紅い芥子粒さん
レビュアー:
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母の『涙の谷』に打ちのめされて、父はふわりと立ち上がって家を出る。
両親と子供三人の五人家族。そのうちの父の語りで記されている。
三人の子は、まだ幼い。
長女七歳、長男四歳、二女はまだ一歳。
父、母、幼子三人、狭い三畳間での食事。
戦後間もない昭和二十年代。どこにでもありそうな家庭の風景。
にぎやかで、大混乱の。
父の仕事は小説を書くことである。
父は、家では冗談ばかりいっているが、実は心も身体も苦しいという。
子どもが変な咳をするとギョッとするのは、自分の肺病が子に感染したのではないかと恐れるからだ。
もっと深刻なのは、長男が四歳にもなるのに、立ち上がることも言葉を発することもできないことだ。子の将来が不安でたまらない。親戚や世間に恥じる気持ちもある。この子を抱いて死んでしまいたいとしょっちゅう思う。この悩みは重い。しかし、父も母も、心配にふたをして、なんでもないことのようにふるまっている。
汗をかきながらのてんやわんやの食卓。
授乳に、子の世話に、家事に、息つく暇もない母は、乳房の狭間は『涙の谷』だという。
『涙の谷』ーーその言葉は、父をうちのめす。
父は、外に仕事部屋を借りている。仕事を口実に、逃げ場所がある。
三人の女友達もいる。
家に帰りたくないときは、女友達の誰かのところに”帰る”のだ。
無頼な父である。
自分の身勝手さに自覚があるから、母の『涙の谷』に打ちのめされて、父はふわりと立って家を出る。
向かった先は、女友達のひとりがやっている居酒屋だ。
太宰治の読者なら、わかるだろう。
「ヴィヨンの妻」のあの店だ。酔ってつぶれて泊まれるところ。
そこで出された山盛りの桜桃。
むしゃむしゃ乱暴に食べながら、こんな贅沢で美しい果実を子供に食べさせない自分にやましさを感じる。
そこで出てきたこの台詞ーー
小説は、ここで終わっている。
この作品を書いてまもなく、太宰治は、ヴィヨンの妻とはまた別の女の人と心中死してしまう。
その人と手をつないで水に沈むとき、幼い三人の子のことが、頭にあったかどうか。
無頼な父なんか、いないほうがいいさと、思ったのかもしれない。
そうだ。いないほうがいい。無頼な父なんか。
両親がそろっているのがいちばんしあわせ、なんて神話的幻想だ。
無頼な父なんか、いなくなったほうが、家庭は平穏で子らは安らかに育つ。
無頼な父は死んでも、太宰治は生き続けた。
太宰の遺した作品は、作者の死後も読まれ続けて、子らの養育費を稼いでくれた。
弱さと愚かさをさらけ出した作品は、時代が移り世の中が変わっても、人の心をとらえ続ける。
子らは、太宰治が父であることを誇らしく思って育ったことだろう。
父親失格。しかし、偉大な父だった。
子供より親が大事、と思いたいと、父はいう。
三人の子は、まだ幼い。
長女七歳、長男四歳、二女はまだ一歳。
父、母、幼子三人、狭い三畳間での食事。
戦後間もない昭和二十年代。どこにでもありそうな家庭の風景。
にぎやかで、大混乱の。
父の仕事は小説を書くことである。
父は、家では冗談ばかりいっているが、実は心も身体も苦しいという。
子どもが変な咳をするとギョッとするのは、自分の肺病が子に感染したのではないかと恐れるからだ。
もっと深刻なのは、長男が四歳にもなるのに、立ち上がることも言葉を発することもできないことだ。子の将来が不安でたまらない。親戚や世間に恥じる気持ちもある。この子を抱いて死んでしまいたいとしょっちゅう思う。この悩みは重い。しかし、父も母も、心配にふたをして、なんでもないことのようにふるまっている。
汗をかきながらのてんやわんやの食卓。
授乳に、子の世話に、家事に、息つく暇もない母は、乳房の狭間は『涙の谷』だという。
『涙の谷』ーーその言葉は、父をうちのめす。
父は、外に仕事部屋を借りている。仕事を口実に、逃げ場所がある。
三人の女友達もいる。
家に帰りたくないときは、女友達の誰かのところに”帰る”のだ。
無頼な父である。
自分の身勝手さに自覚があるから、母の『涙の谷』に打ちのめされて、父はふわりと立って家を出る。
向かった先は、女友達のひとりがやっている居酒屋だ。
太宰治の読者なら、わかるだろう。
「ヴィヨンの妻」のあの店だ。酔ってつぶれて泊まれるところ。
そこで出された山盛りの桜桃。
むしゃむしゃ乱暴に食べながら、こんな贅沢で美しい果実を子供に食べさせない自分にやましさを感じる。
そこで出てきたこの台詞ーー
子供より親が大事、と思いたい。
小説は、ここで終わっている。
この作品を書いてまもなく、太宰治は、ヴィヨンの妻とはまた別の女の人と心中死してしまう。
その人と手をつないで水に沈むとき、幼い三人の子のことが、頭にあったかどうか。
無頼な父なんか、いないほうがいいさと、思ったのかもしれない。
そうだ。いないほうがいい。無頼な父なんか。
両親がそろっているのがいちばんしあわせ、なんて神話的幻想だ。
無頼な父なんか、いなくなったほうが、家庭は平穏で子らは安らかに育つ。
無頼な父は死んでも、太宰治は生き続けた。
太宰の遺した作品は、作者の死後も読まれ続けて、子らの養育費を稼いでくれた。
弱さと愚かさをさらけ出した作品は、時代が移り世の中が変わっても、人の心をとらえ続ける。
子らは、太宰治が父であることを誇らしく思って育ったことだろう。
父親失格。しかし、偉大な父だった。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:
- ページ数:8
- ISBN:B009IXAUXW
- 発売日:2012年09月27日
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