家とは連絡を取らなかった里恵でしたが、ついに彼の実家に手紙で大祐の死亡を知らせ、兄恭一がやってきます。尊大な態度を取る恭一は、遺影を見て、これは大祐ではない、と断定したのでした。

城戸が再び登場します。城戸はもともと里恵の離婚裁判の弁護士を勤めていました。里恵は大祐の事を彼に相談します。城戸にとって名前を偽って身分を隠すのは違和感の無い事でした。実は彼は在日三世で、高校時代に日本に帰化したので、本名を隠したい人の事情は理解していたのです。

しかし調べてみると、大祐の戸籍は確かなものでした。婚姻届も死亡届も出していて、役所は彼の法的な同一性を確認していました。しかも群馬県の実家について語った本人の過去にも矛盾は無かったのです。

城戸は、兄恭一に会いに行きます。恭一は嫌味で気取った男でした。自分の自慢話を滔々と弁じ、弟の事をくさします。城戸には妻の香織と一人息子の颯太がおり、幸せに暮らしています。颯太に質問された、ギリシャ神話のナルキッソスが何故水仙に変身したのか、という理由を真面目に調べたりしています。

この変身、というのがある意味この小説のテーマでもあるのです。しかし妻の香織とは、自らの出自などを巡って微妙に隙間風の入る関係に陥っています。城戸は、関東大震災の折に、朝鮮人が惨殺された事実に基づいて、将来起こるであろう首都直下型地震に際して自らに及ぶ災厄について悩んでいます。

城戸は更に思索します。愛にとって過去とは何なのかと。過去が今と異なっていた場合、現在の愛には変化が生まれるのだろうかと。里恵から大祐では無い人物Xについて聞かされてから、城戸はひたすらXの事を考えるようになりました。兄恭一からは、かつての大祐の恋人は、大祐の連絡先を知っている可能性が高い、と示唆されます。城戸はその元恋人、美涼に会いに行きます。

彼女はウェブデザイナーをしながら、とあるバーに趣味で勤めていました。美涼にも大祐の写真は大祐ではない、と否定されました。美涼によれば、大祐は別れ話もなく、唐突に美涼の前から消え失せたのだそうです。バーのマスターは、北朝鮮の拉致被害者ではないか、と指摘されますが、城戸は、美涼の口から、在日に対する差別めいた言葉を聞きたくなくて視線を逸らせます。

大祐と暮らした三年九ヶ月の日々は自分の人生で最も幸せな時期だったと自覚しながらも、里恵は大祐の死亡届を無効にし、彼を除籍します。しかし長男の悠人は、苗字が変わる事に抵抗します。悠人は、Xの事を懐かしみ、涙を流します。

城戸は、宮崎出張について妻香織に疑われていました。同僚の中北に城戸はこぼします。東北大震災の弁護士ボランティアに関しても、妻の同意を得られません。ボランティアに行かないで、自分と子供の傍にいるべきだ、と言うのです。その宮崎でとあるバーに入った城戸は、バーテンに自分の事を、谷口大祐だと言い、大祐の身の上を自分の事のように語ったのでした。また、城戸は最近の日本人のナショナリズムの台頭を危惧します。その不安と、妻香織との不仲が微妙にシンクロしていきます。

その頃、美涼が城戸に連絡して来ます。美涼は、恭一に提案され、大祐の名前でフェイスブックのアカウントを開設し、大祐本人からのリアクションを待っていたのでした。しかしこの偽アカウント上の会話から、恭一が美涼に好意を抱いていることがわかります。兄弟の間にはどうも彼女を巡る昔からの因縁がある模様です。また城戸は、自らが在日であることを明かし、美涼は、城戸が行かないなら、自分が在日カウンターデモに参加することを表明します。

城戸は、裁判履歴から、戸籍の売買を行う受刑者がいることを突き止め、その男に会いに行きます。男は面会の時点で城戸が在日であることを見抜き、城戸をさんざんにからかいます。しかし男は最終的に驚くべき事実を城戸に告げます。

城戸は、息子の扱いについて妻と相容れない思いを抱きます。更に城戸は、友人が催した、死刑囚が描いた絵画の展覧会に参加し、その絵の中にどこかで見たような絵を発見します。その男が起こした事件について検索すると、驚くべき事実を発見します。城戸はついにXの実態を発見するのです。

この小説に登場する人物は、みないわゆる三角関係を結んでいます。誰かと誰かは関係し、その誰かはまた別の何者かと関係を持っています。ないしは別の何かと関連を持ちたがっています。さながらそれが人生の実態であると言わんばかりです。それもまた人生なのでしょう。

最後に死刑について城戸は述べます。ある犯罪者に関して、国家はその人に対して不作為を働いたにもかかわらず、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、さながらに現実があるべき姿をしているかのように取り澄まします。それは間違いだ、と城戸は思います。明日は我が身かもしれない、と城戸は考えるのです。

小説の結末は大変良かった。中盤は、在日、という問題をだらだらと述べて終わるかに思えた小説ですが、結末は、偽りの過去を含めてすべての問題を包括しながら、なお人を許す感動的な終末でありました。
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rodolfo1
rodolfo1 さん本が好き!1級(書評数:876 件)

こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。

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